くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「WIN WIN ダメ男とダメ少年の最高の日々」「王様と

WIN WIN

「WIN WIN ダメ男とダメ少年の最高の日々」
う〜ん今一つ乗らない。ストリーガ動いてこないのである。冒頭でマイクが認知症の男レオを引き取る下り、金に困窮している描写が弱い。そこへやってくるカイルという少年。彼がレスリングの才能を見いだされ、物語が動き始めるかと思いきや、絶妙の悪いタイミングで母がやってきて、再び物語をぶちこわし、リズムを遮る。

そして、マイクが行った冒頭の不正が露わになって、職を失いバーテンになってエンディングもあまり衝撃性もなくて面白味に欠ける。母が最後に結局カイルをマイクに預ける下りの描写も弱い。

全体に波に乗ってこない。そのためにたんたんと進んで何気なく終わる映画になってしまいました。期待していたのに残念


「王様とボク」
全編ファンタジーである。幻想と現実が入り交じり、危うい年頃の少年少女がそのあやふやな感情のままに大人になることを拒み大人になり損ねたことに揺れる。

6歳の時にブランコの事故で昏睡状態になった少年が12年後に目を覚ます。かつてこの少年の親友だった二人、ミキヒコとトモナリが出迎える。ミキヒコには天然の陽気さあふれるキエという彼女がいる。トモナリはクールにモリオに接しようとしない。

ミキヒコは執拗にモリオに接触し、彼の力になろうとするが、一見友達に会えて喜ぶモリオだが、やはり自分をおいていった親友に今更ながら追いつけない寂しさを隠せない。

ラストで、ミキヒコから離れ自分の家に帰りたいと施設に戻る。夜の町にさまようようにでていったモリオは暗闇の中に消えていってエンディング。

それぞれの自己せりふが流れ、複雑な表情で奇跡の中にほうりこまれるモリオ、ミキヒコ、トモナリ、そしてキエ。この余りに不安定な年齢の彼らの姿がある意味微妙な純粋さで物語を紡いでいくのだが、余りにシュールな映像に終始しすぎたために中心になる柱さえもが曖昧な世界に埋没してしまった。

もったいない映像であるが、原作の良さがかろうじて作品が凡作に終わるのを押しとどめたような気がする。モリオを演じた菅田将暉がなかなかの好演で、二階堂ふみ演じるキエもなかなかいい。全体にまとまっているがもう一歩工夫がほしい作品だった気がする。嫌いじゃないけれど心に残るにはちょっと足りない気がした。


籠の中の乙女
車のトランクがアップになり暗転、エンディング。
?????????なにこれ、コメント不可能。

それがこの映画をみた直後感想。たまたま一緒にみた映画友達のTさんと顔を見合わせた。そして、少しの間をおいて、「つまり、寓話なんだけど、底がちょっと浅すぎるのよね」

ということなのだ。たいがいのシュールな映画にも接してきているつもりで、それなりに自分の感想を描くことができるつもりだが、この映画についてはそのとっかかりになるものが見つからない。つまり、底が浅すぎて入れないのである。強いていえばルイス・ブニュエルの世界観でもあるかもしれないが、そこまで完成度が高くない。

体制批判、規制の事物に対する観念に対抗し、批判する。物事が自由であれ、束縛から解放された寓話という形の風刺。それがこの映画なのだろうか。

外界と隔絶された家族。二人の娘と一人の息子。どこやらへ働きにでる夫。ふつうの妻。なぜか外から目隠しされて女性が連れてこられて息子の性処理をする。正しい単語の意味を話さず、ソンビが花の意味だったりする。外部からくる女が持ち込んだ俗なもののために崩壊していく物語なのだとチラシには書いてある。それが「ジョーズ」であり「フラッシュ・ダンス」だという。確かにそうであるが、だからどうだという出来映えなのだ。

結局、閉鎖され外界にけがされることのない世界が俗世間のに毒される物語を寓話として描いたということなのだろう。チラシの説明文をたった一度みただけでたどり着くほど私には感性はない。それがふつうの一映画ファンとしてのこの映画の感想である。ギリシャの映画という国柄を考えると若干見えてくるテーマにすがらざるを得ない一本でした。