「ピクニックatハンギング・ロック」
どこか同性愛的な危険な香りが漂うファンタジックミステリーという感じの作品で、抑えた色調の絵作りと、多重露出による重ねた映像、緩やかなカメラワーク、それぞれの人間関係の微妙な色合いが不思議な作品に仕上がった感じが面白い映画だった。物語が淡々と進むので、劇的な流れを想像しているとしんどくなるかもしれないが、作品のまとまりは見事でした。監督はピーター・・ウィアー。
1900年バレンタインの日、オーストラリアのアップルヤード女学院、この日、裏山のハンギング・ロックへのピクニックが予定されていて、女生徒たちはどこかしら浮き足立っている。美しい少女ミランダを慕うセーラは、先生のいじめのような仕打ちでピクニックへ行くことを許されず、一人残されることになる。彼女は裕福な家庭の生徒ばかりのこの学院では珍しく施設から来ていた。
裕福な家庭のマイケルは叔父夫婦と一緒にハンギング・ロックへ向かっていた。叔父夫婦の気まぐれに同行して来たマイケルは使用人のアルバートと親しくなる。アルバートもまた施設出身だった。
ピクニックにきた女生徒たちはしばらく麓で過ごしていたが、時計が12時で止まっているのに付き添いのマクロウ先生らが気がつく。ミランダ、マリオン、アーマ、イーディスの四人はハンギング・ロックの岩を調べてみたいからと、マクロウ先生にすぐ戻ることを約束して岩山の奥へ進む。そんな四人をマイケルとアルバートが見かけ、マイケルはミランダに惹かれて四人の後を追う。
四人は途中、イーディスは疲れたからと休んだが、ミランダらは靴下を脱ぎ靴も脱いでさらに奥へ進んでいく。イーディスはそれ以上は行ってはいけないと叫ぶが、三人はさらに先へ進んだので、絶叫を上げて駆け降りていく。
学校では校長らが生徒の帰りが遅いと心配していた。そこへ女生徒を乗せた馬車が戻って来たが、ミランダ、マリオン、アーマ、マクロウ先生が戻らないと報告される。早速警察も出動し、捜索が開始されるが見つからない。イーディスは山を駆け降りる際、マクロウ先生がスカートを履かずに駆け上がる姿を見たと証言する。マイケルは行方不明の女生徒が気がかりだからと一人ハンギング・ロックへ捜索に行く。そして、自身は瀕死で戻って来たが、アルバートに、1人の女生徒を見つけたことを草に結んだメモで知らせる。
アルバートが岩山の奥へ進むとアーマが倒れていた。行方不明になって一週間が経ってのちの奇跡だった。アーマはほとんど怪我はしていなかったが、なぜかコルセットをしていなかった。やがてミランダとマリオンは死亡したことが告げられるが死体は見つからなかった。ミランダを慕うセーラは食事も取らず衰弱していくが、彼女の後見人が授業料を払ってくれないため校長はセーラに退学を宣告する。
校長は、先生らにセーラは後見人に連れて帰られたと話すが、学院の温室で屋上から落ちたらしいセーラの遺体が発見される。一方、アルバートには妹がいて、セーラという名前だというのをマイケルに話す。街の人々は行方不明も女生徒を探そうとするも、いつの間にかそれは、ワイドショーのような様相になっていた。
アーマはヨーロッパに行くことになり挨拶にくるが、生徒たちは真相を話せと責め立てる。やがて春が来て、生徒たちは実家に戻って行った。校長も喪服を着たまま謎の死を遂げる。
不可思議なミステリードラマという様相ですが、執拗にセーラをいじめる教師の存在、セーラに必要以上に世話をする教師、教師同士、生徒同士、生徒と教師などどこか危険な香りが漂う空気感が現実世界をかけ離れた雰囲気を醸し出す作品でした。
恐ろしいほどの映画だった。才能のある監督のデビュー作とはこれほどのものかと圧倒される映画で、独特の光演出による絵作りが、終盤恐ろしい結末に至る不穏な空気に満たされる様が素晴らしい。監督はソフィア・コッポラ。
1970年代、近所の少年たちが、リズボン家の13歳の末娘セシリアが自殺未遂をした所から物語が始まるというナレーションで映画は幕を開ける。浴室で手首を切ったセシリアには四人の姉がいた。敬虔な母ミセスリズボンと数学の高校教師ミスターリズボンの両親のもとで厳しく育てられていた五人の年子の姉妹に近所の少年たちは憧れを抱いて話題の的だった。しかし、姉妹は学校以外に外に出ることも叶わない厳しい日々を送っていた。
セシリアが退院して来て、リズボン夫妻は娘たちのことを考え、近所の少年たちを招いてホームパーティーを開く。外の世界と接する機会を作ったつもりだったが、ギクシャクした雰囲気の中セシリアは二階から落ちて生垣に体を刺されて死んでしまう。事故か自殺かわからなかったが、教会では事故として処理する。しかし、母も姉たちもすっかり気力を失ってしまう。
その頃、学校ではトリップという一人の青年が女生徒の間で話題になっていた。トリップは女生徒にモテまくっていたが、なぜかリズボン家のラックスは彼のことを気にも留めなかった。そんなラックスにトリップは次第に惹かれ始め、ミスターリズボンを説得してリズボン家でテレビを見るところまで漕ぎ着ける。さらにアメフトの試合の後のパーティに誘うためリズボン夫妻を説得、集団デートでラックスら姉妹全員とトリップの友人らとでパーティ出席を許してもらう。
パーティ当日、ラックスとトリップはキングアンドクィーンに選ばれ、二人はフットボール場で体を合わせる。他の姉妹は門限に戻るべく二人を放って帰る。翌朝フットボール場でラックスは一人目覚める。トリップはこの日を境にラックスと会うことはなかった。髪を切ったトリップが集団療法中のようなところでインタビューに答えている風な場面が挿入される。
朝帰りしたラックスはリズボン夫妻に激怒され、ミセスリズボンは、姉妹全員を学校を休ませて家に監禁する。さらにロックのレコードを処分させたりする。ラックスは、近くに来た男性と屋根の上でSEXするようになり。近所の少年たちはその様子を天体望遠鏡で見たりする。まもなくして少年たちは姉妹を助けるべく連絡する手段を考え、電話でレコードの歌詞を流して会話するようになる。
しかし、それもある時突然止んでしまう。しばらくしてラックスから合図が来る。自分たちを助けて欲しいという依頼だった。姉妹が脱出するのを助けるため少年たちは車を用意してラックスの家にやってくる。ラックスは少年たちを迎え入れ、自分は先に車に行くからと彼らを残す。少年たちは家の中で他の姉妹を待つがなかなか降りてこないので部屋に行くと、首を吊ったり、睡眠薬で眠っていたりすり姉妹を発見、ラックスも車の中で自殺していた。
リズボン夫妻は家を売却して何処かへ去り、住民たちは何事もなかったように元の生活に戻り、親たちは相変わらず子供たちを束縛している姿で映画は終わる。
柔らかい映像なのに、辛辣すぎる毒が次第に映画全体を覆っていく様が寒気がするほどに圧倒されます。完成品には後一歩ですが、恐ろしいほどの繊細な感性が生み出す映像が素晴らしい傑作だった。