くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「シネマの天使」「午後3時の女たち」「サヨナラの代わりに

kurawan2015-11-12

「シネマの天使」
こういう映画に、出来栄えがどうとかこうとか書くべきものではないと思うので、ただ、懐かしいノスタルジーに浸ることができたら、ベストだろうという感じで見に行った。確かにその通りの映画でした。

120年以上続いた実在の老舗映画館大黒座を舞台に、新入社員明日香が体験する不思議な映画の物語、という感じの作品。特に、驚く様な映像も演出も見るわけではなく、ただ、関係者が、懐かしさのあまり、そして映画に対するひとかたならぬ思いの丈を映像にしたという感じです。

単に、経営上の問題だけで閉館せざるをえなくなったのか、その辺りをぼかせ、支配人が最後の日を迎える映画館に寄せる思いをさりげなく語っていく感じです。

エンドタイトルで、最近閉館となった全国の懐かしい映画館の写真が映し出されるのは、胸が熱くなります。できれば大阪の映画館も閉館された幾つかを映して欲しかった。田辺キネマだけなのが残念で、千日前国際や、千日前セントラル、梅田ピカデリー、などなど、大阪にもあるのになぁという思いが残りました。


「午後3時の女たち」
サンダンス映画祭で評価されたのがわかる作品。ちょっと、個性的な作り方の映画だなと思える一本ですが、明らかに女性の視点のみで描かれている様で、終盤まで受け入れられなかった。監督はジル・ソロウェイです。

洗車機を通している主人公レイチェルの姿から映画が始まる。水流が窓を洗う中、レイチェルは、運転席から助手席、さらに後方席へと移動する。あたかも、普通の平凡な自分から抜け出そうとするかの様な演出である。その通りの、物語は、平凡な毎日に退屈している一人の女性レイチェルの物語なのだ。

夫婦生活もマンネリ化し、夫とのSEXもない。でも、見ていて当然にみえる。下着姿で当たり前の様に夫と向き合ったり、いざという時にゲロを吐いたり、色気というか女性の魅力を自ら否定しているのだ。当然、男性ならその気にはならない。

そんな生活に刺激を与えるために、夫婦でストリップを見に行く。そして、街角で、レイチェルはたまたまその時のストリッパーマッケナに会い、行き場をなくしたマッケナを家に住まわせることにする。レイチェルは、ママ友同士の毎日も、平凡すぎる毎日にも退屈さの極みを感じ、何か刺激を得ようとしたのだ。最初は、ボランティア的な気持ちだったレイチェルだが、どこか歯車が狂っていくのが見えてくる。しかも、マッケナは娼婦でもあったのだ。

そして、ママ友同士、夫同士でそれぞれの集まる夜、レイチェルは呑んだくれて友達に悪態をつき、男たちのところにはマッケナが現れ、酒を飲んで男どもに迫る。そして、帰ってきたレイチェルと鉢合わせして、マッケナは追い出され、夫との仲もギクシャクするのだが、平凡な生活が崩れて初めて、レイチェルは平凡さの大切さを知り、もう一度自分も女になり、夫とよりを戻す。

ラストシーン、洗車機の中の彼女は、座る位置も変えず、そのままの姿でエンディング。

最初にも書いたが、明らかに女性視点で一方的に語られていて、男の立場、感情に気がついていない鈍感な女の一方的な映画に見える。解説では、コメディだと書かれているので、なるほど、笑いで見るものかと思わなくもないのですが、特に、終盤までは、このレイチェルがいかにも醜い。ラストで、この作品の意図が見えるので、なんとか救いとはいえ、個人的には受け入れがたい一本でした。


「サヨナラの代わりに」
本来、難病ものは苦手なのですが、この映画は、素直に涙したし、考えさせられるところ一杯で、胸が熱くなってしまいました。なんといっても、主演のヒラリー・スワンク以上に脇役が抜群にいいのでこの映画が素晴らしくなった。それは、ベック役のエミー・ロッサムだけでなく、ベックの同室の女性もいいのだ。ほんのわずかなセリフに、ストーリーの中にリズムを作る。監督はジョージ・C・ウルフである。

映画はケイトとその夫エヴァンが、シャワーを浴びながら愛を交わしているシーンに始まる。そして友人を招いてのパーティ準備。そこで、ケイトはグラスを落としてしまう。そしてパーティの席で、ピアノを弾いたケイトはどこか違和感を覚える。

画面が変わる。ミュージシャンを目指すベックが、クラブで舞台に呼ばれるがうまくいかず、酒を飲んで、一夜の男とのSEXをする。いかにもダメ女という描写でステロタイプに登場する。一夜明け、慌てて飛び出すベック。時は1年半後、ケイトは車椅子生活を余儀なくされたALCという病にかかっていて、介護者を募集している。

ベックは学校の求職コーナーで、ケイトの募集を見つけやってきたのだ。しかし、何をやってもダメで、礼儀知らずなベックにエヴァンは難色を示す。しかし、何を思ったか、ケイトは彼女を雇う。こうして物語は始まる。

しかし、ベックのいい加減さは治ることなく、或る夜、ベックが飲んでいるとケイトから無言メール。駆けつけると、ケイトは階段の上で倒れている。トイレに行こうとしたのだというが、本当は死のうとしたのかも。

ここからベックはケイトと急接近、更にエヴァンの浮気も知れ、その上、形だけの付き合いのケイトの友人の素顔も見えてくる。さらにプールのリハビリで、同じ病気のマリリンと知り合い、物語はさらに動く。

最初に書いた様に、ケイトの周りの脇役のキャラクターがとにかく、素敵なのだ。マリリンが呼吸困難で入院して機械をつながれた時、私はこうして欲しくない時計とはベックに告げる。

やがて、エヴァンもケイトの元に戻るが、ケイトの容体は予断を許さない。ケイトの母はかなりのセレブらしいが、ここにきてようやくケイトのところに顔を出す始末。

やがて、ケイトの容体は最後の時が迫るが、彼女はベックに、もし自分に判断できない状況の時はベックに判断を任せると法的手続きをしていた?ベックは、ケイトの意思を尊重し、呼吸器をつけることをせず自宅に戻す。ケイトとベックが手を重ねてピアノを弾くシーンがたまらない。

そして最後を悟ったケイトは、エヴァンを外出させ、ベックにも部屋に入るなというが、ケイトの苦しむ声にたまりかねて、部屋に飛び込み、ベックの腕の中でケイトは息をひきとるのだ。

確かに、難病もののセオリーに近いストーリー展開だが、カメラは、あくまで前に前に進もうとする二人を軽快に捉えていく。しかも周辺のキャラクターの個性が際立つために、物語に深みが増してくるのだ。

一夜明け、ベックが玄関先で座っていると、以前からベックの心を向けていた男性がやってきて傍にしわりエンディング。

ケイトの死んでいく悲劇に涙が出たというより、病にかかってからのケイト、さらにベックの生き方に胸が熱くなった感じである。ベックの母がやってきて、ベックに良識を説くのも親として当然の行動であり、その辺りも常識的に書かれた脚本も好感である。

ケイトがエヴァンを追い出したのも、エヴァンの浮気ではなく、自分を見てくれないからだというあたり、さらに、自分は重荷だからと身を引こうとする気持ちの反面、エヴァンを愛しているという気持ちも語られる後半が素晴らしい。

全体に非常に完成度の高い一本だと思うし、秀作と評価してもいいのではないかと思います。いい映画でした。