くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「クレイジー・リッチ!」「かごの中の瞳」

クレイジー・リッチ!

豪華絢爛、何も考えずに一昔前のシンデレラストーリーに酔いしれる作品。やはりこういうのはアメリカが舞台ではとても描けない東洋的な世界ですね。楽しかったです。監督はジョン・M・チュウ。東洋人のみを使ったハリウッド映画である。

 

時は1985年、ある会員制のホテルの東洋人らしい家族がやってくる。予約をしていたはずがフロントで、すげなく断られ、その家族を率いていた年配の女性はあるところに電話をして戻ってくると、このホテルのオーナーの老人が彼女たちを迎え、彼女はこれからこのホテルのオーナーになる人物だと従業員に告げる。彼女の名はエレノア・ヤン、かつて祖父らがシンガポールをジャングルから現代の観光大国にした立役者の一族である。こうして映画が始まる。

 

時は現代、ニューヨークの大学で経済学を教える教授、彼女の名はレイチェル。彼女はここで知り合った東洋人の青年ニックにシンガポールの親友の結婚式に呼ばれたので一緒に行って家族にあってほしいと誘う。その場にいた一人の女性がその現場を携帯で写真に撮りSNSへ投稿。なんとこのニックこそ、ヤン一族の御曹司であった。

 

そんなこととは知らないレイチェルは、軽い旅行のつもりでニックと飛行機に乗ろうとするが、案内されたのはファーストクラス。しかもレイチェルは現地に着いて、友達から、ニックはシンガポールの不動産王の一族の息子だと知らされる。

 

当然ながら、レイチェルは、ニックの母エレノアを含め、周りの人々から蔑んだ視線を浴びることになる。度肝を抜くパーティの連続に圧倒されていくレイチェル。彼女への嫌がらせも行われ、次第に気持ちは荒んでくるが、唯一、祖母が彼女を気に入ってくれる。

 

しかし親友の結婚式の後のパーティで、エレノアがレイチェルを調べた結果を突きつけられ、レイチェルも知らなかった父の真実を知るに及んで、ニックの祖母の信頼さえもなくす。

 

意気消沈するレイチェルにニックはプロポーズするが、レイチェルは断る。そしてエレノアを麻雀の場に呼んだレイチェルは、自分のしっかりとした決意を告げて別れる。

 

そして、レイチェルは迎えにきた母と一緒にニューヨークに帰る飛行機に乗る。ところが彼女を追いかけてきたニックは飛行機の中で再度プロポーズ。指輪も、最初のものとは違うものだった。今度は承諾したレイチェル。ハッピーエンドのラストシーン。

 

ほんとうにシンプルでオーソドックスな物語ですが、展開される場面が破格のセレブ世界。当たり前のように豪華絢爛たる演出の数々に魅入ってしまいます。まさに夢物語ですが、こういう吹っ切れたエンターテインメントは見ていて気持ちはいいですね。楽しい映画でした。

 

「かごの中の瞳」

心理サスペンスなので、たんたんと物語が進むのはわかるのですが、前半の前置きがちょっと長い。前半をもう少しコンパクトにまとめて中盤から後半の見せ場をもっと工夫する時間を持てたら一級品に仕上がったように思います。正直前半は退屈だった。監督はマーク・フォースター

 

仲の良いジェームズとジーナの夫婦の愛の営みから映画が始まる。ジーナは子供の頃の事故で目が見えなくなっていた。そんな妻を献身的に愛するジェームズ。二人の関係はベストだったが、ジェームズはそろそろ子供が欲しいと思っていた。

 

ある時、眼科で検診を受けたジーナに、医師は、右目は角膜など移植すれば見えるようになると診断する。なんでいまになってということは別として、微かな希望を持つ夫婦。そして間も無くして角膜移植ができるチャンスが来る。そして手術。術後ジーナの右目の視力は回復、与えられた点眼薬を欠かさないようにという指示のもと生活に戻る。

 

ところが、視力が回復すると、ジーナは今までと打って変わって積極的な行動をとるようになる。髪の毛を金髪に染め、服装も派手になり、行動的になる。目の見えない頃から通っていたプールで声を掛け合うダニエルという男性に興味を覚えるジーナ。

 

ジェームズがいかにも真面目で普通すぎることに何処と無く不満を持ち始めるジーナ。そんな姿の妻に嫉妬を覚え始めるジェームズ。一方、子供を望むジェームズは密かに精子の検査を受け、医師から、子供を授かることは難しいと告げられていた。

 

ジーナは、新しい家に引っ越したいと言いだし、勝手に家を見に行ったりする。そんなジーナにますます不安を感じたジェームズ。ある時、ジーナの目薬をじっと見たりするカットが入り、ジェームズが何か細工したのではないかと思う。そして、ジーナの目にも異常が出始め、目薬を検査に出し、サンプルとして別の目薬を与えられる。

 

ある時、公園で犬を散歩しているダニエルと出会う。そして、ほどなくして、ジーナが飼っていた犬が公園で具合が悪くなり、ダニエルの家で休ませてもらう。その帰り、ダニエルはジーナにキスをする。

 

検査していた目薬は異常があったと医師に告げられ、一方でジーナは妊娠。そんなおり、アパートに泥棒が入り、そのドタバタの中飼い犬が行方不明に。そして犬を探している中で、ジェームズは公園でダニエルに会う。そして、ジェームズは完全にジーナを信じられなくなってしまう。

 

ジーナは近所の少女とギターの練習をしていて、発表会が迫っていた。その発表の日、一通の手紙をジーナは見つける。そこには、犬の写真と今あえて知らせてなかったことが書かれていた。

 

発表会に行く前にその手紙を拾ったジェームズは、ジーナの自分への愛が失われたと失意の中会場へ。しかしジーナの歌の歌詞は、いつも思っているにはあなただけというものだった。

 

自分の不甲斐なさに自暴自棄になり飛び出したジェームズは車を猛スピードで走らせ事故を起こす。おそらく死んだのだろう。次のカットでジーナが子供を出産して映画が終わる。

 

果たして、ジェームズは点眼薬を細工したのか?果たしてジーナはダニエルとSEXしたのか?ジーナの産んだ子供はダニエルとの子供なのか?ジェームズとの子供でもありえる。そのどれも明確な描写がない。ただ、映画の原題が「ALL I SEE IS YOU」である。私が見ていた全てはあなたということなのです。

 

ジェームズは、自分を愛してくれていたジーナに疑心暗鬼になった自分が辛くて自殺的なことをしたのではないかと思うのです。ラストの手紙の内容がはっきり理解できなかったのですが、こういうことかと。

 

もう一つの解釈は、ジーナは目が見えるようになって、ジェームズが思いの外つまらない男だったので、ダニエルとの子供を授かり、したたかに抱き上げる悪女として終わる。という理解ですが、これはさすがにいただけませんね。

 

前者の解釈でいいと思うのですが、もし違っていたら是非コメントください。

 

作品自体は普通の仕上がりだったように思いますが、ある意味、しっかり作ろうという姿勢が見える好感な映画だったと思います。