くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「忠直卿行状記」「ゾンビ」(日本初公開復元版)

忠直卿行状記

非常に骨太に作られた時代劇で、一人の人間の心の浮き沈み、世の中の現実の機微を交えて奥の深い仕上がりになっています。その意味で、いわゆる娯楽としての時代劇とは一線を画した傑作とも呼べるかもしれません。監督は森一生

 

大阪城が燃え落ちる場面から映画が始まる。真田幸村を倒したという武勲で徳川家康から直接褒められたのが、主人公忠直卿。家臣からも慕われ、徳川幕府からも信頼を得た忠直は、祝宴の席で、槍試合をしようと軽い気持ちで提案する。時はまだまだ徳川安泰に至らない不安定な時代、武芸を重んじる忠直は、誰からも英雄として崇められていた。そして槍試合で白軍の大将となった忠直は、当然ながら向かうところ敵なく槍試合を終える。

 

ところが、その酒席で、忠直は酔い冷ましに中座している所で、忠直がいるとも知らず槍の師範らが、これまで同様に手加減してきたという話をする。これまで、誰彼ともなく人の上に立つべくして育ってきた忠直は、全てが偽りであったことを知り、急遽、再び槍試合を行い、真剣による試合を提案。槍の師範らは、巧みに負けたものの、その後切腹してしまう。

 

人を信じられなくなった忠直は、みるみる生活が荒んできて、酒と女に溺れていくようになる。しかも、進言してきた筆頭家老さえも手にかけるに至り、幕府は、忠直を排除すべく動き出す。しかし、実はあまりに優れていた忠直を目の上のコブと見た幕府方は小山田ら老中を操り、忠直を排除しようとしていた。

 

やがて幕府の勅使が、忠直に沙汰をすべくやってくる。その勅使は忠直の母であった。母は忠直に、あまりに優れた人物であった故にこのようになったことを嘆き、本来切腹という幕府の命令であったが、そこは母が命乞いし、隣国への蟄居を命令する。思い起こせば常に孤独であった忠直は唯一信じる与四郎が身近にいることにようやく救いを得て、蟄居先へと出向いて映画は終わる。

 

人間ドラマとしてしっかりと描かれたストーリーは、流石に菊池寛原作の迫力。市川雷蔵の迫真の演技が映画を一級品に仕上げていく。見応えのある一本でした。

 

「ゾンビ」(日本初公開復元版)

ジョージ・A・ロメロの傑作映画を、初公開時日本公開版のみに存在した惑星爆発シーンやその後の説明、残酷シーンのストップモーションやモノクロ処理、細かいカットなどを再現して、新たに公開したもの。つまり、すでにフィルムは存在していないということですね。

 

やはりこれは傑作ですね。もちろんB級映画ですが、スーパーマーケットへ駆け込んだものの、欲が出て、ゾンビなどそっちのけで品物を盗んだり、その後、暴走族のような集団が襲いかかってきたり、ゾンビの恐怖よりも、人間が怖くなってくる展開は素晴らしいと思います。

 

映像的にも、殴り砕くシーンをストップモーションで、一部カットした処理や、グロテスクなシーンをモノクロ処理したことで、スピード感とリズム感が生み出され、さらに背後のテンポ良い音楽とのマッチングが見事で、こういう映像処理をした日本ヘラルドのスタッフの才能の拍手したいです。

 

ラストは、一旦は自殺することを決めた黒人ピーターが気を取り直して脱出して、ヘリで待っている女性と彼方に飛び去るラストシーンも素晴らしい。

 

偶然の産物の部分があるとは言え、今だにゾンビ映画の最高峰だと思います。

映画感想「歌行燈」「切られ与三郎」「ジュマンジ ネクスト・レベル」

「歌行燈」

目の保養になるくらい美しい色彩と構図の画面が素晴らしい。傑作とはこういう映画を言うのだと言わんばかりの素晴らしい映像芸術を堪能しました。監督は衣笠貞之助

 

