「ビッグ・アイズ」
ウォルターとマーガレット夫婦の茶番劇を描いたティム・バートンの新作であるが、私が一番嫌いなタイプの、厚顔無恥な男ウォルターが最後まで映画にのめり込むのを妨げた。
ということは、そういうキャラクターを見事に演じた、クリストフ・ワルツはすばらしかったためである。
目の動き、視線の送り方、口元の表情、さらに、身のこなし、どれをとっても、天才的な演技を見せるのだ。そのために、この男がとにかく憎たらしく見え、一方、内気なマーガレットを演じたエイミー・アダムスが影が薄くなるほどである。
ティム・バートンの映画としては、ファンタジックな色合いがかなり薄いこともあり、好きな作品にならなかった。キーン夫妻が住む豪邸のネオンの使い方や、題材となったビッグ・アイズのイラストの配置で、ファンタジック色がでているのだが、なにぶん実話というしがらみと、マーガレットがまだ存命で、絵を描いているという現実に阻まれた感じである。
さらに、マーガレットへの同情とウォルターへの敵意が最高潮になってくるクライマックス、マーガレットがハワイで真相をあかしたあたりからの終盤が非常に弱いために、それまで、ひたすら描いたウォルターの非道さが引き立たないままにエンディングになった。ここが本当に残念。
物語は1958年、街頭で似顔絵を描くマーガレット。彼女は一人娘ジェーンをモデルに絵を描いているが、その目が並外れて大きい。それは彼女に絵=目に求める感情である。
たまたまとなりで絵を売っていたウォルターが、彼女近づく。まだまだ男性優位のアメリカで、一人で子供を育てることも不安ばかりだったマーガレットは、すぐにウォルターに引かれる。
ところが、悪意もなく、ただ絵を売るために、カフェにかけさせてもらったマーガレットの絵が、一人の客に好まれ、売れ、そのとき、つい自分の絵であると嘘をついたのがきっかけでどんどんエスカレートしていく。
そして、話題が話題を生み、ビッグ・アイズのポップアートが大ブームになってくると、妻が書いているという現実をどんどん覆い隠していく。
ある意味、才能のない、しかし画家にはなりたかった一人の男ウォルターの悲哀であるかもしれない。しかし、一方で、誰かに頼るしかなかった当時の女性としての存在の象徴であるマーガレットに共感していくべき物語のはずなのだ。ところがことが描ききれない。ひたすらどんどん増長するウォルターが画面の最前列暴れ回るのである。
結局、クライマックスでの映画としての落としどころがぼやけてしまった。
さらに、エンドタイトルで、マーガレットがまだ絵を描き続けていること、ウォルターが最後まで自作であると主張し、無一文で死んでしまったことが流れると、一気に映画が、寂しくなる。マーガレットにさえ共感できなくなるのだ。
個人的にはティム・バートンはマペットアニメを作ったときが一番好きだ。その意味で今回の作品もそれを払拭することはなかった。
「映画ST赤と白の捜査ファイル」
テレビ版は、普通に好きレベルだし、見る気もなかったが、時間の都合で埋め合わせにみた感じである。監督は佐藤東弥、あの佐藤純弥監督の息子である。
というわけで、時間つぶしにみたのだが、これがめちゃくちゃおもしろい。たぶん、ここしばらくみた邦画の娯楽映画の中でピカイチに傑作である。少々、荒っぽいところがないわけではないが、プロットを丁寧に作り上げ、組立、展開する脚本のおもしろさと、スピーディな切り替えで、どんどん先へ進める演出、そして、それぞれのキャラクターの存在感を殺すことなく、テレビファンにも応えた作り手のサービス精神に感心してしまった。
テレビシリーズも見ていたので、そもそもの設定はともかく、いまどきのハッカーを題材にした犯罪事件を根幹にしているが、推理ドラマというより、STメンバーの活躍のおもしろさに重点が置かれている。
主人公赤城左門の逮捕から、脱走までの導入部も手短に処理し、ここからあとの本編に入り込むタイミングもうまい。
もちろん、クライマックスの大量殺戮シーンは、すぐにフェイクとわかるものの、そんな陳腐なエピソードを吹っ飛ばして次の話へ進めてしまう。この、突っ走り感が最高なのである。
ラストの、いかにもテレビ版の映画化というエピローグの幼稚さを無視してもあまりあるおもしろさに仕上がっていました。いや、あ久しぶりに燃え上がるおもしろさに出会った。