くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「藁にもすがる獣たち」「メメント」

「藁にもすがる獣たち」

曽根圭介の原作を韓国で映画化した作品。これは面白かった。若干、無理やり感がないわけではないけれど、先が読めない展開の面白さを堪能できました。韓国映画でなかったらベストワンにするところです。監督はキム・ヨンフン。

 

一人の人間が大きなバッグをホテルのコインロッカーに預けにくる。カットが変わると、このホテルの清掃員ジュンマンはこの日もロッカーをチェックしながら手際よく清掃をしていたが、一つのロッカーが鍵がかかっていて、開けてみると大きなカバンが入っていて大金が入っていた。忘れ物と判断したジュンマンは、うまくいけば自分のものになると遺失物倉庫になおしたふりをして隠してしまう。ジュンマンは妻と認知症の母と生活していた。

 

ここに空港の出入国窓口に勤めるテヨンがいる。彼は恋人の多額の借金に追い立てられる日々を送っていて、この日も、友人でチンピラのデメキンとあてにしている人物の行方を探し金の算段をしていた。そこへソウルからきたと言う刑事が執拗に絡んで来る。間も無く金融業者のパク社長に捕まり執拗に責め立てられる。パク社長にはサイコで異常な殺し屋が一人脇に控えていて脅される。

 

ジュンマンは認知症の母スンジャと妻ヨンソンとの間で嫌になっていて、あの金を使って再出発を計画する。ホテルをクビにされたジュンマンは金を取りに行って自宅に隠す。

 

ここに、DVの夫に苦しめられながら風俗で働くミランがいる。この日、チェンジばかりする若者ジンテに気に入られ彼の相手をするが、ジンテはすっかりミランに惚れてしまい、ミランの夫を殺してやると提案。ところが間違えて別人を車で跳ね飛ばしてしまい、死体を埋めたのはいいが、罪の意識に苦しみ始める。ミランは彼を死体を埋めたところに連れ出し、供養をしたと思わせて落ち着かせるが、一向にまともにならないので、車で轢き殺してしまう。途方に暮れたミランは風俗店の社長ヨンヒに助けを求める。ヨンヒはミランの行ったことを隠蔽するとともに、ミランのDVの夫を巧みに殺し保険金を手に入れれば良いと提案し、風呂場で夫を殺し保険金を手に入れる。ヨンヒとミランはことを成し遂げて、部屋で祝杯をあげ、ヨンヒはミランに自分と同じ刺青を太ももに彫る。しかし、ミランが目覚めると拘束されていて、ヨンヒに殺されバラバラにされてしまう。そしてヨンヒはまんまと金を手に入れる。

 

テヨンがいつものように帰ってくると恋人のヨンヒが来ていた。ヨンヒは彼の恋人だった。ニュースで風俗店の社長ヨンヒが死体で見つかったと流れる。ヨンヒはミランになりすまして海外に出たいと言う。そこへ、かつてヨンヒに絡んで来たソウルから来た刑事が訪ねてくる。テヨンがタバコを買いに出て戻ってみるとヨンヒはその刑事を殺していた。テヨンはヨンヒが手に入れた大金をホテルのロッカーに隠すが、追っていたパク社長から逃げる途中で車に轢かれ死んでしまう。ここの部分がやや記憶が曖昧。

 

そんな時、ジュンマンにホテルの支配人から電話が入る。未払いの給料を払うと言うことだったが、行ってみると刑事に化けたパク社長とヨンヒだった。パク社長らは、ホテルのロッカーに入れたはずに金がどこにいったか目星をつけていたのだ。ジュンマンはシラを切ってその場から逃げ出すが、パク社長らはジュンマンをつけていき、ジュンマンが自宅で金を出したところで部屋に入ってきて金を奪おうとする。そこへ認知症の母スンジャが来て、パク社長らが刑事ではないと叫ぶのでパク社長はジュンマンとスンジャを殴り殺す。しかし背後からヨンヒがパク社長を殺す。一階では脂が煮えたぎっていて、間も無く火災が発生。外で待っていたパク社長の部下の殺し屋が駆け込みなかにジュンマンとその母、パク社長を見つける。殺し屋が去った後、ジュンマンとスンジャハ目を覚ます。死んでいなかった二人は脱出し燃える家を見て途方に暮れる。