場所は伊勢、明治三十年頃、東京から伊勢にやってきた東京の能の家元恩地源三郎の舞台から映画は始まる。一方、地元の能の家元宗山の家では恩地の舞台をひたすらけなしている。そこへ一人の若者喜多八がやってくる。そして宗山の謡を聞かせてほしいというが、しばらくして自ら鼓を打ち合わせていくのだが、次第に宗山は謡が乱れそのまま倒れる。喜多八は恩地源三郎の息子だった。つい父を侮辱した宗山の鼻を明かしてやろうとしたのだ。

 

宗山は自らの芸の未熟さに錯乱し、井戸に落ちて死んでしまう。宗山には娘のお袖がいた。源三郎は喜多八がムキになったことに激怒し、破門にしてしまう。喜多八は宗山の通夜の席に行き、そこでお袖と出会いおたがいこころがひかれる。

 

やがて、喜多八は旅に出、お袖は芸者に身を落として生活を支える。しかし、芸事に身の入らないお袖は転々とお茶屋をたらい回しされ、再び伊勢に戻ってくる。そんな時、流れ流れた喜多八も伊勢に来ていた。そして、お袖と再会。お袖は喜多八に、謡の教えを乞う。森の中で二人が幻想的に稽古するシーンが息を呑むほどに美しい。

 

お袖は、ある旦那から気に入られ身受けが決まる。やがて喜多八との稽古も終わり、最後に森で披露しようと約束するが、たまたま、喜多八は喧嘩をして留置場に入れられ、お袖は待ちぼうけをする。翌日、お袖は身受けされることが決まっていたのだが、その日から体を弱らせ寝込んでしまう。なんとか起き上がれるようになったが、悲嘆の中、猫いらずで死ぬ覚悟をし最後のお座敷へ行く。

 

そこで、旦那が急用で来れなくなり臨時に行った座敷で源三郎に出会う。そして、源三郎の前で喜多八に習った舞を舞う。一方、やっと留置所から出た喜多八は酔いつぶれて路地に寝込んでいたが、父の謡の声を耳にし、それを追い求め、父が謡をする座敷へやってくる。お袖は、隠していた猫いらずを取り落とし、死ぬことをやめる決心をするが、やがて、喜多八の謡と源三郎の謡が重なり、お袖と喜多八は再会し、庭で抱き合って映画は終わる。

 

とにかく、手前に木を配置した構図、ほんのり温かみのある光の演出など絶品に近いほど素晴らしく、どのシーンもポスターにしたくなるような見事さである。ストーリー展開のスピードも絶妙で、これぞ日本映画の真骨頂と言わしめてもいいほどの素晴らしい映画でした。

 

「切られ与三郎」

有名な演目ですが、かなり荒っぽい脚本ではコロコロと物語が進んでいくちょっと雑な作品でしたが、やはりこのころの映画は楽しいです。監督は伊藤大輔

 

蝋燭問屋の養子に入った主人公与三郎が、元来の三味線好きで舞台袖でお囃子をしている場面から映画が始まる。与三郎を養子に迎えたのすぐに男の子が生まれたので、与三郎は身を引いて長屋住まい。そこへ妹のお金がやってくる。彼女は幼い頃から与三郎を好いていた。

 

与三郎は一旦実家へ行くが、弟に晋代を譲らせるべく旅に出る。そこでお富という女と出会い、お富に言い寄られるも、お富の旦那に捕まり、責められる。簀巻きにされて川に投げ込まれるも旅芸人の一座に助けられる。

 

一座でかつらという女と出会うが、一座を去った与三郎は、行きずりでかつらと再会するも再び裏切られ、とうとう人殺しの罪まで被せられる。そんな与三郎は、ひょんなことからお富と再会。お金が旗本の人身御供にあげられるのを助けるためお富を巻き込むも、またまた裏切られ、とうとう与三郎はお金と入水自殺して映画は終わる。

 

歌舞伎の名演目なので、見せ場を羅列したような荒削りな展開が繰り返され、宮川一夫のカメラは冒頭のタイトルバックには生かされるも、あとはそれほど目立つ場面はなく、伊藤大輔監督得意の御用提灯シーンも今ひとつ生きていない。演目を知る人はそれなりに楽しめるんでしょうが、映画として純粋にみれば普通の作品という感じでした。

