くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「トイ・ストーリー4」「天気の子」

トイ・ストーリー4」

ディズニーを見るのはただ単純に楽しいから。今回も素直に楽しめました。監督はジョシュ・クーリー。

 

主人公ウッディが彼の新しい持ち主ボニーが作ったスプーンのおもちゃを助ける冒険。スプーンのおもちゃフォーキーは自分はゴミだと信じていて何かにつけゴミ箱に入ろうとするのをウッディたちが食い止める。一方で7年前に別れたおもちゃのボーとある移動遊園地のそばのアンティークショップで再会したウッディは彼女とともに、外で生きるおもちゃたちの様々な人生に遭遇していく。

 

これまでの、持ち主の成長とおもちゃの切ない話ではなく、おもちゃ同士の物語に焦点が移っているのはある意味、ネタが切れてきた感がないわけではないけれど、いろんなキャラクターのおもちゃが織りなす楽しいお話は、やっぱりディズニーと思います。

 

「天気の子」

監督は新海誠なので見に行った。透明感のある絵作りはこの人の特徴ですが、それを生かした雨と天気の描写は美しい。ただ、ストーリーテリングの甘さ、キャラクターの描き方が非常に薄いのがちょっと残念。「君の名は」も話題性で持ち上げられたもののアニメとしては普通の上くらいの作品と思ったが、今回は並の作品という感じでした。

 

田舎から東京に出てきた高校生の帆高、慣れない東京で次第に居場所をなくしてきた頃、陽菜という少女と出会う。彼女は18歳ということで、特技として、天気を晴れにする力があるという。そんな不思議な晴れ女と知り合った帆高は、半信半疑にサイトを立ち上げ、晴れにすることを仕事にし始める。一方、帆高は次第に陽菜に心が揺れるようになっていく。

 

次々と天気に変えていく陽菜だが、実は天気に変えることができる女性は人柱として、狂った気象を正常に戻す役割があることがわかる。そして大雨が降り続く東京で陽菜は消えて空に登る。

 

帆高は陽菜を助けるため、陽菜が晴れ女になるきっかけになった廃ビルの屋上の神社にいきそこから点に登り雛を助け出す。しかし帆高は田舎に連れ戻される。

 

そして3年後、再び東京に戻った帆高は陽菜と再会、ハッピーエンド。シンプルな話ですが、帆高、陽菜それぞれのキャラクターの背景の描写が弱く、薄っぺらく見えてしまうために物語も上滑りのファンタジーで止まってしまいました。「君の名は」は、まだ物語が荒唐無稽に展開するのでもったのですが、今回は、それほどのインパクトのある話でもないので、薄い仕上がりになった感じですね。凡作まではいかないけれど彼だけ話題作を出した後だけに、ちょっとものたりません。

映画感想「チャイルド・プレイ」(2019年版)「ポラロイド」「ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを」

チャイルド・プレイ」(2019年版)

オリジナル版の面白さといってもほとんど覚えていないのですが、今回は完全にハイテクになってしまった部分が不気味な怖さがない。ショッキングシーンもそれほど斬新な感じもないし、とにかく人形が可愛くないので、最初から不気味。監督はラース・クレブバーグ。

 

カスランという巨大IT企業が作ったAI人形のおもちゃバディが大人気というところから映画は始まる。ベトナムの工場で、上司に厳しく言われた作業員が恨みに思って、作っている人形の制限を解除。やがてある子供の元に行くが返品され、たまたま手に入れたのがアンディの母親。

 

アンディはバディのおもちゃを最初は可愛がるが、次第にその不気味さがわかってくる。自らチャッキーと呼ぶあたりの無理やり感はともかく、最新テクノロジーで動き出すおもちゃが、どうも不気味さを感じられなくて、顔つきも最初からおっさん顔で怖いので、そのまま不気味。

 

最後は、機械的に壊されてエンディング。やはりホラーはロマンが欲しいですね。見えない何かで動く不気味さというのがこういうホラーの醍醐味なのですが、やはりオリジナル版がベストという感じです。

 

