「日曜日が待ち遠しい!」
ご存じのように、トリュフォーといえばヒッチコック敬愛者である。この作品は、そんなトリュフォーのヒッチコック崇拝者であることを見せつけるような、典型的なサスペンス映画であった。
様々なシーンにヒッチコック的な演出がちらほらとかいま見られる。光や影の使い方、背中に刺さるナイフ、死体のクローズアップと切り替えし、複雑に入り込んでいく真犯人の姿と、主人公が巻き込まれていく展開、車を運転するバルバラのカットの構図、雨の使い方、ヒッチコック映画を何本か見ていれば、思わず二ヤついてしまう。
とはいえ、ヒッチコック映画に似てあらざるは、ここにトリュフォーの才能が注ぎ込まれていくからこの作品が独特のサスペンスの一本になる点である。
少々、作り込みすぎたミステリーになってしまって、もうちょっとストレートな展開の方がおもしろい気がし、巻き込まれの中心になるベルセルのキャラクターが、実際に行動する秘書のバルバラにもっていかれてしまい、影が薄くなるのが残念ですが、それでも、ここまで懲り切ってしまうと、確かにおもしろい一本になっている。ちょっとしんどいのも事実でしたが。
ジョルジュ・ドルリューの軽快な音楽で一人の女性バルバラが犬をつれて颯爽と歩いてくるところからタイトルがかぶる。とてもサスペンス映画と思えないオープニング、カットが変わって、岸辺で猟をする男、そこに背後から忍び寄り、その男を銃で撃ち殺す。カットが変わると、ベルセルが猟銃を持ってでてくる。自分の車のそばにドアが開いたままのポルシャが止まっているので、ドアを締めてやる。このポルシェは殺された男のものらしい。いかにもベルセルが犯人であるかのわざとらしいファーストシーンである。
そして、バルバラがベルセルの妻からの電話をとっているシーンに始まり本編へ流れていく。
こういうわざとらしいエピソードが多すぎる上に、エピソード同士を絡ませすぎたために、ぼやけてしまったキャラクターやカットが目立ち、さらに、二転三転しながら真相に迫っていくのだが、それが過かなり無理が見えてくるのが後半部分。
クライマックスは、ベルセルとバルバラは次第に心引かれ、妻を殺されたばかりのベルセルなのに、恋愛が盛り上がる展開も厳しい。しかし、二人の幸福な家庭を夢見る「日曜日が待ち遠しい」という台詞にこぎつけた上に、真犯人はベルセルの弁護士であったという大団円、夜の電話ボックスで、弁護士が警官に捕まる映像演出の美しさなど、一つ一つとると、実によくできている。
ネストール・アルメンドロスのモノクロカメラも美しい。
細切れに見ると、見事だが、全体のまとまりにやあ無理がちりばめられているという印象の一本だった。
とはいえ、トリュフォーの遺作であるが、ここまで見せる作品を最後まで作ったのは、すばらしいものだと思う。
「逃げ去る恋」
これは良かった。アントワーヌ・ドワネルシリーズの最終章、「大人は判ってくれない」から約20年経っている。
シリーズの前二作品の映像を交え、さらに自伝的な小説として劇中に登場する「恋のサラダ」を読み進める回想シーンなども組み合わせたストーリー展開がとっても楽しい。
映画は、主人公アントワーヌが、現在の恋人サビーヌとのベッドの朝を迎えたところから始まる。彼には元妻クリスティーヌとの間に子供がいる。さらに、結婚前の恋人コレットと離婚調停の場で再会し、彼女との回想も交えられていく。
コレットはサビーヌの兄グザヴィエと付き合っているというエピソードも交え、やがてアントワーヌ・ドワネルを通じて三人の女が結びついていく。
一時、溝ができたアントワーヌとサビーヌもラストでハッピーエンドに、グザヴィエとコレットも無事ハッピーエンドを迎えるというどこか、とても素敵なラブストーリーとしてエンディングになる。
軽いタッチの音楽がタイミングよく挿入され、オーバーラップするような登場人物の出会い、過去の回想シーンの挿入によるテンポの良い映像が洒落た作品で、これがフランソワ・トリュフォーの魅力だなと、実感してしまう。
破り捨てられた写真をきっかけにしたアントワーヌとサビーヌの出会いのエピソードが、ラストで明らかになり、サビーヌとグザヴィエが兄弟だったことで踏ん切りがつくコレットの最後の決心など、ストーリーの深層まで工夫された展開がとっても良い。
こんなラブストーリー、作ってみたくなる、そんな映画でした。良かったです。