 

ジュマンジ ネクスト・レベル」

まあ、普通のエンタメ映画ですが、結構楽しめました。物語はゲームの中の世界なのでこれというものはなく、強いて言えば、余命わずかなマイロが最後にゲームの世界に残るというくらいです。監督はジェイク・カスダン

 

なんか訳もなく落ち込んだスペンサーがかつてのゲームジュマンジでゲーム世界に取り込まれてしまう。彼を助けるために以前の仲間が再度ゲームの中に入って繰り広げるアドベンチャー。まあ、なんの変哲も無い娯楽映画です。猿の軍団に襲われる吊橋のシーンはなかなか面白かった。

映画感想「2人のローマ教皇」「再会の夏」「こんな私じゃなかったに」

「2人のローマ教皇

これまたNetflixドラマ。物語の組み立てが完全にテレビサイズでやたら長く感じてしまいました。確かに主役の2人の演技力は素晴らしいので魅せてくれますが、やはりネット配信並みの映像はなかなか受け入れ難いです。監督はフェルナンド・メイレレス

 

今まさに新しいローマ教皇が誕生しようとしている場面から映画は始まる。何度かの投票ののちに教皇となったのは保守派のベネディクト。何事も教義中心という彼の信条は受け入れられないまま、やがて数々のスキャンダルが持ち上がる。

 

ベネディクト教皇誕生とともに、改革派のベルゴリオ枢機卿は教会をやめることを決意する。そして教皇に伝えるため謁見を求め、自らローマへ赴く。ところが教皇は頑なに辞職願を受け取らない。二人はいつのまにかつかの間の時間での会話をくり返すことになる。ベネディクト教皇は次々と持ち上がる問題に奔走し、また市民からも反発を食い、孤独の淵にいた。そして、教皇枢機卿に、自分は生前に退位することを告白する。

 

後継者にベルゴリオ枢機卿が投票で選ばれることを望むが、実はベルゴリオ枢機卿は、若き日に、政治的な圧力に屈し、同士を死に至らしめた過去があった。もちろん教皇はそれを承知の上での希望だった。枢機卿教皇と過ごしたこの数日で、いかに教皇が孤独に打ちひしがれているのを身にしみる。そして、謁見を終え、枢機卿はアルゼンチンへ帰る。間も無くしてベネディクト教皇は退位を表明。その後の投票でベルゴリオ枢機卿教皇となる。やがてベルゴリオはベネディクトのもとを訪れ、二人でサッカーの試合をテレビで見るシーンで映画は終わる。

 

事実をもとに作った話なので、エンディングでは実際の2人が映されるが、とにかく、ベルゴリオが過去を告白していく終盤がやたら長く感じるのと、それまでの二人の物語から少しずれていく気がする。前半は明らかにベネディクト教皇の話だと思うので、結局どっちつかずの描き方になったのは、これはテレビならありかなという感じでした。

 

「再会の夏」

オープニングからの展開の割にはお話がいかにもスケールの小さいラストに収束した。結局、誤解から意地を張ってただけかという主人公の物語。監督はジャン・ベッケル。

 

主人公モルラックの愛犬が吠えている場面から映画が始まる。モルラックは、広場で騒ぎを起こしたために逮捕されて、牢屋にいるらしい。そこに、判事であるランティエ少佐がやってくる。勲章までもらったモルラックが、なぜ真実を話し、無実を訴えないのかを聴取して明らかにしたいのだった。

 

物語はモルラックが出征し、戦地で犬とともに戦い、ふとしたことから名誉の負傷をして勲章を授与されるまでがフラッシュバックとランティエ少佐の聴取とが交差して展開する。

 

やがて、たまたま特別休暇で戻ったモルラックが、妊娠している妻を見かけた際に、たまたま男がそばにいたため、疑いを持って自暴自棄になったことがわかる。

 