「ポラロイド」

連鎖して殺されるというのはどこか「リング」に似ていなくもないですが、なかなか面白かったです。ただ怖さの点では普通かなという感じです。スプラッターを控えアイデアで見せていく演出は楽しいです。でもホラーなのでもう一工夫欲しかった。監督はラース・クレブバーグ。

 

一人の少女とその友達が屋根裏で少女の母の遺品を見ている。中にポラロイドカメラがあり、彼氏に見せるために友達に写真を撮ってもらう。友達が帰ったあと、何者かがこの少女を襲う。タイトル。

 

場所が変わり、とある骨董店、主人公バードがバイトをしている。そこへ友人がガレージセールで手に入れたとアンティークなポラロイドカメラを持ってくる。カメラ好きのバードは一眼で気に入りその青年を写真の撮り帰るが、直後、その青年は何かに殺される。

 

さらに、バードの女友達も不審な事故死をし、直前にあのポラロイドカメラで写真を撮り背後に奇妙な影があったことに気がつく。しかしすでにバードの友達四人もこのカメラで写真を撮っていた。

 

バードたちはこのカメラの持ち主を探し始める。そして、かつて娘をクラスメートに殺され、そのクラスメートを殺した殺人鬼の父の所有であることを突き止める。そしてその家に行くが、男は逮捕の時に死んでいて、復讐のために狙った四人のうち三人まで殺し、四人目を殺す直前で死んだことを知る。

 

なんと、その四人目とは、この町の保安官で、殺人鬼は復讐を遂げるためにポラロイドカメラで殺戮をしていたのだ。しかし、真相は、実は本当のサイコは父親だったことが保安官の言葉で知るが、すでにポラロイドカメラの殺戮は止まらない。

 

そして追い詰められたバードは、すんでのところで襲ってくる化け物を写真に収め、逆襲、燃やすことに成功する。

 

最後にカメラを海に投げ捨てて映画は終わるが、このあともうワンシーンあるのかと思ったがなかった。化け物が影のように迫ってくる前半は面白いのですが、その造形がはっきりしてくる後半は、ちょっと物足りません。

 

まあ、ショックシーンも見せ方も普通のホラーで、映りこんだ影が、後から撮った写真へ移っていくという「リング」のような連鎖の展開をもう少しサスペンスフルに使えばもっと面白くなったような気がします。

 

「ザ・テンプターズ涙のあとに微笑みを」

ザ・テンプターズ唯一の主演映画。気恥ずかしくなるような物語と展開の歌謡映画ですが、時代を感じさせるノスタルジーがたまりません。監督は内川清一郎。

 

これというお話はないし、前後の脈絡もないです。ただ、ザ・テンプターズの曲が次々と登場するだけの映画です。でも、楽しいですね。微笑ましいです。

映画感想「ニューヨーク 最高の訳あり物件」「さらば愛しきアウトロー」「誘拐報道」

「ニューヨーク最高の訳あり物件」

抜群の映像センスで見せる人間喜劇の秀作。一見とりとめもない話ながら、どこかにたどり着くものもなく笑いを繰り返し、ラストシーンを迎える。登場人物の存在意味が今ひとつ明確に見えてこないのは意図的なのか欠点なのかわかりませんが、面白い作品でした。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ

 

テンポ良い音楽とイラストのタイトルバックが終わると主人公ジェイドのアップ。夫のニックから離婚の話を聞いて戸惑う姿から物語が始まる。ジェイドは元モデルで今はニックの出資でファッション会社を設立している。

 

そんなジェイドの家に元妻のマリアがやってくる。こうして元妻と元々妻の二人の奇妙な同居生活がはじまる。今だにニックに未練のあるジェイドはニックの心を取り戻すべく努力する。ニックが心を移したのは若いモデルで、ジェイドはそのモデルに一言啖呵を切ったりする。

 

ジェイドは、事業の資金を得るため、現在の家を売ろうとするが、マリアは応じない。そんな時マリアの娘アントーニアが息子を連れてやってくる。最初はマリアと一緒だったが、彼女が植物学者で香水に興味があるのを知り、ジェイドは自分の事業に引き込み、オリジナルの香水を完成させる。

 

