くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「モービウス」「シャドウ・イン・クラウド」「オートクチュール」

「モービウス」

シンプルなストーリーと何の工夫もない映像、普通のマーベルコミック映画でした。監督はダニエル・エスピノーサ

 

医学博士のマイケルがジャングルの奥地へ行き、吸血蝙蝠を入手するところから映画は幕を開ける。そして25年前に戻る。血液の病気で松葉杖がないと歩けないほど弱っているマイロが、専門の病院へやって来る。先に入院していたマイケルも同じ病気で二人は仲良くなる。やがて成長したマイケルは、人工血液の完成でノーベル賞を手にする。間も無くして吸血蝙蝠のDNAと人間のDNAを結合させる研究をしついに成功する。しかし、自らの体で人体実験をするが、変異の過程で雇っていた傭兵を殺してしまう。

 

悪の実験に成功してしまったと思ったマイケルは、封印するべく画策するが、マイロがその血清を盗み、自らに埋め込んでしまう。そして、人間の血を貪る悪魔となる。マイケルはマイロの暴走を止めるべく、恋人のマルティーヌと協力して戦いに向かう。マイロはマルティーヌに怪我をさせてマイケルを呼び出す。マイケルは瀕死のマルティーヌに自らの血清を与えて、血を飲みマイロとの最後の戦いへ向かう。そして、開発した抗体を打ち込みマイロを倒す。マイケルの元に、スパイダーマンからの使者がやってきて映画は終わるが、マルティーヌも吸血鬼として蘇る。

 

マイロのバトルシーンはほとんどCGアニメ処理だし、あっさり終わってしまう展開もいかにもシンプル。何の変哲もない映画でした。

 

「シャドウ・イン・クラウド

クロエ・グレース・モレッツ、なんて映画に出るねんと突っ込んでしまうほどぶっ飛んだB級映画だった。サスペンスなのか、アクションなのか、ホラーなのか、ラブストーリーなのか、いや、結局これはコメディ、漫画みたいなコメディで、終始ツッコミと笑いに包まれてしまった。ある意味、めちゃくちゃ楽しい映画でした。監督はロザンヌ・リャン。

 

一昔前のスタンダードの陳腐なアニメから映画は幕を開ける。アニメというより空軍とグレムリンを茶化したカートゥーンである。そしていきなりのタイトルから、一人の軍服を着た女性ギャレットが、革の鞄を大事に抱えてオークランドの空軍基地の飛行場に立っている。時は1943年、極秘任務でサモアへ向かうギャレットは、目指す飛行機に無理やり乗車する。そして、大佐の命令書だというものを手渡すものの、席がないからと下部の銃座に閉じ込められる。荷物はウォルトという軍曹が預かることになるが、ギャレットは絶対に開けるなと念を押す。

 

銃座で男たちの下ネタトークに受け答えしていたギャレットは、飛行機の翼に巨大なネズミのような生き物グレムリンを発見する。何と、トワイライトゾーンである。(笑)ギャレットは左手を骨折したようにつっていたが、実は銃を隠し持っていた。その銃でその生き物を撃ち一旦撃退するが、間も無く日本軍の偵察機を発見、ギャレットは機銃で撃ち落とす。さらに銃座のハッチが壊れて機内に戻れなくなってしまう。

 

機内では、ギャレットの持ち込んだ革のケースを開けるかどうか騒動になっていた。グレムリンを見かけた兵士も現れ、機長らは革ケースを開けようとするが、ウォルトは必死で抵抗、しかし無理矢理ケースは開けられるが、何と中には赤ん坊が入っていた。えええええ、という展開である(爆笑)。しかも、ギャレットの恋人ウォルトとの間に生まれた赤ん坊で、ギャレットにはDVの夫がいて、サモアへ逃げる為にこの機に乗ったのだという。

 

そんなところへ、日本の零戦が襲いかかる。さらに、グレムリンも暴れ始め、グレムリンは革ケースを奪って翼下のところに現れる。ギャレットの銃座は破壊されて落ちてしまい、ギャレットは飛行機の下部を這いながらグレムリンに戦いを挑み赤ん坊を取り戻す。そして機銃座の穴から機内に入るが、零戦の攻撃で兵士は死んでいく。さらにグレムリンも機内に入ってくる。もうなんでもありである。(笑)

 

ギャレットは果敢にもグレムリンを追い落とし、零戦も全機落ち落とすが機長が死んでしまい、操縦の上不時着することになる。そして悪戦苦闘の末、不時着に成功するが、そこに羽根をもがれたグレムリンが現れる。もうここまでくるとギャレットは切れまくりで、グレムリンもこれはまずいと逃げ出すが、ギャレットに捕まえられ、めちゃくちゃ殴られた末、殺されてしまう。そして、革ケースの赤ん坊を抱き上げたギャレットは、おっぱいをあげて映画は終わる。エンドクレジットに、女性軍人の勇姿の古いフィルムが流れる。

 

とにかく、何でもありで、飛行機から一旦落ちていったギャレットが下で爆発した零戦の爆風で元の機内に戻ったり、次々とピンチの連続が、あり得ない展開で切り抜けて行く展開は、次第に笑いが込み上げてくる。なんともはちゃめちゃな映画だった。楽しかったけれどね。

 

オートクチュール

なんの変哲もない普通の映画でした。登場人物それぞれに視点が移りすぎて、細切れのドラマになって、肝心の主人公二人のストーリーがどんどんぼやけてしまった。画面が美しいわけでもなく、演出が秀でているわけでもなく、音楽センスが悪いのか、突然、歌詞付きの歌が流れて、場面のリズムを壊す。できが悪いというより、普通の作品でした。監督はシルビー・オハヨン。

 

ディオールでお針子をしているエステルは退職を通知されていて、最後のショーの準備をしている。この日も、アトリエに行く準備をしていた。一方、アラブ移民で団地住まいのジャドは友人のシアドと地下鉄でギターを盗み、地下街で弾いていた。通りかかったエステルが歌を聴いていると、シアドがカバンをひったくって逃げる。それを追うと言ってジャドは後を追うが、そのまま逃げてしまう。

 

ジャドはカバンの中から金の宗教のネックレスを見つけ、シアドや母に見せるが、悪いことが起こるからと返しに行くように進められる。バッグの中の身分証から、ディオールに勤めていると知ったジャドはカバンを返しに行くが、エステルはジャドの指を見て、お針子に向いているかもしれないからと、自分の弟子のようにしてアトリエに通わせる。

 

映画は、アトリエに通うジャドとエステルの物語に、ジャドがアトリエで知り合った青年との恋、ジャドの病気の母の話、シアドとの友情、エステルの娘の話などが語られていくが、視点があちこちに飛ぶので、終盤はなんの話だったか分からなくなり、最後はジャドの母も元気になって、移民たちも良い人でしたというオチになる。

 

本当に、何を語りたいのかがはっきりしない作品で、脚本の悪さと演出のセンスのなさが目立つ映画でした。