くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「きっとここが帰る場所」「夜のとばりの物語」

きっとここが帰る場所

「きっと、ここが帰る場所」
とにかく、色彩センスの良さ、画面の構図センスの良さ、音楽センスの良さ、カメラのワーキングの美しさに引き込まれてしまう。

物語はいたって淡々と進んでいく。ショーン・ペン扮するかつてのロックのスーパースターシャイアンという人物は歌手時代から暗い歌ばかり歌っていたというせりふが語るとおり、引退後もどこかとぼとぼと歩き、ほとんど笑顔も見せず、ややうつむき気味に歩く。一つ一つの行動も妙に精細がない。その歌に感化された若者が自殺した経緯もあるらしく、その若者の墓を訪れるシーンなどもあり、このシャイアンという男の繊細な心の持ち主であると語られる。

一方妻のジェーンは消防士でしかも愛するシャイアンをしっかりと支えていて至ってほのぼのとした夫婦である。この前提が実に心地よい。

淡々とした行動の中に子供のようないたずら心や嫉妬心が見え隠れし、自分を笑ったスーパーの客にこそっと嫌がらせをしてみたり、メアリーに言い寄ってきた若者にメアリーに好かれるようにさりげなく応援したりする。しかしそれは友人という雰囲気ではなくあくまでいたずら心からというのもかわいい。

物語はショーン・ペン扮するシャイアンがアイメイクと口紅をつけて化粧をしているシーンに始まる。カートを引っ張ってもさもさの頭で町をいくと、知る人ぞしる有名人だと振り返られる。カメラはこちらから向こうへ向こうからこちらへとゆっくりとした動きを見せたり、俯瞰からクレーン移動で地面まで移動したりする流れるようなワーキングのみならず、回転しては突然ストップしたカットを挿入したりする。

美しい景色のショットをインサートしてみたり、黄色のライティングを中心にした色彩豊かな画面を作り出していく。なんといっても広大なアメリカの風景が抜群に美しい。そんな見事な映像が、どぎついショーン・ペンの化粧を打ち消してしまうところはまさに映像センスのなせる技である。

父が死んだという知らせに駆けつけたシャイアンはそこで父が追い続けていたナチスの残党についての手記を発見し、一人アメリカに船で渡る(つまり飛行機が嫌い)。

そこでいろいろな人とかかわりながらついにアロイス・ランゲというナチスの残党にたどり着き、雪原にすむ彼を全裸に歩かせて、自分は車で去る。

そして、戻ってきたシャイアンは生涯初めてたばこを吸う。中盤で「たばこを吸ったことがないのはまだ子供だからだ」というせりふがここで生きてくる。

もさもさの髪の毛をきれいに整えふつうの姿になったシャイアンはメアリーの母(ですよね^^ちょっと勘違いしてるかもなのでお気づきでしたらコメントください)の元へ戻ってきてエンディングである。

何度も書くが、とにかく横長の画面を有効に使った画面づくりが実に見事で、久しぶりに横長画面を意識した構図の美しさを堪能させてもらった。そして太陽の光やランプの黄色い光で演出された画面も本当に目を見張るほどに美しい。建物やセットの配置も計算されていて、全体が見事にまとまっている。それだけでも値打ちのある映画でした。

ストーリーが単調なために、終盤はさすがにしんどいですが、美しい映像を鑑賞するということでラストまで画面から目を離さずにすみました。思いの外いい映画に出会った気分です。


夜のとばりの物語
フランスアニメーション界の奇才ミッシェル・オスロ監督が描く6つのオムニバスアニメ。といってもこの方面に造詣がないので宣伝をみておもしろそうなのでみに出かけました。

影絵を使った美しい色彩で描かれるおとぎ話のラブストーリーが描かれていきます。それぞれがエキゾチックなファンタジーなので子供心に戻って次はどうなるのだろうとみるパターンになる。

一話がだいたい15分なのでそれほど複雑な物語はなく、ロマンティックな世界が影絵という独特のアニメシーンで繊細かつ圧倒的な色彩でつづられる。

光と影が織りなす幻想的な物語にひとときの喧噪を忘れ、夢の世界がスクリーンに展開するのは、これもまた映画の一つの形態なのだなぁと感慨に耽ってしまいました。

日本のアニメやCGアニメにはない素朴さがストレートに物語を紡いでいき、幼い頃に経験した空想の世界が展開する様はこれはまたこれで映画という映像マジックの世界なのです。たまにこういう全く違った世界に浸るのもいいものだと映画館を後にしました。