しかし、ブランドとして大きくしようというジェイドの言葉にアントーニアはそのつもりはないと息子をつれて去っていく。やがてジェイドのファッションショーの日が近づいてくる。そんなおり、ニックがモデルと別れたという噂を聞く。

 

やがて、ニックは二人の前に現れ、ジェイドに復縁を迫るが、かつての彼女から一歩成長したジェイドは、マリアと二人一緒ならと条件を出す。

 

やがてファッションショーが開幕。そして大成功。客席にはアントーニアや息子ニックの姿があった。こうして映画は終わる。

 

とにかく、オープニングタイトルから映像センスが抜群に美しいししゃれている。大きな家の空間のカットの美しさ、アングルの巧みさと、二人の女性のファッションも素敵。ただ、マリアがどういう立ち位置なのかが最後まで見えなかった。

 

とってもクオリティは高いのですが、もうちょっと物足りないところも見えないわけではなかったのは残念。

 

「さらば愛しきアウトロー

老人になったロバート・レッドフォードシシー・スペイセクが演技すればそれだけで人生の薀蓄を感じ取ってしまうのですが、普通の映画とはいえ、何か感じさせられる大人の物語でした。監督はデビッド・ロウリー。

 

一人の老人タッカーが銀行に入っていき、さりげなく金を奪って出てくるところから映画は始まる。フォレスト・タッカーは、紳士的に銀行強盗を楽しむ毎日を送っている。仲間の二人もすでに老人である。この日、一人で仕事を終え逃亡する中、車の故障で立ち往生しているジュエルという老婦人と出会う。彼女は一人で馬を飼育していた。

 

なぜか意気投合し、レストランんで食事の後電話番号を交換する。そして、タッカーは、一方で銀行強盗をしながら、ジュエルと会うようになる。物語はこの展開を淡々と描いていく。

 

ここに一人40歳を迎えた刑事ジョンがいる。これまで普通に仕事をこなし、それなりの年齢になり、これからどう生きるか考えたりもしていたが、ある銀行強盗の事件を担当することになり、それが、以前から起こっている事件と似ていることに気がつく。それこそタッカーが若き日から繰り返してきた事件だった。

 

一連の事件の関連を突き止めたことでジョンは有名になるがまもなく事件はFBIの担当に変わる。しかし、ジョンとタッカーには不思議な絆が生まれていた。

 

そしてとうとう、タッカーは逮捕され、これまで繰り返してきたように脱獄を考えていたがジュエルに諭され刑期満期まで務め、ジュエルの家に住むことになる。しかし、タッカーは再び強盗を始めるというテロップで映画は終わる。

 

とにかく、ロバート・レッドフォードシシー・スペイセクの老練のいでたちが素敵な映画です。自分たちの青春を思い起こすような映画でした。

 

「誘拐報道」

非常に密度の濃いサスペンス、いや人間ドラマの傑作。2時間以上あるのに全く緊張感が緩むことがない。見事な作品です。監督は伊藤俊也

 

小学校で古屋夫婦の娘が体育をしている。彼女にちょっかいを出す男の子は三田村夫婦の息子。どうやらこの男の子はこの女の子が好きらしい。誰もが経験のあるシーンから映画は幕を開ける。この女の子も男の子に好意を持つ。そんなカットの後、この少年が誘拐される。

 

報道管制が敷かれ、警察の捜査も始まる。映画はこの後、犯人の古屋数男と三田村夫婦との駆け引きに警察の捜査、新聞社の情報収集の模様がひたすら描かれていく。

 

報道陣の映像をひたすら捉え、やがて犯人古屋数男が車のトランクに少年を乗せて連れまわす方へ視点が移る。なかなか取引がうまくいかず、一方子供への愛情は全くないわけではないので扱いに困り始める。

 

二進も三進もいかなくなり、とうとう諦めたところへ通りかかったパトカーに止められ逮捕される。そして、古屋の妻芳江が娘を連れて田舎に旅立ち、報道陣も解散して散り散りになって映画は終わる。

 

どこにも悪は存在せず、それぞれの必死の思いで行動する姿を描写していく映像が素晴らしい。下手をするとテレビのサスペンスレベルになるところを映画に仕上げた見事な演出に脱帽する一本でした。

