くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「捨てがたき人々」「ザ・ホスト 美しき侵略者」

捨てがたき人々

「捨てがたき人々」
それほどの期待もしていなかったが、その通りのふつうの映画だった一番の失敗は、主演の勇介を演じた大友南朋が弱い映画の導入部で、やたら、女の尻や、スカートの隙間をいやらしく見る演出が施され、実際、強引に女の体を犯そうとするし、自分の逸物に自信を持っているというせりふなども登場するのに、毒が見えない。ふつうすぎるのだ。

そのために、京子が妊娠し、何となく父親になっていくにつれて、本当に平凡な物語に流れてしまう。

伝えたいことはわかる。結局、欲望と金にのみ生きる、人間の業の切なさ、寂しさを描いているのだと思う。しかし、その重苦しいような愛憎劇が、ぐっとこちらに迫ってこないのである。

映画は、いかにも胡散臭い風体の勇介が五島列島に帰ってくるところから始まる。たまたま出会った、顔に痣のある京子の真っ赤なスカートの揺れるのに、欲望を露わにして視線を送る。仕事もなく、一番安い、海苔弁だけを頼むわびしさを見せる彼だが、明るく笑いかけてくれる京子に惚れたのか、体を求めたのか、一緒に暮らし始める。

この展開が非常に弱いのだ。ただ、宗教熱心な京子は、勇介に犯されたことで欲望に目覚め、抱かれたいために勇介の所を訪れるようになるのだが、この心理変化も弱いのである。

京子に紹介された水産加工会社での社長の不倫の描写にしても、どろどろと伝わらないし、京子の叔母と勇介のSEXも弱い。

結局、子供が産まれ、10年が経ち、子供にも嫌われ、「生まれてこなければよかった」と10歳の子供に言わしめる終盤も、切々と伝わらない。

浜辺で、人間の業について叫ぶ勇介のシーンでエンディングだが、どうも、今一歩踏み込めていない作品あった。


「ザ・ホスト美しき侵略者」
シアーシャ・ローハン主演、アンドリュー・ニコル監督と言うことで見に行ったが、どうも一貫性に欠けたストーリー展開で、いらいらする映画でした

原作が「トワイライト」のステファニー・メイヤーーであるから、非常にファンタジックなSFになっている。しかし、きっちりと物語を整理せずに組み直した脚本の弱さか、どこにポイントの置かれたストーリーかつかめないのである。

遠い未来、飢餓も、環境破壊もない完璧な地球での物語。実は、人類の中にソウルと呼ばれるエイリアンが進入し、そのほとんどを制服したからである。

一部の人間が、抵抗を試みていて、映画は、その中の一人メラニーが、ソウルたちが人間の体に入ったシーカーと呼ばれる組織に追われているシーンに始まる。

アンドリュー・ニコル得意なファンタジックな映像づくりが目を引くが、物語にその映像が生きていないのが残念。

メラニーは窓から飛び降り、瀕死の状態だが、なぜか異常な回復力。この理由も結局説明なし。しかし、意識のない間に、ソウルを埋め込まれてしまう。ソウルの名前はワンダといい、メラニーの体の中で、人類の抵抗組織の情報を得ようとする。このストーリーの導入部から、いつのまにか、ワンダとメラニーが仲良しになり、やがて、メラニーの恋人ジャレドと弟ジェイミーとの再会。抵抗組織の中で、ワンダの心がイアンという別の恋人を作る。

冒頭の物語が、ラブストーリーに置き変わってしまい、ストーリーは抵抗組織の中での物語へと流れる。そして結局メラニーとワンダとジャレドとイアンの話に絡んできて、やがて、うまくソウルを体から出す方法をおしえてたワンダは、メラニーに体を返すが、イアンへの思いも断ち切れず、ジャレド達組織の計らいで、瀕死の女性に植え付けて、ハッピーエンド。

そして時は経ち、何気なくこういう関係でうまくなった組織があちこちにでき始めてエンディング。

ジャレドたちを執拗に追ってきた、ダイアン・クルーガー扮するシーカーの存在感も途中からおざなりになり、とにかくストーリーの構成がめちゃくちゃである。

ソウルが飛び去る光の空港のような場所も、ふつうに人類が入れるという適当さもよくない。全体に、あまりにも緩いSF映画だった。徹底的にファンタジーで走ればそれもよかったのだが、妙なアクションを盛り込んだのが失敗かもしれませんね。