くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ベル&セバスチャン」「草原の実験」「顔のないヒトラーた

kurawan2015-10-19

ベル&セバスチャン
期待もしていなかった映画ですが、思いの外、楽しんでしまいました。なんといっても、アルプスの山々の景色を捉えるカメラが実に美しい。冒険家でもあるニコラ・ヴァニエ監督の感性なのだろう、美しいと思われる景色を無駄なく捉えていく。

映画は有名な少年文学を原作に、ユダヤ人の逃亡劇とドイツ人の侵攻という戦争の空気を漂わせるオリジナルを盛り込んで展開する。

野獣と言われ恐れられている一匹の野犬と出会ったセバスチャンは、虐待されてやむなく野犬になった犬にベルと名をつけ、やがて心を通わせていく。大人たちは、野犬というだけで恐れ、殺害しようと目論む展開に、村にやって来たドイツ人のの物語を絡ませ、クライマックスに、氷原をを抜けるユダヤ人家族をリードするセバスチャンとベル、そして、道案内人の物語を描く。

大きく俯瞰で捉える山肌や、はるかに見える峰、草花を透かして撮る人物など、寓話的なほどに美しいカットがふんだんに取り入れられる、少年と犬の暖かいドラマが、戦争という暗雲立ち込める中に展開する画面がとってもきれいなのです。

平凡といえば平凡な映画ですが、ストーリー展開も無駄がないし、映像も美しいし、損をしたとは思えない一本でした。


「草原の実験」
ロシア映画で、SFと言われると、タルコフスキーを思い出し、解説にある衝撃のラストというと「惑星ソラリス」を考えてしまいます。全編、全くのセリフなしで展開する淡々とした物語だが、思いの外最後まで見ることができた。監督はアレクサンドル・コットである。

彼方まで広がる草原のど真ん中、羽毛のシーンから一人の男の寝顔のカット。彼は一人の娘と暮らしている。彼女に想いを寄せる幼馴染の少年と、どこからきたかわからない青い目の少年。

ある夜、兵隊たちが来て、父を取り調べ、ガイガーカウンターで車や父を調べる。その時雨に打たれ素っ裸にされた父は体を壊し、医師に連れて行かれるが戻ってきて間も無く死ぬ。一人のなった娘は、少年たちと戯れる。娘は一人車で出かけるが途中でガス欠。歩いていくと、有刺鉄線に阻まれる。

そして少年二人と戯れていると、突然彼方に原爆が落とされ、キノコ雲が舞い上がり、彼らはその爆風に飲まれていく。

地平線の彼方に太陽が昇るが、登り切らずに沈む。太陽ではなくキノコ雲だったのか?そして暗転エンディング。

娘の家の前の一本の木だけという景色、周りに何もない平原、ポツンと立つ一軒家、どこからともなく来る兵隊、有刺鉄線、この不思議な空気が、不気味さと、リアリティを生み出して、すごく映画的でした。実際の出来事をもとに作られたと言いますが、映像詩のような雰囲気を楽しむこともできた一本でした。


「顔のないヒトラーたち」
薄っぺらい脚本に基づいて作られたナチス糾弾映画というイメージの作品でした。アウシュビッツ裁判という歴史の史実に関わった人々の話なのですが、もう少し登場人物を掘り下げないと、表面的な部分だけを描いた感じで終わってしまう。結果、主人公の、正義感に燃えるヨハンが、鼻につくいけ好かないエリートにしか見えない。監督はジュリオ・リッチャレッリという人です。

学校の校庭で子供達が運動をしている。そばの教師が、門の外を通る一人の男を見つける。その男はタバコの火を探しているようなので、ライターを差し出すが、火をもらおうとして、その男が元ナチスだと気がつく。そしてタイトル。時は1958年である。

ナチス親衛隊が、学校で教師をしていると検事局の廊下で叫ぶ声を聞いた若い検事ヨハンは、その男の言葉に興味を持ち調べ始める。正義感に燃えるかれは、様々なところで、元ナチスの幹部たちが普通に生きていることに矛盾を感じ、さらに検事総長のバックアップもあり、幹部たちを犯罪人として告発すべく奔走し始める。

ただ、このヨハン、一方的にナチス党員を犯罪者として決めつける行動で、情け容赦なく逮捕していく姿は、ただ、頭でっかちのバカエリートにしか見えないのだ。だから終盤まで、かれに感情移入できない。

終盤、一旦辞表を出し、アウシュビッツを見に行き、自分の父もナチス党員だったと知るに及んで、ようやく、公平な視点に気がつく。しかし、ストーリー構成としては良くない。ここまで来てやっと、彼を認めるに及んでももう遅い。実話であるとはいえ、このヨハンという人物ももっと奥の深い描き方があったと思う。そのあたり、何も調べずに台本を仕上げたという適当さが目につく映画でした?