映画感想「Diner ダイナー」「さよなら、退屈なレオニー」「救いの接吻」

「Dinerダイナー」

監督は蜷川実花ですが、彼女には静止画の絵作りはできますが映画の絵作りはできない。これは今回も同じでした。個々のカットはサイケデリックで彼女の個性が出るのですが、カメラワークが加わると実に平凡なものになってしまう。しかも殺し屋が殺し屋に見えないし、玉城ティナのキャラクターが弱すぎて映画が勢いづいてこない。脚本の弱さで、登場人斑が全員一緒に見えてしまう。まあ普通の映画でした。

 

いかにもシュールな映像ですと言わんばかりに、毎日に悩み暮らす主人公オオバカナコの場面から映画は幕を開ける。夢のメキシコに行くために一攫千金三十万円のバイトを申し込んでなにやら殺されそうになる。そして、連れていかれたのがボンベロという男がシェフをする殺し屋専用のダイニング。

 

とまあ、映画センスのない蜷川監督の取ってつけたような演出と色彩表現がまず前面に押し出される。原作があるのでなんとも言えないが、どうやら殺し屋たちをまとめていたボスが殺され、その犯人探しとこのダイナーの摩訶不思議な空間のお話なのだが、どれも中途半端で、全然メリハリが見えてこない。

 

結局、真犯人は見つかったものの、ボンベロと殺し屋の対決になって、オオバカナコは脱出して夢のレストランを始めたところへ、瀕死の重傷から立ち直ったボンベロと犬の殺し屋菊千代が現れ御涙頂戴のエンディング。

 

スローモーションで花びらが舞ったり、カメラをふり回した演出を繰り返すものの、全体の流れに美しさもオリジナリティも見られず、さらにキャストの演技演出が明確にされていないので塊にしか見えない。

 

犬の菊千代も役不足に終わるし、出てくる殺し屋の個性がただのサイコにしか見えない。ボンベロ自身もそんなすごい殺し屋にも見えない。結局脚本の弱さ、アクション演出の弱さをおざなりにして、ただ自分好みのサイケな映像ばかりの映画になってしまった感じです。

 

「さよなら、退屈なレオニー」

映像のセンスがいいのか、たんたんと進む何気無い物語なのに、映画の中の引き込まれていきます。画面の構図もどこか清々しいほどに洗練されているし、登場人物それぞれが平凡なようでドラマチック。主人公レオニーの心の揺れ動きもテンポよく描かれています。監督はセバスチャン・ピロット。

 

レオニーが道に立っている。これから母の恋人でラジオのDJポールの誕生会に呼ばれていた。レオニーはとりあえず出席するが、手を洗うと言ってたち、そのまま店を後にする。そして通りかかったバスに飛び乗ってタイトル。このオープニングが素敵。

 

レオニーの実父は組合のリーダーだったが、組合活動で会社を追われ会社自体も無くなった。それを非難したのがポールだった。高校卒業まで1ヶ月のレオニーだが将来の目的もなくイラついている。

 

そんな時町のカフェでギター講師のスティーブと知り合う。とりあえずギターを習い始め、スティーブと過ごすうちに何か目的が見えないかと模索するが、見えてくるものはない。恋愛感情が生まれるわけでもなく、付き合いを続ける。

 

そんなレオニーは町外れに住む実父とのひと時が心の支えだった。物語はそんなレオニーが何気なく過ごす日常を捉えていくが、挿入される音楽のセンスがいいし、時に大きく画面を捉えた構図など映像のテンポも実にいい。

 

レオニーは夜のグラウンドの整備のアルバイトを始める。

ポールはレオニーと親しくなろうとするが、憎むだけのレオニーにはが立たず、実父がかつて母を殴ったことを教えてしまう。心底実父を慕っていたレオニーは実父に問い詰め、帰ってきてポールの車をバットでめちゃくちゃにする。

 

レオニーは行き場もなく、ギター教室もやめ、スティーブと知り合ったカフェに行く。そこへやってきたスティーブ。二言三言話してレオニーは店の外へ。そこに止まっていたバスに飛び乗っていずこかへ走り去って映画は終わる。

 

