くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ジャッカルの日」「悪の法則」

ジャッカルの日

ジャッカルの日
死ぬまでにスクリーンで見たかった映画の一本。ご存じ、ドゴール大統領暗殺を描いた、フレッド・ジンネマン監督の名作。脚本はあの「ブラザー・サン・シスター・ムーン」「ブラック・サンデー」のケネス・ロスである。

テレビでしか見たことがなく、そのときの印象では、とにかくおもしろかったという感想だったが、今回見直してみて、やはり、すばらしくおもしろい映画だと改めてわかった。

二時間あまりあるのに、全く緊張感が途切れない。しかも、少しずつ、その緊張が高まっていって、クライマックスは、ルベル刑事と一緒になって、犯人であるジャッカルを探しているのだ。

そして、意外な登場と、その後の一気になだれ込むエンディング、そして、エピローグ。結局、ジャッカルは何者だったのか?このラストのうまさはまさにストーリーテリングのお手本のような出来映えである。

映画は、一人のバイクに乗る男が、ドゴール大統領の行動を追うところから始まり、そして、最初の襲撃。しかし140発もの銃弾を撃ち込んだのに、誰もけが一つしなかったため、暗殺組織OACはプロのスナイパーを外国から雇うことを決める。そして呼ばれたのが、ジャッカルと名乗る暗殺者。一見イギリス人だが、国籍は不明。

こうして映画はこのジャッカルがドゴール暗殺するまでの、組み立てていく計画をひたすら追っていく。変装に変装を繰り返し、それがばれるとまた次の姿に変わってしていくのだが、ばれる下りも、政府に送り込んだスパイからの情報とプロの殺し屋の感で一歩先を行くのである。

そして、間一髪で危機を逃れ、次第に舞台となるパリへ近づいていくジャッカル。大統領挨拶の解放記念式典の当日、カメラは延々と、路上の人々、パレードの姿、など様々な場面をとらえる。観客は、いったい最後にジャッカルはどんな姿で現れるのかわからないのだ。

そして現れるびっこを引いた男。障害者であることと、胸の勲章から傷病軍人で、名誉ある功績があるという勘違いから、すんなりと警官の追求を逃れ、狙撃場所へ。ここに、冒頭から事件を追いつめているルベル刑事がその警官とのやりとりのシーン。アパートをかけあがるシーン。最初の狙撃、運悪く、大統領が頭を動かしてはずれる。次の装填、刑事が飛び込む。そして有名なラスト、機関銃で壁にとばされて撃ち殺されるジャッカルのシーンへ。

うまい。これが職人監督の力量である。そこには芸術的な構図や、わざとらしいテンポづくりなど存在しない。その体で覚えた感で作り出す映像のリズムに、いつの間にか引き込まれ、とらえられているのである。

そして、イギリスの刑事がつぶやく「いったいジャッカルは何者だったのだ」。炉端の墓穴に埋葬されるジャッカルを見、去っていくルベル刑事。

ため息がでる。これが名作である。


「悪の法則」
もったいぶったせりふの連続で幕を開けるこの作品、要するに主人公のカウンセラー(弁護士)が、愛するフィアンセローラとの未来を夢見て、裏社会の仕事に手を染めてしまう。ほんの出来心だったが、それが身の破滅につながっていくというお話であるらしい。

と、根本的な物語は理解したのだが、いかにも、もっと裏がありそうな気がして、裏読みばかりいろいろ考えていたら、何のことかわからなくなって、ラストで、キャメロン・ディアス扮するマルキナが、銀行家をあいてに、私は飢えているのよとほほえんで暗転。なんだ、そういうことなんだ、考えすぎたかな?と思って呆気にとられてしまった。

確かに、麻薬組織の闇カルテルに絡んでしまう一般人のカウンセラーの末路という展開は、理解できるのだが、ハビエル・バルデムが意外とやわに殺されてしまうし、機転よく脱出したブラッド・ピットも結局、前半で説明された首を切る装置で殺される。いかにも黒幕的なスターたちが、あっけなく殺される終盤を見ると、では、前半で、闇カルテルのスペイン人らしい普通の悪人の人々の方が、大きな存在だったのかとおもうと、妙に映画の常道をはずれ、映画の映画たるおもしろさを逆手にとったコーマック・マッカーシーの脚本に翻弄されてしまった感じである。

裏を返せば単純な話で、それを、何かある何かあると勘ぐりながら、でてくるスターたちに焦点を当てていくと、意味不明になるという、なかなかくせ者の一本である。

ラストで、キャメロン・ディアスが微笑んで締めくくるのは、ファンとしてはうれしいのだが、あっけなかったというのが正直な感想。実際、前半の、思わせぶりな会話の応酬は眠くて仕方なかった。

映像派でもあるリドリー・スコットらしからぬと言えばらしからぬであるが、脚本のコーマック・マッカーシーの名前を見れば納得もいく。狐に摘まれた作品だった感じである。