聴取の最後の日、ランティエ少佐は、モルラックに無罪を言い渡す。それを知ったかどうか、犬がモルラックのそばにやってくる。モルラックと犬は妻のところへ行く。犬が吠え、妻はモルラックを迎え入れて映画は終わる。

 

モルラックが騒ぎを起こす時に、勲章を犬の首にかけるという行為をするし、戦争に極度の反感を持ったかの描写も繰り返すのに、結局ラストはこれかという小さなエンディング。拍子抜けするようなラストの映画でした。

 

「こんな私じゃなかったに」

大した映画ではないのですが、どうも川島雄三監督の感性が自分に合うのか、面白くて仕方がない。さりげなく繰り返す歌の挿入やばかばかしいコミカルシーンのカットが真面目な物語に絡ませるテンポに魅了されてしまいます。

 

大学の天文学部の学生真吉が、雨の中天体望遠鏡を守っているシーンから映画が始まる。繊維の研究をする千秋には、苦労して育ててくれた姉の昌子がいる。昌子の息子が病気で入院しなければならなくなり、お金が逼迫したことを知った千秋は姉に黙って芸者になる。

 

学生が芸者をすることに極端な偏見もあった時代を組み入れながら、千秋の周りですったもんだが始まる。たまたま、千秋がお座敷に行ったところで知り合った矢島という紳士が真摯に相談に乗ってくるが、実は矢島こそ、昌子の元恋人で、昌子はこの男に捨てられたと思っていた。

 

ところが、戦後の混乱で、昌子が死んだと思った矢島は仕方なく養子になってしまい、それでも昌子を忘れられず今まで独身であったという事情が明らかになる。そして矢島は昌子と結婚することになり、千秋も芸者をやめることになり真吉との恋も成就して映画は終わる。

 

とにかくやたら複雑な展開で、雑な脚本ではあるが勢いで演出していった職人技のような展開が実に楽しい。しかも、作っている時代背景や風俗が見え隠れするノスタルジー感も最高。楽しい映画でした。

 

映画感想「家族を想うとき」「去年マリエンバードで」(4Kデジタルリマスター版)「娘はかく抗議する」

「家族を想うとき」

壮絶な家族のドラマで、結局、救われる未来がないラストがなんとも苦しい作品でした。監督はケン・ローチ

 

父のリッキーが就職活動をしている場面から映画が始まる。そして自分で車を購入して宅配ドライバーをすることを決める。連日の過酷な配達をこなすリッキーだが、妻のアビーも介護職の仕事を献身的にこなしていく。

 

それぞれが家族のために必死になっているのだが、いつの間にか反抗期を迎えた息子のセブや娘のライザは寂しい思いをするようになっていく。そんな思いの中、セブは次々と問題を起こし、両親の気持ちを引こうとし始め、ライザはリッキーの車の鍵を隠せば家族の元に戻るのではとキーを隠したりする。それにふり回されるうちにリッキーもアビーも戸惑いと混乱が膨らんでいく。

 

そんな時、リッキーは配達の途中で強盗にあい、重傷を負った上に荷物を盗まれ、その罰金などでさらに借金が膨らむ。絶望的になったリッキーは家族に別れのメモを残し、一人車で家を出る。慌てて、息子やアビー、ライザも止めに入るが、リッキーは涙にくれながら、仕事に行かなければならないと叫びながら車を出す。そして映画は終わる。

 

果たしてリッキーはどうなるのか。家族のこれからがどうなるのかは、楽観的に見ればこれを機会にまとまるのかもしれず悲観的に見れば、リッキーは命を落とす結果になるのかもしれない。しかし、この社会性の強いメッセージをギリギリの視点で描いた力量はさすがであるし、一見、憎たらしいセブも、ここぞという時には家族のため、父のために近くに戻ってくるという設定も実にうまいと想う。ただ、こういう家族の物語は、やはりもうちょっとほのぼの見たいなというのが本心です。

 

「去年マリエンバードで」(4Kデジタルリマスター版)