レオニーが管理しているグラウンドの灯りがつかず、真っ暗な中でキャッチボールをする場面、それに続く暗闇の中に見えてくる蛍の明かりなど素敵なカットもたくさんあり、映像センスの良さが伺える。レコードを流し、曲を挿入する選曲も物語にリズムを生み出してとってもいい。傑作というレベルではないですが、素敵な秀作という感じの一本でした。

 

「救いの接吻」

淡々と進む夫婦、家族、親子の物語。その根底にある愛の物語はひたすら心象風景として描かれていく。監督はフィリップ・ガレル

 

映画監督のマチューが妻で女優のジャンヌに、今回の作品の配役から外すという話をしそれに反発するジャンヌの姿から映画が始まる。

 

息子のルイへの愛情を交えながら、妻との関係にどこか隙間が生じている夫婦の愛の行方の物語。新たに配役された女優との関わり、マチューとジャンヌの夫婦の関係、そして三人の家族の物語。

 

時にカメラはそれぞれの表情に食い入るように迫り、時に延々と言葉を語る姿を追っていく。その合間に、息子ルイの愛くるしい姿を挿入し、絆がしっかりしているようでどこか脆い家族の姿を描写していきます。

 

結局、崩壊していったのでしょうか。駅で一人になるジャンヌの姿で映画は終わります。

どうもフィリップ・ガレル監督作品は苦手ですが、並の作品ではないことだけは理解できるかなという感じでした。

映画感想「ハッピー・デス・デイ 2U」「アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲」「二十歳の原点」

「ハッピー・デス・デイ2U」

癖になるくらい面白い。とにかくテンポがいい。乗りの面白さは前作同様ですが、さらにちょっとジンとくる展開も挿入し、前作を凌ぐほどの楽しさを見せてくれました。監督はクリストファー・ランドン。

 

前作でカーターの部屋で目覚めたツリーの前に飛び込んでくるカーターの友達ライアンが車の中で目覚め、いつものように研究室にいくが、そこで仮面を被った殺人鬼に襲われる。そして、なんと彼は時間のループに閉じ込められ、繰り返すことに。一方のツリーはループから逃れカーターとの楽しい日々を送っていたが、ライアンの言葉に自分と同じ境遇になったことを知る。

 

そしてライアンはある研究をしていて、どうやらその研究で作ったシシーという装置のためにこんなことが起こったのを知る。しかも、もう一人のライアンが現れ、それを消すために装置を動かしたために、再びツリーがループに戻されてしまう。

 

ところが、新しいループの世界では、死んだはずの母は生きているし、カーターは嫌いなダニエルと恋人関係、さらにロリーはいい人になっていて、ツリーが不倫していた教授ガブリエルと不倫関係にあった。

 

そこで、ループを閉じることを考えるが、除外する関数を見極めるためにツリーが何度も死んで試行錯誤を完成させていくことになる。

 

あとは同様の展開がテンポよく進み、やがて成功、最後に装置を起動させることにするが、ツリーは母が生きているこの世界の残るか前の世界に戻りカーターとの恋愛関係になるか選択を迫られる。

 

そして最後の最後、以前の世界に戻ることを決意、装置を稼働させるが、すんでのところでハプニングになりかける。期限の時間が迫る中、ロリーを助けるためにツリーは病院に向かうが、なんと仮面の犯人はガブリエルとなっていた。

 

しかし、なんとか危機を脱出、ツリーは元の世界へ。エピローグで政府機関がシシーに興味を持ち、ライアンらを招致することに決定。ループの被験者にダニエルを選ぶことにしてエンディング。

 

なんとも痛快なくらいに面白いし、悪ノリも連発してくる今作は前作をさらにバージョンアップ。SF的な機械の登場でちょっと俗っぽくなったとはいえ、前作の謎をさりげなく明かしながらの新たなサスペンスコメディは本当に楽しかった。ここまで作り込んで脚本ならシリーズになってもいいくらいですね。

 

アイアン・スカイ第三帝国の逆襲」

第一作から7年たっての続編。下品な悪ノリととどっかで見たようなストーリー展開と大作と言わんばかりのCGで、ちょっと癖になるようなカルト映画ですが、これはこれで見てしまいました。監督はティモ・ボレンソワ。

