くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ソフィーの選択」「旅猫リポート」

ソフィーの選択

メリル・ストリープが嫌いにもかかわらず、この映画はめちゃくちゃに良かった。終盤涙が溢れてくる感動、ネストール・アルメンドロスの美しいカメラ、次第に明らかになる主人公ソフィーの壮絶な人生。どの部分をとっても完成された映画になってます。素晴らしかった。監督はアラン・J・パクラ

 

新進の作家スティンゴがブルックリンに自分探しにやってくるところから映画が始まる。緑の木に囲まれたピンクの壁の洋館、この景色にまず引き込まれます。一目で気に入ったスティンゴは一階に住むことに。二階では何やら物音がし、翌朝激しい男女の喧嘩、そして飛び出してきた男ネイサンが恋人であろうソフィーを罵倒して飛び出していく。唖然と見つめるスティンゴにソフィーは優しい微笑みを投げる。左手にはナチスの収容所出身者を示す数字の刺青があった。

 

間も無くしてケロリとソフィーとネイサンの仲は戻り、翌朝、一緒に食事をしようとスティンゴは誘われる。能天気なほどに明るく振る舞うネイサン、それに応えるソフィーを見てスティンゴはすぐ二人が好きになる。

 

ある時、ハイキングに出かけた先でネイサンが何やら大きな仕事な成就したとはしゃぎ、ソフィーにドレス、スティンゴにスーツをプレゼントする。そして仕事に戻る。

 

ソフィーとスティンゴが夜、帰宅するネイサンを驚かせようとパーティの準備をしてまつが、昼と打って変わって風貌が変わったネイサンはソフィーとスティンゴの仲を疑うような罵声を浴びせる。そして、ソフィーからの贈り物の時計をシャンパンに沈ませ、悪態を吐く。

 

ソフィーのとりなしで、平静に戻ったかのようだったが、翌日、二人は出て行ってしまう。心配なスティンゴはソフィーを探す中、彼女の友達がいたという大学を訪れ、そこで彼女の父を知るという助教授に話を聞く。なんと彼女の父は反ユダヤで、ユダヤ人抹殺を提案した人物だった。

 

少しずつ見えてくるソフィーの人生。やがてソフィーは一人で戻る。そして、スティンゴの言葉に、自分がどういう経緯で収容所に行くことになったかを語る。スティンゴは思わずソフィーを抱きしめるもだが、何かの気配でソフィーが飛び出すと、外にうずくまるネイサンがいた。

 

ネイサンはソフィーに、なぜ収容所から無事帰れたのかを詰め寄り、ソフィーは収容所所長の秘書をしばらくしていたことを語る。そしてその所長に気に入られ、一緒に連れていかれた息子を助けてほしいと懇願するも、結局救えなかったことを話す。

 

そんなある時、ネイサンの兄からスティンゴに連絡があり、会ってみると、ネイサンは妄想失語失調症だと説明。突然発作的に切れるのだが、その様子を知らせてほしいという。そしてそのことはソフィーも知らないのだと話す。

 

帰ってみれば、また二人は出て行ったが、ほどなくしてソフィーだけ戻ってきて、すぐにネイサンから電話が入る。銃を持っていて喚き散らしていた。スティンゴは身の危険を感じソフィーを連れて、ブルックリンを離れワシントンのホテルに移動。そして、このままスティンゴの田舎の南部の農園へ行こうと誘う。

 

結婚を提案するスティンゴにソフィーは収容所時代の誰にも話していないことを告白する。アウシュビッツに連れていかれる時、子供は女の子と男の子がいた。しかし、途中で、殺される貨車と、収容所へ行く貨車と分ける際、ナチスの士官にどちらかの子供を助けるから選べと迫られたのだ。

 

選べないというソフィーに士官は二人とも焼き殺せと命令、勢い余って女の子を連れて行ってとソフィーは思わず叫んでしまう。泣き叫ぶ女の子を泣き崩れてソフィーは見送る。もうこのシーンは涙なしに見れないし、演じたメリル・ストリープの演技に引き込まれる。

 

そして語り終えたソフィーはスティンゴと体を交える。翌朝、目覚めたスティンゴの傍に別れを告げるソフィーの手紙があった。

 

引き返して、ブルックリンに着いたスティンゴの前に人だかり。ネイサンとソフィーがベッドの上で自殺した姿があった。最後はスティンゴの一人セリフで締めくくりブルックリンを離れて行ってエンディング。

 

ネイサンとソフィーが喧嘩するたびにソフィーがスティンゴに過去を語るストーリー構成のうまさ、緑や黄色、赤を交えた美しい色彩演出とそれに応えたネストール・アルメンドロスのカメラも素晴らしく。次第に明らかになるソフィーの壮絶なドラマにどんどん引き込まれてしまいました。名作とはこういうのをいうのでしょうね。素晴らしい映画でした。

 

旅猫リポート

普通の映画でした。それ故にやや長いです。物語もセリフもシーンもありきたりで変化に富んだものではないですが、ラストは涙が出ました。監督は三木康一郎

 

悟が飼い猫のナナを車に乗せて、飼い主を探しに出る場面から映画が始まる。つまり、なぜナナを手放すのかというのがストーリーの根幹なのですが、だいたいネタが割れて見えるから、脚本の弱さが見えます。

 

学生時代の友達を回るロードムービー的に進むかと思いきや、いく先々での思い出話の映像がややウェイトが高く、ナナの個性を見せる場面が少ないのはちょっと作り下手という感じです。

 

そして、悟がナナを引き取るに至る経緯や、その前に飼っていたハチという猫のことや両親の事故死、悟は養子であったというエピソードなどなどかなり薄っぺらい展開が続く。そして、悟の命は間も無く無くなることが中盤過ぎでわかり、そこから、結局ナナの引き取り手がなく戻ってきて、ホスピスに入る悟を外でナナが会うという終盤の展開へ。

 

臨終の場にナナが駆けつけて涙を誘ってエンディング。普通だね。素直というよりダラダラした脚本で、全然工夫が見られなかった。せっかく芸達者の高畑充希をナナの声にしたのにもっとうまく使うべきだったと思います。