くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エロ事師たちより 人類学入門」

人類学入門

ねちねちと被写体をとらえる今村昌平のカメラアングルが、夢か幻想か現実かわからない映像が交錯する世界を人間味あふれる演出でとらえていく。
人間の本能的に持つ性に対するどうしようもない感情をブラックユーモアで包み、笑いの中にどうしようもない切なさを漂わせる画面は哀愁さえ帯びてくるのである。

ここにひとりのブルーフィルムを制作する緒方という男がいる。年上の未亡人春の元に通いながら、違法と承知の上でとり続ける8ミリフィルムは、様々な男の不安を払拭するほどに情熱的で人気がある。男が女を求める余りにストレートな感情を崇高なほどに信じ込み、ひたすらエロ事師として生きていくこの男の生きざまはほほえましいほどに人間的な暖かさがある。

時に、ガラス窓のこちら側から格子をはさんでとらえたり、水槽の反対側から人物をとらえたり、極端なローアングルから見上げてみたり、イマジナリーラインを平気で横切っては自由奔放に被写体をとらえる今村昌平のカメラワークはドキッとするほどに感情に直接入り込んでくるような迫力があります。しかも、現実のストーリーの合間に、妄想のようなショットや悪夢のようなシーンが次々と挿入され、次第にシュールな映像がクライマックスに向かってエスカレートしていくさまは、これぞ今村昌平作品といわんばかりの圧倒的な画面である。

映画が始まると男たちと一人の女が山間の一角で今にも映画を撮ろうとしている。カメラを構える男は複数の8ミリカメラを構えていかがわしいシーンを撮っていく。そして、自分たちのアジトに戻った男たちは早速、できばえをチェック。横長スクリーンの中央に8ミリ画面のような四角が映るとタイトルがそこに移され、クレジットになる。

主人公緒方(小沢昭一)のエロ事師としての生活と、春との情交、春の娘の恵子、息子の幸一との日々がつづられていく。
時に娘の恵子に対してまでも見え透いた色目を使い、春が心臓の病気で入院した後は思わず情交を交わしてしまう。そんな恵子も並みの中学生ではなく、半分不良学生のような日々を暮らしている。そして、ことあるごとに緒方に対し露骨な嫌悪感を見せる。また、浪人生の幸一も何かにつけ甘っちょろい言動を春に繰り返す甘えん坊のガキであり、なんとも救いようがない。

警察に捕まりそうになったり、やくざに脅されたりする緒方たちの毎日に絡んで、春の全夫松田が死んだ日に生まれたという鯉がいつも春の枕元で泳いでいる様子にどこか不気味ささえもただよう。
入院している春は久しぶりに緒方と病院のベッドで情交を交わした日に突如狂人のごとくなり窓の格子につかまって叫ぶシーンはまったく圧巻である。
やがて、春が死に、行き場のなくなった緒方は突然、人間に対する情欲より機会のほうがすばらしいなどと突拍子もないことを叫び、それから、ブルーフィルムをやめてダッチワイフ作りに励みだす。

そして5年。恵子は美容院の店を開店し順調で、一方の幸一も大学生ながらふらふらと営業まがいのことをしたりして気楽な毎日を送る。緒方は恵子の店のそばの皮に屋形船を浮かべ、その中で日々完全なダッチワイフ完成に励んでいる。
ある日、船を止めている手綱がほどけ、いずこともなく流れていく屋形船。大海にながれ、かなたに漂うショットが小さく画面の中央に収まり冒頭の8ミリフィルムのような画面になって、「この男はどうなるんや」という緒方たちの声でエンディングとなる。

なんとも、実験的な映像が所狭しと展開するが、具体的な映像で始まる導入部から、次第に幻影が交錯し始め、さらに現実と幻想がひとつになってどんどん高揚していくストーリー構成の妙味とそれに同調していくような映像表現のエスカレートがまさにどこかにんまりと笑ってしまう男と女の逃れられない性欲の性をブラックユーモアで包んだこの作品のオリジナリティはまったく見事なものでした。いい映画を見たという感想です。