くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「永遠と一日」「花のれん」「戦いのあとの風景」

永遠と一日

永遠と一日
テオ・アンゲロプロス監督の特集ということで、見逃した作品を見る

詩人で、作家のアレクサンドルという男の、人生最後の日の直前の一日を描いた作品で、カメラが、引いたり、奥へ進んだり、横にパンしたりというカメラワークが、ゆっくりと映像叙事詩を語っていく。当然、延々とした長回しですが、それが流麗なカメラという表現に変わるからすばらしい。これがテオ・アンゲロプロスの世界ですね。

過去に戻ったり、現代に戻ったりを繰り返す物語ですが、主人公の容姿はぜんぜん変わらないので、それがまた、幻想的なムードを醸し出していきます。

画面の美しさ、背後に流れる音楽と映像のコラボレーション、もの静かに漂う、人生最後の一日の鬼気迫る迫力、そして、メロディの流れに乗っていくような美しいカメラ、絶品の芸術映画ですが、二時間足らずなのにさすがに長く感じてしまう。

ラストの繰り返す映像ゆえか、全体のバランスか、しかし、その退屈さは全く駄作に結びつくものでもないところがすごいですね。

映像としての映画を楽しむ、という表現がぴったりな、見事な作品でした。


「花のれん」
ご存じ、吉本興業創始者吉本たか(映画中では河島多加)の半生を描いた山崎豊子原作の映画化である。さすがに、文芸ものとなると豊田四郎の演出がさえ渡るし、これだけの名優がそろうと、安心してみることができる。

やや低く、フィックスで構えるカメラから、路地の奥を、深い構図でとらえるショットは絶品で、この作品には豊田四郎作品には珍しく、俯瞰で法善寺界隈を見下ろすショットなども挿入され、多彩な表現を試みる。

物語の展開は、原作のままだが、原作にある、冷やし編めの考案や、小屋から小屋を走り回り、芸人のしがらみなどの細かいシーンの説明はすべてカットし、河島多加の人物に焦点を当てたストーリー展開となっている。彼女の支えになるガマ口さんや、伊藤議員の描き方もそれほど、強烈な男臭さを出した描写はしていないが、さすがに佐分利信の演技は、寒気がするほどの男っぷりがよく、これこそが名優たるゆえんだと、胸が熱くさえなるのである。

商売が傾きながらも寄席遊びをする多加の夫吉三郎の描写から幕を開ける物語は、大阪空襲で、すべてを失い、「時代がかわりますなぁ」という多加のせりふで幕を閉じる。

懐かしい大阪の景色を堪能するだけでも見る価値が、ありすぎるほどの名作ですが、さすがに豊田四郎、うまい。いい映画でした。


「戦いのあとの風景」
さすがに、アンジェイ・ワイダと言わしめるほどの個性あふれる演出に頭が下がる傑作。もちろん、内容は重たいので、物語のおもしろさはありませんが、舞台劇のような大げさな仕草とせりふをクローズアップでとらえ、つないでいく演出は、恐ろしいほどに独創的である。

映画が始まると、ドイツにあるポーランド人の収容所。背後に流れる音楽、いっさいのせりふがなくて、やがて、1945年の終戦となり、アメリカ軍がやってくる。おそるおそる外にでようとする囚人たちの模様。歓喜にあふれ、今まで食べられなかった食べ物をほおばり、読みたい本を抱える。その様子が、まるでサイレント映画のように、音楽のみで描かれていく。

そして、アメリカ軍がやってきて、結局、ドイツの代わりにアメリカに占領された形になって、映像はカラーになり、せりふがでてくる。

主人公ダニエルが、ユダヤ系の女性ニーナと知り合い、激しい会話を繰り返しながらも、お互いに惹かれ、戯れる展開が物語の本編である。

森に遊びに行き、抱き合い、これからのことなど話すが、そこには甘いムードは全くない。どこかに、まだ占領されているという圧迫感が漂っているのである。

そして、収容所に戻ってみると、すでに閉鎖されている。様子を見に行ったニーナに、居眠りしていた見張りのアメリカ軍兵士が、驚いて機関銃を撃ってしまう。しかも、運悪くニーナが撃たれてしまうのである。

呆然としながら、さまようように歩くダニエル。そして、ニーナの死体のそばで号涙する。やがて、翌日、引き上げ列車に乗るダニエル。貨車には「ポーランド万歳」の文字。エンドクレジットが貨車にかかれて、冒頭のように音楽だけの映像が流れてエンディング。

ラストで、ダニエルが「ヨーロッパ人は、こうやって撃たれるのになれているんだよ。昔から」とつぶやくせりふが印象的。さすがにこの圧倒感はアンジェイ・ワイダならではメッセージが作品の魅力です。すばらしかった。