くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「英雄の証明」「アネット」

「英雄の証明」

これは恐ろしいほどの傑作でした。書き込まれた脚本の緻密すぎる伏線と、描きたいメッセージを包み隠してラストで明らかにする手腕。さらに登場人物の関係をものの見事に整理していく演出力の恐ろしさに圧倒されてしまいました。監督はアスカー・ファルハディ。

 

主人公ラヒムが刑務所から二日間の休暇で出てくるところから映画は始まる。かつて借りた金を返せず訴えられて収監されていた。ラヒムは恋人のファルコンデと会う。彼女は彼に彼女が拾った17枚の金貨の入ったバッグを手渡す。その金と義兄ホセインの援助で借金を返して出所させる為だった。しかし債権者のバーラムは、昔から騙されたままで返済もされず、ラヒムを信用していないからと拒否してくる。困ったラヒムはそのバッグを持ち主に返却することにし、張り紙で人探しを呼びかける。

 

連絡先をラヒムの刑務所にしていたので、持ち主だと名乗る女性は刑務所に連絡してくる。ラヒムは姉のマリに、持ち主と会って返却してもらうように頼む。マリはやってきた女サレヒに、事細かく確認した上でカバンを返す。その出来事を知った刑務所の所長や事務のタヒムが、宣伝になるとテレビ局に連絡、一躍ラヒムは善意の英雄として持ち上げられ話題になってくる。さらに彼を出所させようとチャリティ協会が寄付を募った上、彼に審議会での仕事も紹介する。しかし募った寄付金は十分ではなく、債権者のバーラムは受け取りを拒否する。

 

一方、ラヒムが審議会に仕事を頼みに行ってみると、そこの男は、今回の出来事はでっちあげかもしれないという噂がSNSに流れているにで真偽を確かめたいと話す。ラヒムは、直接持ち主に会っていない上に、持ち主の連絡先も聞いていないために途方にくれる。ラヒムは持ち主を乗せてきたタクシーの運転手からの入れ知恵で、持ち主をでっち上げたら良いと言われ、ファルコンデを偽の持ち主にして審議会ににやってくる。しかし、それも信じられないといい、困ったラヒムは、広がっている噂の謝罪も兼ねてバーラムに再度頼みに行くも受けてもらえず、そこでつい殴り合いになって、その動画がチャリティ協会などへ流れてしまう。困ったチャリティ協会は募った金は渡せないと言い始める。名誉だけを回復させるべく、ラヒムはこれまでの真相を全て話す。

 

そんな頃、死刑囚の夫を出所させる金を工面していた女、実は彼女がサレヒなのだが、彼女が、ラヒムに集まった金を回してほしいと懇願していたのだ。サレヒはチャリティ協会でたまたま、協会へ金のことで頼みにきたラヒムと会ったもののラヒムには分からなかった。やがて、寄付金が死刑囚を救ったという話題が広まり、ラヒムの名誉は回復される。刑務所にタヒムは再度、宣伝のためにラヒムの息子の動画を撮ろうとするが、一旦は撮ったものの、ラヒムは動画の削除を求める。ラヒムの息子は吃音があった。

 

やがて、ラヒムは再度刑務所に収監される。その日、サレヒの夫が晴れて出所してきてすれ違うが、ラヒムには分からない。彼方でサレヒと夫が話す絵と、手前でラヒムが手続きをする絵をしばらく見せて映画は終わる。

 

もう圧倒される作劇術と演出力である。サスペンスフルに展開するストーリーの見事さもさることながら、次々と登場する人物関係が、ものの見事に整理されていて、それが物語をちゃんと語っていく。これはこの監督の才能というほかありません。そして、死刑囚が金で釈放されるという馬鹿馬鹿しい法制度への皮肉も埋め込んである。これが映画を作る、映画を見せる事のお手本である。傑作でした。

 

「アネット」

期待しすぎていたというのもあるけれど、これってミュージカルなのという仕上がりがちょっと残念だし、物語も平凡だし、たしかに子供をCGで描くという発想は面白いのですが、それが全く生きていないし、なんのこともない映画でした。監督はレオス・カラックス

 

仰々しい前口上の後、主人公ヘンリーとアンその他の若者の群舞シーンのワンシーンワンカット長回しから映画は幕を開ける。そして、ヘンリーとアンはそれぞれのステージへ分かれていく。ヘンリーは人気のコメディアンで、この夜も客席を沸かせていた。このシーンが数回出るが実にしんどい。一方のアンは人気のオペラ歌手だった。ステージを終えたアンをバイクで迎えにいくヘンリー。二人は周知のカップルだった。

 

やがて二人は結婚、まもなくして娘のアネットが生まれる。ところが、ヘンリーの人気が次第に坂道を下り始め、一方のアンの人気は絶頂に向かって突き進んでいく。ヘンリーは次第に酒に溺れ始める。二人は関係を修復すべく、プライベートのヨットで船旅に出る。しかし嵐にあい、酔っていたヘンリーは無理矢理アンを甲板に連れ出し、アンは海に落ちて死んでしまう。ヘンリーはアネットとなんとか島にたどり着く。

 

ある夜、ヘンリーはアネットに、影絵を映し出すランプをプレゼントするが、その影絵を見ていたアネットはアンの歌声に負けず劣らずの歌声を披露する。ヘンリーは友人でアンのステージの指揮もしていた指揮者を呼び、アネットの歌声を聴かせ、アネットを使って世界中でショーをしようと提案する。

 

ベビーアネットの人気はみるみる上がり、世界中で大ブームとなる。ところが、気分転換に指揮者にアネットを預けて羽目を外しに遊びに行ったヘンリーが遅くに帰ってくると、アネットが、かつてヘンリーとアンが歌っていた思い出の曲を歌っていた。指揮者に問いただすと、指揮者は、アンがヘンリーと知り合う前に交際していてその時にアンに捧げた曲なのだと告白する。

 

酔っていたヘンリーは指揮者を外に呼び出し殺してしまう。ヘンリーは、アネットのステージを終えることを決意し、アメフトのハーフタイムショーで歌うステージを企画する。しかし、会場に立たされたアネットは、歌うことはせず、パパは人殺しだと一言発する。ヘンリーは逮捕され、収監される。

 

しばらくして、ヘンリーのところにアネットが面会に来る。ここまでアネットはCGで描かれたマペット的な映像だが、ここで初めてリアルな少女が登場する。そして二人で歌を歌い、ヘンリーは、最後に愛するものはアネットだけだと抱きしめるが、アネットは、パパが愛するものは何もないと言って去っていく。残されたのは人形のアネットとアネットが可愛がっていた猿のぬいぐるみだった。こうして映画は終わっていく。

 

アネットが生まれるまでの前半と後半のバランスも悪いし、ミュージカルであるというワクワク感が全く生きていないし、その上ストーリーに今ひとつ面白みもない。途中で出てくる、ヘンリーと関係のあった六人の女の糾弾する場面もあの場かぎりで意味がわからないし、全体に未完成かと思えるような映画でした。