公開のたびに見る映画の一本、10年ぶりくらいに再見。言うまでもなく監督はアラン・レネ。うーんこれまで何回見ているかと思うが、細かいシーン全てを覚えていない。だからこそこの映画には魅力があるのだろう。

 

物語もラブストーリーなのだが、空間と時間を縦横無尽に前後に組み合わせた編集演出は、さすがにクセになる面白さである。映像を楽しむ作品とはこう言うものを言うんだろうなと思う。

 

「娘はかく抗議する」

扱っているテーマは流石に古いのですが、メッセージを見せると言う手腕は流石にうまい。これが映画づくりの感性と言うのでしょうね。監督は川島雄三。 

 

主人公の女子高生は、厳しい母親の元で素直に育っている。母親は18歳の時に男性に妊娠させられて捨てられた過去があり、異常なほどに娘に干渉してくる。時代は、思春期の男女の性教育に注目が集まる頃で、一方で女性の処女性には今なお偏見がくっきりとあった時代、そこで描かれる時代の流れと考え方の変化を描いた点ではおそらく当時はモダンな作品であったと思います。

 

主人公の少女が友人の兄で大学生の男性に憧れほのかな恋に発展する一方で、新しい考え方を取り入れようとする女先生と一方で古風なままのPTA会長の男など、一昔前の典型的なキャラクター配置がくっきりと物語を語っていくのでわかりやすい。

 

あるべくして展開していくストーリーの中に、伝えるべきメッセージが浮かび上がってくる。名作でも傑作でもないものの、物語を飽きずに見ることができました。

 

映画感想「屍人荘の殺人」「カツベン!」

「屍人荘の殺人」

ミステリーなので、物語の点から見れば、なるほどこういう切り口もあるんだなという感じである。原作通りだとすれば、すでに謎解きの種は尽きたといえば尽きたのだろう。映像としてみれば、特に個性的な演出はされてないし、完全に蒔田光治脚本のままに演出されたというだけで、しかも蒔田光治のテンポが把握し切れていないのが残念。テレビならこの程度で行けたのにという仕上がりでした。ただ、名作ミステリー映画のネタを取り入れたノリは楽しいし、なんといっても可愛い衣装に次々変わる浜辺美波が最高に可愛いので、それだけでドキドキしたので、充分に満足でした。監督は木村ひさし。

 

大学の学食で、明智と葉山が、依頼された食堂のおばちゃんの横領事件を調査するところから物語が始まる。チラチラ出て来くる剣崎の可愛いカットが素敵なのだが、明智のコミカルなキャラクターが秀でて来ないのは残念。中村倫也は下手な役者ではないのに、演出力不足か。

 

続いて、テスト用紙が盗まれる推理へ進み、剣崎が鮮やかに謎を解く展開が、これも今ひとつ面白みに欠ける。そこで、剣崎は明智たちに音楽フェスの合宿に来て欲しいと依頼する。三人の乗ったバスに「悪魔の手毬唄」のおはんが乗ってたりするノリがまず蒔田光治脚本です。

 

紫湛荘に着いた三人は、まずバーベキュー大会へ。一方ロックフェスでは、怪しい男たちがこれまた怪しい注射を観客に打って、観客は何やらゾンビのようになっている。バーベキューも終えた明智たちはロックフェスへ。そこでゾンビと化した観客と出会い、音楽サークルのメンバーは紫湛荘へ逃げ込んで本編となる。

 

ゾンビが迫る中、紫湛荘内で起こる殺人事件を解いていく展開なのだが、どうも殺人事件の部分とゾンビ部分の緩急が同じのためにまとまって来ないのがとっても残念。紫湛荘の最上階に鐘があって、風景といい、空間といい明らかに「めまい」を意識した絵になっている気がするが、原作は如何なものか。

 

次々とゾンビに変わったり、謎の死を遂げたりという伏線が張り巡らされているのですが、どうも、一本筋が通ったものが見えないミステリーになってしまった。浜辺美波を活かしきれない演出も実に勿体無い。

 