 

月面裏のナチスの攻撃を撃退したもののその後の核戦争で地球は荒廃、生活できなくなった人類は月のかつてのナチスの基地で生活していた。しかしここも資源が枯渇。そんな時、ロシアのオンボロ宇宙船が軟着陸、地球の地下にロスト・ワールドがありそこに資源があることを知った主人公オビは、メンバーを募ってオンボロ宇宙船で地球へ向かう。

 

このオンボロ宇宙船、ミレアムファルコンのガラクタ版のような出で立ちというのがまず笑う。そしてオビたちは地球の深層部に到着、そこはなんと名だたる政治家や指導者がゾンビと化し、人肉を食らう不気味な街だった。しかもリーダーはヒトラーで、様々な有名人の化け物がいた。スティーブ・ジョブズのゾンビなども出てきて笑ってしまう。

 

そしてそのエネルギーの源は、聖杯という、どっかで聞いたネタだったりする。そしてアドベンチャーの末に聖杯を持ち帰り、オビーたちは一路火星を目指す。エンドクレジットの中、火星の裏側にはソ連のマークの基地があり…というオチがありエンディング。

 

まぁ、悪ノリの塊のような映画で、決して脚本に凝っているようなものも見られないカルト映画ですが、癖になる麻薬のような面白さがある一本です。

 

二十歳の原点

原作も読み、何十年も前に見た作品を久し振りに再見。監督は大森健次郎。

 

初めて見た時もそうでしたが、ストレートに感情移入する感じはありませんでした。しかしたんたんと一人ゼリフで紡いでいく物語は、ラストシーンで一気に爆発するように迫ってくるものを感じます。

 

果たして彼女がどう感じ、どう考え、どういう苦悩の末に死を選んだのか、いや、選んだわけではなく、気がつくと死に囚われていたのか、その真相は残された日記の中にだけあるのかも知れません。

 

見終わるともう一度見たくなる。読み終えるともう一度読み直したくなる。そんな、心に残しておきたい作品の一本です。

映画感想「初めての旅」「新幹線大爆破」「白鳥の歌なんか聞こえない」「戦争を知らない子供たち」

「初めての旅」

これは良かった。青春映画の秀作という感じのロードムービーでした。下手に綺麗事で済まさない展開も見事。監督は森谷司郎

 

青年勝が道端のスポーツカーを見つけるところから映画が始まる。たまたま通りの向こうに純一という青年が通りかかり、二人でこの車を盗んで走り始めて物語が始まります。

 

純一は富士山の裾野で牧場をしている叔父の元に行きたいと言い、二人は、そこを目指して進みます。途中、これまでの二人の過去を回想し、映像が挿入されて、ロードムービーに深みを添えていく脚本も素晴らしい。

 

そして、目的地につきますが、折しも警察がやってきて二人はは逮捕される。護送の途中で、ドライブの途中で知り合った少年が事故に巻き込まれていたりするのを目撃。

 

取調室で、二人の親のことを聞かれ、純一の父が法務省の次官だと明らかになると、二人の扱いが変わってしまう。そして二人は引き離されて映画が終わる。

 

勝のやるせないような表情が印象に残るエンディングです。小椋佳の曲に乗せて展開するストーリーが妙な哀愁を帯びるなかなかの名作でした。

 

新幹線大爆破

何度目かのスクリーン鑑賞。大好きな映画です。改めて見ると、その脚本のすごさに圧倒されてしまいました。スピーディな展開のみでなく、官僚側と市民側の対峙まで描かれている二重三重に書き込まれた奥の深さに感嘆してしまいました。監督は佐藤純彌

 

物語は今更なので書きませんが、冒頭の貨物列車に仕掛ける場面から、タイトルバックへの畳み掛けのうまさ。いきなり本筋に入って緊張感あふれるサスペンスが展開。そしてその中で描かれる官僚側の事務的な仕事と現場の対峙。もちろん皆必死になって自分の仕事をこなしているのに、どこかずれていることに気がつかないほんの僅かな機微が恐ろしいほど緻密に描かれています。

 

