「女と男の観覧車」
ウディ・アレンらしい、ちょっとアイロニーを交えた知的なでもどこか寓話的な色合いを醸し出した物語。しかも、黄昏のような夕方のライティングを逆光に捉えた絵作りと、美しい構図が作り出すノスタルジックな画面がとっても美しい。結局は1人の元女優の空想の物語だったのではないかも思える不思議さを持った映画でした。
海の監視員ミッキーのセリフから映画が始まる。彼はビーチのレストランで働く人妻のジニーと恋をしている。物語はこのビーチにジニーの夫ハンプキンの元妻との間の娘キャロライナがやってきたところから始まる。時は1950年コニーアイランドである。
ギャングの夫から逃げて来たキャロライナはハンプティの店に立ち寄り、数年ぶりにハンプティと再会。お互い疎遠だったものの、身一つで逃げて来たキャロライナをほうって置けずレストランで働くことに。
一方のジニーは夫ハンプティとは疎遠になり、ミッキーとのときめきにどんどんのめり込んで行く。しかし、それはかつての女優時代の華やかな世界への回顧であるかのようにも見える。
ジニーの連れ子のリッチーはことあるごとにあちこちに放火を繰り返してはトラブルを起こし、ジニーをイラつかせている。
間も無くしてキャロライナはミッキーと出会う。ミッキーはジニーと付き合っていたがキャロライナに惹かれやがて恋に落ちる。キャロライナはミッキーがジニーと付き合っていることを知らず、ただ、ジニーが紹介してくれたのだ程度に思ってミッキーとの仲をジニーに話す。
一方、キャロライナを追ってギャングがコニーアイランドにやってくる。最初はハンプティの機転で追い払えたが、どこで聞いたか、ミッキーとキャロライナのデートの夜に再びやって来て、ある店でデートの場所を聞き出す。その知らせを知ったジニーは、キャロライナに急を知らせようとデートの店に電話しようとするが、キャロライナに嫉妬していたジニーは電話の受話器をおいてしまう。
そしてキャロライナは失踪。その経緯をたまたま知ったミッキーがジニーのところに現れ責め立てる。ジニーはかつての女優時代の衣装に身をまとい、まるで舞台の演技のごとくミッキーを非難して行く。どうやらキャロライナは殺され埋められたようだとミッキーは告げ去って行く。
キャロライナへの嫉妬とミッキーに対する復讐心で精神的に狂ってしまったかのようなジニーのカット、浜辺で何やら燃やすリッキーのカットでエンディング。
バッチリ決まった画面の構図とライティングが独特の映画で、やはりウディ・アレンの感性が光る作品である。まるで「サンセット大通り」を思わせるようなラストの鬼気迫るケイト・ウィンスレットのシーンがもの凄い迫力で迫るし、一昔前のノスタルジー満載の舞台で展開する物語が不思議にこれもまたレトロな空気があるのがとってもいい。ただ、ウディ・アレンの作品にしてはもう一歩魅力に欠けるような気がするには個人の好みでしょうか。
「夜の浜辺でひとり」
この人の映像センスというのは本当に飛び出ていると思います。というより別格のセンスの持ち主ですね。今回の作品も、ほとんどがテーブルを挟んでの会話シーンにもかかわらず、映像が詩になっているし、メロディを奏でています。これだけでもすごいですね。監督はホン・サンス。
主人公ヨンヒは元女優で、監督との不倫問題でハンブルグに逃れて来ている。会いに来るという恋人は現れず、現地の友人と過ごす中月日が流れる。そして物語は韓国へ移る。
韓国に戻ったヨンヒは映画を観た帰り、かつての先輩と出会い語り合ううちに女優復帰を考え始める。先輩たちとの宴席で思わず声を荒げ飲みすぎてしまうヨンヒ。
浜辺でひとり横になり眠っていると声をかける人がいる。起きてみると、かつて一緒に映画を撮った助監督だという。そして今撮影中のロケハンに来ているのでとスタッフたちに紹介され、カットが変わると後輩たち、そしてかつての愛人だった監督を前での宴席のシーンへ。そこで、ヨンヒはかつての愛人の監督に思いをストレートに告げる。
そして、場面は再び海岸で寝ているヨンヒ。誰かの声に目覚めると、誰というわけでもなく、単に注意されただけで、これまでのシーンが夢オチだとわかる。そして浜辺を歩いて行って映画が終わる。
延々と長回しで撮る宴席でのシーン、泊まることにした部屋の外で窓ガラスを拭く謎の男、などなど、感性だけで生み出される映像の数々が、とにかく素晴らしい。
静に淡々と流れる映像と物語に、主人公の心の葛藤がふつふつと描かれて行く。唯一無二の映像作家と呼ぶべき監督の1人でしょうね。感心してしまいます。