結局、カードキーやらゾンビウイルスやらを巧みに使ったトリックで、犯人は、この別荘の持ち主の金持ちボンボンとその友達に乱暴された、去年この合宿に来た女性の妹美冬ということでエンディング。謎解き部分は鮮やかながら、どうもゾンビがらみでぼやけてしまった。

 

面白く作れるはずが、ちょっと舞い上がった感じの仕上がりになってしまって、期待していたものとしてはちょっと物足りなかった。剣崎が葉山に約束するキスのオチも今ひとつだし、ゾンビに変わったはずの明智が最後の最後に登場して、生きていたかと思えばやはりゾンビだった展開もインパクトが弱かった。

とはいえ、浜辺美波は可愛い。それに尽きる。ドキドキして映画を見終えました。

 

「カツベン!」

こういう映画だろうなと思っていた程度の作品で、期待以上でも以下でもなかった。楽しくて面白いのですが、今ひとつ乗り切らないのは、制作側の思い入ればかりが前面に出てしまって、映画黎明期を知らない観客を無視したせいではないかと思います。周防正行監督の全盛期はすでにすぎたのかなという感じでした。監督は周防正行

 

時は大正時代、田舎の悪ガキたちがサイレント映画の撮影場所を走り回るさりげないノスタルジーのシーンから映画は幕を開ける。主人公俊太郎は、駄菓子屋からキャラメルを盗み、たまたま知り合った梅子と映画館に忍び込んで映画を見る。そこで聞いた活動弁士山岡秋聲に俊太郎は憧れていた。そして、梅子に得意の活弁の続きを話すために、キャラメルを盗みに行って捕まる。待ちぼうけの梅子のカットから時は10年経つ。

 

活弁の仕事だとありついたところは、映画を上映してる隙に泥棒を繰り返す輩の集団で、なんとか逃げたいが抜けられない俊太郎。ある時、警察に目をつけられ、逃げる途中で、大金の入ったカバンごと車から落ちた俊太郎は、そのままある街に流れ、青井館という映画小屋にやってくる。そこで雑用をしながら過ごすが、活弁主任は大人気の茂木貴之。憧れの山岡秋聲は飲んだくれになっていた。

 

一方かつての泥棒仲間は、敵対する映画館橘館に雇われ、やがて、俊太郎が見つかる。その少し前、たまたま、山岡がでれなくなり、急遽助っ人した俊太郎の活弁が人気になる。そして、みるみる人気が出る俊太郎だが、茂木の愛人は、かつての梅子で、今は松子と名乗って女優を目指していた。俊太郎は梅子と再会するが、俊太郎を執拗に狙うかつても泥棒仲間や橘館とのすったもんだが巻き起こり、やがて、警官も絡んでの大捕物。まさにサイレント映画のチャンバラのごとき展開となる。

 

松子は、俊太郎とどこかへいく約束をし、駅で待つが、そこに、阪妻を主演にした映画を作る計画の監督がやってきて、松子と京都へ旅立つ。俊太郎は、とうとう刑事に捕まり、独房で得意の活弁を披露。それを面会室で聞く松子。語り終わった後、先に帰った松子からキャラメルの差し入れをもらい映画は終わる。

 

久しぶりの黒島結菜はさらに綺麗になっていて、素敵な女優さんになっていました。映画は、周防正行ならもっとハイレベルを期待しましたが、まあ、彼の作品にしては並だったかなという感じです。でも楽しい映画ではありました。

映画感想「シティーハンターTHEMOVIE 史上最香のミッション」「アダムズ・アップル」

シティーハンターTHEMOVIE 史上最香のミッション」

あまりに、面白いという評判が多いので見にきました。映画は安っぽいのですが、コメディのセンスがいいのとコミック原作のノリがテンポよくて、どんどんはまってしまいました。ちょうどチャウ・シンチーの香港映画を見ている感じがとっても楽しい映画でした。監督はフィリップ・ラショー。

 

病院の手術室で何やら全裸の男性がこれからの手術を待っている。そこに飛び込んでくる主人公リョウとファルコン。いきなりの下ネタ満載のオープニングはまさにシティハンターワールド。そして、物語は数時間前に戻る。

 

