くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ミラル」「日輪の遺産」

ミラル

「ミラル」
パレスチナイスラエルは未だ完全な和平を結んでおらず半ば内戦状態である。この映画はイスラエルがイギリス統治から独立したものの、内戦状態となり、そんな折り、私財をなげうってパレスチナの孤児たちのための学校ダール・エッティフルを設立して守ったヒンドゥ・ホセイニとその学校へやってきた一人の少女ミラルを通じてパレスチナの歴史を描いている。この主人公ミラルのモデルは実在の人物なのだが、この少女がヒンドゥの学校へやってくるまでが実に長い。
父の虐待から逃れた一人の女性ナディアの物語に始まり、彼女が刑務所に入りそこで知り合ったファティマの世話でファティマの兄と結婚、そしてミラルが生まれるのである。

この監督、手持ちカメラを多用し、短いカットや前後する時間のシーンを巧みに操りながら実に見事に英米からの独立、内乱、和平への道を語っていく。そしてそんな激動の時代を背景に賢明に自分たちの国の独立を夢見て前に前にいきる主人公ミラルの姿がいつの間にか物語に中心になって見事に浮かび上がらせてくるのである。

父の機転で内乱から守るためにヒンドゥの学校へつれてこられたミラル。最初は父に捨てられたとさえ疑い、一方ミラルの母ナディアでさえ自分の過去と重ね合わせて夫を疑って自殺までしてしまう。しかし、時は激動の時代、イスラエル軍へのいわばテロ組織のように見られるPLO(パレスチナ解放戦線)とイスラエル軍の内乱は強硬な法の下に激しさを増し、そんな中でヒンドゥに守られた子供たちは国連の保護もあってしっかりと成長していく。

しかし、成長するに従ってミラルたちは政府の行動に疑問を持ち、自ら政治活動に入り込んでいく。
解放戦線に属する恋人との不安な日々とミラルをきづかう父やヒンドゥ。やがて、和平への道が開かれオスロ合意と歴史は進んでいく。将来を託したヒンドゥはミラルをイタリアへ送り出しす。

結局、完全な和平は達成されないまま現代に至るパレスチナの現状が語られ、そして1994年ヒンドゥも死に、さらに未来に向けて世界をかけ巡りながらいきるミラルの姿で映画は終わる。

激動から未来への希望を描いたこの物語は、正直私の一番苦手な第三国の歴史を扱った作品である。しかし、淡色を中心にしたエリック・ゴーティエのカメラが本当に美しく、さらに細かい時間の流れをその前後させる緻密な編集で語っていくジュリアン・シュナーベルの演出は実に絶妙で、それほどテクニカルな映像演出にもかかわらずストーリーが明確に見えてくるというその手腕の秀逸さを堪能できる一本でした。

日輪の遺産
おそらく浅田次郎さんの原作はしっかりとした人間ドラマとして書かれているのだろうと思うが、映像として脚本化したときにその本質的な部分を把握できずに台本として仕上がったという感じの映画でした。
佐々部清監督は決して三流の監督ではないので、それなりのドラマとして必死で仕上げているという感じが伝わってくるようで、残念な一本だった気がします。

物語の中心が日本の再興を目的に莫大な財宝を隠匿し、それを敗戦後の日本に役立てるために忠実に任務を果たそうとした主人公真柴少佐ら3名の将校に焦点の当てられた物語であるのですが、映像とする場合、どうしてもその作戦に協力し悲劇の最期を遂げた29名の少女たちの物語がその娯楽性として大きくせざるを得なくなる。その中途半端なバランスが物語り全体をぼやけてしまわせ、まるで少女たちが死んだ後の真柴少佐らの物語がただのエピローグにしか見えないけったになった。そのためにやたらエピローグが長いような印象になり、冒頭の過去を振り返るというこの手の歴史物の常套手段による導入部さえもわずらわしくなってきたのである。

ストーリーの組み立てが甘くなったのがこの作品を失敗させた原因であり、そのため少女たちの悲劇にも涙が浮かばないばかりか、真柴たちの心の苦悩と任務を遂行し貫徹するためのドラマという深みのある展開もいまひとつになってしまった。

とはいえ、佐々部清監督はしっかりと俳優たちの演技付けを行い、いまや戦時中物の時代考証はかなりリアリティに欠けるのも丁寧にカバーしているのは見事である。それでも、少女たちの存在が物語の中で浮かび上がってこないのはなんとももったいない。さらに、アメリカ軍側の俳優のへたくそなことにも手抜きしすぎという感じである。

公開初日から苦戦しているようですが、納得してしまう映画でした。