ラストシーンの哀愁に至るまで、いつのまにか犯人に同情してしまう自分に気がつきます。犯人の背景はほとんど描写されないのに、なぜかその人生が見事に見えてくるのですから、これはもう一級品を超えたドラマです。

日本映画のサスペンスの最高傑作かもしれませんね。本当にいい映画です。

 

白鳥の歌なんか聞こえない」

今の視点で見るとなんともうじうじした男の物語なのだが、非常に知的な青春ドラマとしてはかなり良く出来た作品だと思います。セリフの一つ一つ、会話劇の一つ一つが洗練されていて、不思議なくらいのみずみずしさが垣間見えてきます。いい映画ですね。監督は渡辺邦彦。

 

大学入試に失敗した主人公薫は恋人由美と過ごす日々をなんとなく過ごしているところから映画が始まる。

 

由美は大学に入ったが、彼女の先輩で、ちょっと大人の雰囲気の女性小沢と知り合うことになる。一方薫の周りには小林や横田らの友達が出入りし、日々の生活をそれなりの目的で過ごしている。

 

淡々と過ごす薫の物語ですが、窓を開けると蜘蛛の巣が朝日に光ったり、雨や夜の空気感がとにかく繊細な映像で描かれていく。

 

小沢は近所にいる、何かに力のあるらしい老人のことを気にかけている。恋人なのか愛人なのかは説明がないが、この老人は間も無く命を終えようとしているらしい。

 

薫の日々の生活を描きながら、恋人由美とのエピソードに小沢と老人のエピソードが絡み、最後は老人の死で映画は終わる。

 

どういうお話かというほどのものがないのに、この不思議な空気感はなんだろうと思いますが、洗練されたセリフの応酬と、細やかな映像描写が素敵な映画でした。

 

戦争を知らない子供たち

なんとも雑多な映画で、ジローズの名曲に基づいての映画とはいえ全く一貫性の見えない演出と脚本は、ノリだけしか言いようがないが、これもまた時代を見る作品としては楽しむことができました。監督は松本正志。

 

二人の学生一郎と敏夫は仲良しであるが、たまたま米軍基地のそばを歩いていて、なぜか捕まって、なぜか謹慎処分になる。一方、教室でキスをしていた敏夫と君江も先生に咎められて、謹慎に。

 

そんなことに反感を持った三人は教室n立てこもるが、仲間に来たクラスメートもすぐに抜けてしまい自然崩壊。そこで三人は旅に出て、旅回りの役者に混じってのひと騒動の後、学校に戻ってくるが、校庭に不発弾が見つかって、大騒ぎになるが、一郎はその不発弾のそばで立てこもるものの、結局、春になれば晴れて学校へ行く姿でエンディング。

 

色々、当時の世相の映像が挟み込まれ、一見自由な発想でシーンが紡がれているようで、全く統一性がない行き当たりばったりにしか見えない。でもまあ、楽しい映画でした。

映画感想「いちごの唄」「ゴールデン・リバー」「僕はイエス様が嫌い」

「いちごの唄」

期待もしていなかったけれど、意外に普通に見ることができた。特に欠点もないが、特に目を見張るものもない映画ですが、良かったです。監督は菅原伸太郎。

 

冷凍食品会社に勤めるコウタが、レンジをにらんでいるところから映画は始まる。自社の食品に愛着を持っているが、ちょっとおかしいのかなというキャラクターとして登場する。

 

ある時、通りで中学時代あーちゃんと呼んでいたマドンナ千日と中学校以来で再会する。そして、たまたまあったラーメン店でラーメンを食べて、夕方まで話をして別れるが、毎年この日、七夕に会うことを約束をする。

 

中学の頃、コウタは伸二という友達がいて二人で、千日のことをあーちゃんと呼んでいた。いつも自転車で坂を下り、近所の孤児院が作っているレタス畑に飛び込む遊びに夢中になっていた。

 

ある雨の日、いつものように自転車で下っていた二人の前に、雨でスリップした軽トラが走り抜けていく。そしてあーちゃんのほうへ向かったと思ったら、伸二があーちゃんを突き飛ばし助けて、伸二のこけたところに軽トラが突っ込む事故が起こる。伸二は亡くなり、二人はそのことで心の傷を負っていた。

 

