くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「スイートハート・チョコレート」「無伴奏」「砂上の法廷」

kurawan2016-03-29

「スイートハート・チョコレート」
韓流ドラマのような純愛ドラマで、映像の作り方もいかにもな演出になっている。ただ、ストーリーの構成がかなり雑で、芯を捉えた作り方をしていないので、雑然とした流れになっているという意味で、凡作と言える映画でした。監督は篠原哲雄なので、少し期待したのですが、日中関係の悪化でお蔵入りしたという作品。いや、そういうことは関係なくお蔵入りしてもいい一本だった気がします。

映画は、北海道夕張に絵の勉強に来た中国人リンが、現地のレスキュー隊の守と知り合う。泊まっていた旅館の総一郎と守が友達であったことから、3人は仲良くなるのだが、守はリンに恋をし、二人は恋人同士になっていく。しかし、吹雪の遭難事故で守がリンを助け車で病院へ走る途中で事故を起こし、脳死。リンはもともと心臓が悪かったが、守の心臓をもらうことになる。

一方で親友を亡くした総一郎はリンを守るべく寄り添うようになる。生前、チョコレート店を開くのが夢だった守のために上海でチョコレート店を開くリンの傍で、恋する思いを抱きながらも10年間リンを支える総一郎。映画はこの現代と10年前を交互に交錯させ語って行くのだが、いかにも、守の事故までのバランスがやたら長い。総一郎が守が作っていたチョコの味を再現し、リンに渡すのがラストになるが、映画の中で、守の味を探すリンの映像がわかりにくいので、ラストも感動が弱くなっている。

結局、バタバタとクライマックスを迎え、総一郎の想いにリンが応えてエンディングとなる。

心臓が悪いということや、守の心臓を移植したこと、心臓の病気ゆえに何度も気を失うリンのエピソードもしつこい上に、守や総一郎の物語も雑に描かれ、結局、どこを見るのか、と思える一本になってしまった感じですね。普通の映画です。


無伴奏
淡々と進む作品ですが、個人的にはとっても好きなタイプの映画でした。監督は矢崎仁司です。物語は小池真理子の半自伝的小説を原作にしています。

映画は1969年、全国に学園紛争が広まっていた時代の仙台、高校生の主人公響子は教室で制服反対運動を生徒たちに演説していた。と言って、特に政治的な運動を望んでいるわけではない。その微妙な雰囲気を主演の成海璃子が見事に演じている。

仙台の高校に通うために叔母の家に一人に住むことになった響子、学校の友達と立ち寄ったクラシック喫茶「無伴奏」で二人の大学生渉と祐之介、そして祐之介の恋人のエマと知り合う。こうして物語はこの四人の青春の物語が語られるのが本編。

何かにつけ反抗的な響子は常に父に怒られ、無伴奏に立ち寄っては祐之介たちとつるむようになる。タバコを吸い、酒を飲む。しかし、当時、これが全く違和感のない学生たちの姿だったのだ。

やがて、渉と響子は祐之介とエマの影響もあり、何気なく近づき、恋人同士になる。響子の初めての日、気がつくと、茶室の入り口でじっと覗いている祐之介を見てしまう。

しかし、ある嵐の夜、響子の家にやってくるはずの渉がなかなか来ないので、渉がいる茶室兼溜まり場に行ってみると、なんとそこでは祐之介と渉が裸で抱き合っていた。そのショックがあったとはいえ、渉と響子の関係は途切れることなく、やがてエマは妊娠。祐之介とエマは普通に幸せになるかに思われたある夜、祐之介はエマを殺害する。

祐之介が逮捕されることに半狂乱になる渉、やがて彼は自殺してしまうのだが、一人残った響子は無伴奏で、渉が好きだったバッヘルベルのカノンをかけ、ゆっくりと喫茶店を後にしてエンディング。静かな中に流れるカノンの曲がなんとも情緒を生み出し、一時の青春を過ごした若者たちの物語が幕を閉じるエンディングが実に美しい。

しっかりと演出し作られているのだが、二時間あまりがかなり長く感じる。淡々と抑揚なく心理ドラマのごとく流れる展開ゆえなのか、映像自体も静かに作られているためなのか、いずれにせよ、非常に長く感じた。しかし、それほど眠くならなかったのだから、良質の一本だったのかなと思えます。濡れ場シーンもしっかり演じた成海璃子も初々しいし、とにかく甘酸っぱい。いい青春映画でした。


「砂上の法廷」
面白い法廷劇なのだが、どこかちょっと物足りなさを感じる。爽快さがないというのか、鮮やかさが足りないというのか、テンポが悪いのだ。それは、犯人が彼だったからというわけでもない。やたら混乱させるために挿入される殺人現場や証人が語る出来事の本当のシーンが、物語展開にポツポツとストップをかけてリズムを崩しているのかもしれない。監督はコートニー・ハント

主人公の弁護士ラムゼイが、裁判の終わった法廷で一人つぶやいているシーンから始まる。そして一気に法廷場面に流れ込み、その前後で今回の事件を説明してくる。後は、ひたすら法廷劇である。ラムゼイが雇った一人の女弁護士は嘘を見破ることに卓越しているという説明があり、わずかな仕草や言葉から証人の嘘を見抜く下がある。ところが彼女の使い方が実にまずい。しかも、終盤の尋問に彼女を出すという演出もあるにもかかわらず、彼女が上手く生かせていないのだ。だから、裁判が終わった後のどんでん返しに彼女が気づく下が、彼女より先に観客が気づいてしまうのです。これは大失敗ですね。

父親殺しで逮捕されたマイクの弁護士を引き受けたラムゼイは、マイクの父ブーンとも同業者で知人であり、ブーンの妻ロレッタとも親しい。その経緯で、マイクが父親を殺したという連絡を受けて現場にもやってきたのだ。

検察側が出す証人は、最初からマイクが殺したと言わんばかりに保身的な証言を繰り返す。しかし、そのあちこちに嘘があると見抜く女弁護士。ラムゼイの依頼人のマイクはというと一言も喋らないから、ラムゼイもなすすべがない。しかし、最後の最後、マイクは証人台に立つという。そして、彼は、実は父親に性的虐待を受けていたと話すのだ。一気に形勢が逆転したかに見える。検察側も言及するが、性的虐待に物的証拠はないと最終弁論を終わる。しかし、結果は、マイクは無罪となる。

ところが、女弁護士はラムゼイに語る。マイクの証言も正しいのだろうか?ロレッタも正しいのだろうか?全てが終わり、廊下でラムゼイはロレッタに親しげに近づく。その姿に、女弁護士はラムゼイもまた嘘をついていたのではないかと気がつく。

マイクは知っていた。父が殺された現場には、先にラムゼイが来ていたことを。それはベッド脇に落ちていた時計で気がついたのだ。ラムゼイはロレッタと浮気をしていて、それがブーンにバレそうになり、ブーンを殺したのである。そして、あたかもロレッタが殺したかに見せ、マイクがかばうだろうという流れを組み立てたのだ。その上で、マイクの無罪を証明すれば良い。それがロレッタとラムゼイの真相だった。

こうして裁判は終わり、冒頭のシーンになる。もちろん、真相を知らない警察は真犯人を再捜査するのか、マイクがが真相を話すのか、それはまた別の物語である。

物語の展開や構成は実に面白く練られているので、人物や場面の演出が今ひとつになったために、せっかくの作品が普通の法的劇になたという感じです。もったいないですね。まぁ、面白かったですが。