この日、相棒のカオリと仕事を請け負う依頼人を待っている。そばにレオタード姿の女性たちのいかにもらしいシチュエーション。どんどんシティーハンターワールドである。リョウを演じるのがフランス人なのだが、下手に日本人のイケメンが演じるよりはまっていて自然なのがいい。

 

やってきた依頼人ドミニクは、香りを嗅いだ者を虜にする「キューピッドの香水」を見せられるが、そのお試しに噴射した途端奪われる。48時間以内に解毒剤の香水を浴びなけらばならなくなり、リョウたちはその香水を追うのが物語の中心になる。

 

ばかばかしいほどのノリと下ネタ爆笑の連続のコメディシーンにあれよあれよと画面に引き込まれてしまい、最後は当然ハッピーエンドの大団円。

 

ヒルが付いて来たり、首が取れた死体があったり、空を飛んでアヒルが追っかけて来たり、グロもほどほどにエロがいっぱいでしかもノリまくりの展開に終始ニコニコである。映画はばかばかしいのにもう一回見たくなる魅力満載の映画でした。

 

「アダムズ・アップル」

不思議な空気感で描かれるちょっとシュールな作品で、北欧の殺伐とした風景と手放しで拍手するほどでもない感動が、何ともいい感じの映画でした。聖書のエピソードを基にしてるので、やや宗教観が漂わなくもないので、その隠し味に魅了されます。監督はアナス・トーマス・イェンセン。

 

一人の男アダムがバスを降りてくる。降りた途端、手にしたナイフで走り去るバスのボディに傷をつける。彼は仮釈放され、これから更生施設を兼ねた教会へやって来た。迎えに来たのがいかにも気のいいイヴァン。車で教会に向かい、軽快な音楽をかけながらたわいのない会話を無理やりするイヴァンにアダムは明らかに反抗的。

 

教会の庭にはリンゴの木が一本ある。出迎えたカリドとグナーにも敵対心むき出しにするアダム。彼はネオナチで、部屋にヒトラーの写真を飾る。イヴァンは彼にここでの目標を聞かれ、リンゴのパイを作ると適当な返事をする。

 

アダムは着いて早々から、この教会の人間がどこかおかしいことに気がつく。と言っても具体的に何かが見えるわけでもない。与えられた聖書は何度床に投げつけてもヨブ記の章が開いたり、奇妙なことが起こってもイヴァンは全て悪魔の仕業で自分は神に守られていると答える。

 

イヴァンの子供が車椅子に乗せられやってくるが、脳性麻痺で動けない。それでもイヴァンは動けるという。さらにサラという女性もやってくる。イヴァンは、アダムから執拗に責められると耳から血を流す。そして庭のリンゴに突然大量の害虫が発生してしまう。近くの病院での医師の言葉では、イヴァンは脳腫瘍で間も無く死ぬのだという。アダムは、トラブルは悪魔の仕業ではなく神がイヴァンを憎んでいるからだと責め、イヴァンは卒倒してしまう。その直後、嵐が襲い、庭のリンゴの木が落雷で燃えてしまう。

 

病院へ担ぎ込まれたイヴァンは余命数週間と言われ、神の存在を信じなくなる。カリドとグナーはイヴァンという拠り所をなくし、次第におかしくなり、グナーはサラと関係を持ってしまうし、カリドは、アダムの仲間がやって来た時、躊躇なく拳銃を撃つ。

 

アダムたちは近くのドラッグストアへ強盗に入り、品物を盗むついでに、落雷で壊れたオーブンの代わりのオーブンを盗む。戻ってみると、焼けたリンゴの木からもぎ取った数個のリンゴをサラが食べ尽くしていた。アダムはパイを作るつもりだったががっかりするが、グナーが一個だけ持っていた。

 

そこへ、アダムの仲間が人を増やして再度やってくる。ところがイヴァンともみ合いになり、イヴァンは頭を吹き飛ばされる。アダムは、瀕死のイヴァンにパイを届けるべく一個のリンゴで焼き届けると、なんとイヴァンの脳腫瘍はピストルで吹き飛ばされ、生き返ったのだと医師に言われる。