毎年七夕にコウタはあーちゃんに会ううちに、密かな恋心が生まれてくるが、ある時、中学時代あーちゃんが孤児だった話をした後、もう会わないことを決める。

 

そして、久しぶりに田舎に帰ったコウタは、家族の愛情に触れ、久しぶりに中学時代の自転車に乗ることを決意する。そしていつもの坂に向かっていた時、たまたま田舎に帰ってきたあーちゃんと再会する。あーちゃんは孤児院の院長に再会し、彼女がただの捨て子ではなかったと聞かされやっと前向きに生きる決心をしていた。そして二人で坂を駆け下り、今や千日紅の畑に変わっているかつてのレタス畑に飛び込んで映画は終わる。

 

伸二も孤児院育ちでその時に千日と出会った過去や、いちご園という孤児院名が気に入らずストロベリーフィールドと呼んでいたこと。そして、その意味は千日紅のことで永遠の愛を意味することなどが最後に明らかになっていく。

 

ラーメン店の店員やコウタの兄弟、家族のユニークなキャラクター作りも楽しい一本で、最後まで飽きずに観れるいい映画でした。

 

「ゴールデン・リバー」

とっても真面目な西部劇。じわじわと胸に迫ってくる人編ドラマの秀作。美しい映像と心温まる人間味あふれるドラマにいつの間にか引き込まれていってしまいました。監督はジャック・オーディアール

 

時は1851年オレゴン、名の通った殺し屋シスターズ兄弟が折しも仕事の殺しを行なっている場面から映画が始まる。彼らには雇い主がいて提督と呼ばれる男だった。そして次の仕事は、黄金を見つけ出すことができる薬品を手にしたというジョンとハーマンを捉えることだった。

 

物語は二人が手がかりを探りながらジョンたちを追うのが中心になる。いくところで、有名な殺し屋シスターズを殺そうとする輩などをかわしながら、ついにジョンらに追いつく。ところが、いつまでも戻ってこないシスターズに提督の追っ手も迫ってくる。

 

ジョンらとイーライとチャーリーのシスターズ兄弟は手を組んで金を探ることにする。そして刺激の強い薬品を川に撒き、金が浮かび上がってくる。思わず我を忘れて金を集めているうちに、つい欲が出て追加の薬品を撒こうとして、チャーリーは右手に重傷を負い、ジョンらは死んでしまう。

 

チャーリーは右手を切断し一命を取り留めるが、提督の追っ手が次々とシスターズ兄弟に迫ってくる。イーライは一人で追っ手を迎え撃ち、この事態を解決するために提督を撃つべくオレゴンに戻ってくるが、なんと提督は病に死んでしまったところだった。

 

何もかも虚しくなり、シスターズ兄弟は実家に戻ることにする。迎えたのはたった一人暮らす母だった。食事をし、風呂に入り、平穏な日々を満喫する二人の姿で映画は終わる。

 

美しい景色のショットと、緊張感あふれる銃撃戦、そして実家でのノーカットの流麗なカメラワークの末のエンディングと、全体の映画のリズムが実にいい。地味といえば地味な西部劇ですが一見の価値のある秀作でした。

 

「僕はイエス様が嫌い」

なぜシネコンにというレベルの作り方の作品ですが映画としてはクオリティが低いというわけではない。でも、細かい部分のリアリティは適当に済ませているあたりは、ちょっとどうかと思います。監督は奥山大史。

 

雪深い田舎に東京からやってきた由来。転向した学校で間も無くして和馬という友達ができる。この小学校はなぜか礼拝が行われていてキリスト教である。由来はお祈りをしようとするとなぜか小さなキリストが現れるようになり、希望をすると軽く実現することがわかる。

 

物語はこのキリストとの絡みより由来と和馬の交流が中心になるが、ある時、和馬が交通事故に遭い、間も無く死んでしまう。こんな時こそと由来はキリストを呼び出そうとするが結局叶えられずにお別れの会になる。

 

由来の心の動きを静かなタッチで捉えていくカメラがちょっと素敵な作品で、70分あまりという小品ながら、映画としてはちょっと魅力がありますが、シネコンで普通の入場料で公開する作品かとは思います。