「ウンタマギルー」
日本復帰直前の沖縄の姿を寓話的な描写で描いていく個性的な作品で、全編沖縄方言なので字幕が出る。不可思議な世界に放り込まれたような不思議な感覚に浸れる映画でした。監督は高嶺剛。
浜辺で頭に槍を刺された白塗りの男が歩いている。カットが変わると、沖縄民謡風に、今の沖縄の姿を揶揄しているような歌で踊り回るバンドの姿。沖縄を統治するアメリカ最高弁務官カジムニが赴任してきたのを面白おかしく歌っている。サトウキビを絞る仕事をしているギルーは、そばで淫豚草を吸っている艶かしい女を見ている。女の名はマレーと言って、西原親方の娘だと言われているが、実は運玉森の精から預かった豚の化身だった。ギルーの妹チルーは娼婦だが動物占いに凝っていて仕事はしていなかった。
村の毛遊びの祭りでギルーはマレーを森に誘って情事を行ってしまい、森の怒りを買う。森の妖怪でギルーと親しいキジムナは、ギルーに娘を助けてもらった恩義があるため、手術を行なってギルーの頭に聖なる石を埋め込み人間を超える存在にして森の精の怒りを避けるようにする。
ギルーは超能力を身につけ、自身も浮遊できるようになり、日本人の農場から家畜を盗んでは農民に与え、嘉手納基地から武器を盗んでは独立党に与えたりして義賊として崇められるようになりウンタマギルーと呼ばれるようになる。そんなギルーを西原親方は見えない目でギルーの母マトウの指示で槍を投げる練習をしてギルーを倒そうとしていた。チルーは西原親方の指示でカジムニの元に捧げられるようになったが、実はチルーはカジムニを愛するようになっていた。ギルーはそんなチルーを助け出す。
そんな中、村ではウンタマギルーのお芝居が行われようとしていた。役者がうまく演技できない中、ギルーとアンダクェが演じることになる。客席には槍を持った西原親方もいた。やがてお芝居が始まり、ギルーが登場する。そして浮遊術を行うが、西原親方が練習にと投げた槍が見事ギルーの額を打ち抜き、ギルーは死んでしまう。
ギルーに瓜二つのサルーがサトウキビ搾りの仕事をしている。キジムナがやってきて、ギルーの時と同じように黒砂糖をサルーにもらい森に消えていく。傍にマレーがいる。そこへ一人の男が来て、沖縄は日本に復帰したと叫び。ダイナマイトを持ってマレーのところに行き爆死する。こうして映画は終わる。
不思議な寓話という感じの一本で、日本復帰間近の沖縄の時代の変遷をファンタジックに描いていく様がちょっと面白い作品でした。