 

アダムはイヴァンとパイを食べる。カリドはいずこかへ帰り、グナーはサラとの間に子供ができ、家庭を作って去っていく。時が経ち、教会に新しいふたりの男がやってくる。迎えに行ったのはイヴァンとアダム。車で教会に向かうシーンで映画は終わる。

 

一見、ストレートな話だが、どこか神秘的な空気が漂い、映像もどこかシュールな描写もある。不思議なムードに包まれた作品で、なかなか魅力ある映画でした。

 

映画感想「ウエストサイド物語」「“隠れビッチ”やってました。」

「ウエストサイド物語」

スティーブン・スピルバーグがリメイクするという名作中の名作。上映される度に見にいく映画をまた見に行きました。監督はロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス。

 

何度見ても引き込まれますね。流石に展開をほとんど知ってるので、やや先が見えすぎるところもありますが、細かい衣装のデザインや色にも全て意味があるのがくっきりと見えてきました。名作の貫禄に酔いしれるひと時でした。

 

「“隠れビッチ”やってました」

大傑作にほんの一歩及ばなかったのは残念ですが、面白くて素敵な映画でした。物語の核がぶれなかったことと、エピソードの配分が良かった。いや何より、主演の佐久間由衣の存在感で映画がまとまった感じです。もちろん脇に入った村上虹郎らの存在も映画にいい味を加えた気がします。監督は三木康一郎

 

男に告白させては振るという行為を繰り返し、自分がちやほやされることに生きがいを感じる主人公のひろみ。今日も男が好む仕草で次々と落としては家に帰って、同居人の彩や晃の前で豪語している。そんな彼女を彩たちは“隠れビッチ”と呼ぶが、そう呼ばれることもまたひろみには快感だった。

 

オープニングで一気にコミカルな導入部を描くが、それをさらっと終えて、ひろみのバイト先で一人の好青年安藤との出会いへとつないでいく。この展開が実にうまい。そして、こういう方向へ物語は進むかと思いきや、安藤はバイトを辞めて夢の美容師へ。ひろみも自分の本当の夢に向かってイラストレーターを目指すが、そんな時、たまたま安藤が別の女性をバイクに乗せているのと出会う。しかもひろみ用だと買ったヘルメットをかぶらせていた。

 

初めての屈辱で、ひろみは安藤と別れる。そしてたまたまバイト先で知り合った年配の男性と酒を飲み、そのまま酔いつぶれる。そこへ、バイト先の正社員三沢が通りかかる。そして、相談がてらみんなで飲みに行った時、三沢に告白される。勢いでひろみは三沢と同棲するようになるが、ふとしたことでキレて三沢に当たり散らすひろみ。次第に疲れてきた三沢は、一ヶ月距離を置こうと提案。

 

ひろみの父はDVで、いつも母とひろみに暴力を振るっていた。そんな父が癌だという知らせが届く。家族の同意書がいるということで入院先を訪ねたひろみは父の筆跡が自分に瓜二つなのを見て、自分にも父のような異常な性格が備わっていると思い、悲嘆する。

 

一ヶ月が経つ。その翌日ひろみが会社から帰ると三沢が来ていた。ひろみのこのまま別れようという言葉に三沢はそんなひろみと一緒にいたいと抱きすくめる。やがて、正式に三沢のところへ行くべく荷物を積んでひろみは三沢の元へ。

 

二人の幸せな生活が始まったかに見えて映画は一旦終わるが、エンドクレジットの後、ひろみの携帯に安藤から「また会いたい」と連絡が来る。その返事をどうしたかわからないままエンディング。

 

コミカルなオープニングから、シリアスなラブストーリーへ、そして過去の悲しい出来事から大団円へと流れる物語の構成のテンポが実にいいし、ひろみの成長というストーリーの核がぶれないのが良い。途中の同居人のエピソードもさらっとひろみのお話に絡ませる脚本もなかなか。もう一工夫欲しいところもないわけではないけれど、ちょっとした佳作という感じの映画でした。