 

全てうまく行ったヨンヒは高跳びするべく空港のロッカーに金を入れて手洗いに行くが、そこにパク社長の殺し屋がやってきてヨンヒは殺される。しばらくして空港のトイレの清掃婦が掃除をしているとロッカーの鍵を見つける。なんとその清掃婦はジュンマンの妻ヨンソンだった。ヨンソンはその鍵でロッカーを開けると金が入っていた。それを持っていって映画は終わっていく。

 

お金の持ち主が二転三転するストーリーと時系列を使った凝った構成が見事な一本。振り返ってみればあれはないやろというのもなきにしもあらずですが、韓国映画らしいグロテスクさを逆手にとってぐいぐいと前に進む物語は素直に面白いです。見て損のない映画でした。

 

メメント

時間と空間を引っ掻き回しながら展開するなんとも言えない好き放題の映画で、それはある意味面白く独創的に見えるのですが、昔からあるタイムトラベルものを複雑に構成したと言う感じでもある。一度見ただけではよくわからない典型的な作品ですが、それがこの映画の最大の魅力なのかもしれません。監督はクリストファー・ノーラン

 

一人の男が銃で撃ち殺されるような映像が逆回転して、銃を手に持つ主人公レナードの姿になって映画は幕を開ける。泊まっているモーテルの受付にレナードがいるとテディと言う男がやってきて親しげに話しかける。レナードはすぐにポケットのポラロイド写真を取り出す。テディの写真と、彼の嘘を信じるなと言うコメント。レナードは直前の記憶が消えてしまう病気で、それは妻を犯され殺された時に受けた傷害によるものだと言う。

 

レナードは、ジョン・Gという犯人を追いかけていくのが物語の本編。レナードの仕事は保険の調査員で、かつてサミーという自分と似た症状の男を調査したことがある。その映像もレナードの行動の中に挿入されるが、ここに何か謎があると次第に思い始めます。

 

レナードはナタリーという女性にも会い、言葉を交わす。ナタリーはドッドという男から逃れようとしているらしく、さらに麻薬の取引も物語の中に匂わせてくる。再三登場するテディやレナードが泊まっているモーテルの部屋での謎も繰り返される。

 

モノクロ映像が時間軸通りに展開しカラー映像が逆行してストーリーを追っていくという「テネット」にも通ずる映像表現で、一本の話を描いていく。10分間の記憶しか残せないレナードは、妻をレイプした犯人ジョン・Gを追い詰めていくというモノクロのストーリーにポラロイド写真と刺青に刻まれた記憶の断片が唯一のストーリーのヒントになるのですが、次第にそのヒントが実はレナードの幻想の一部であるかに見えてきます。

 

実はレナードの妻は強盗犯に殺されたのではなく、インシュリン注射をするレナードに殺されたこと。サミーという人物は存在せずレナードのことであること。テディはレナードの事件を扱った刑事で、レナードの復讐劇を黙認していくが、レナードの記憶がすぐになくなることを利用したナタリーという女性が登場して話を複雑にしていることが見えてきます。

 

そしてクライマックス、ジョン・Gを追い詰めたレナードは彼を殺します。ここでモノクロ映像とカラー映像の時系列が一致します。しかしそのあと、テディの写真の裏に、テディの嘘を信じるな、と自ら書いたレナードはジョン・Gの車を盗んで走り出す。そして刺青店の前で急ブレーキをかけ、なんだったかと呟くのですが、要するにレナードの復讐のターゲットをテディにすることで自分の生きる目標に振り返るというエンディングになります。

 

なんとも言えない難解そのものの作品で、この解釈で正しいのか、もっといろんな伏線が張り巡らされているのではないかと自分の記憶をたどりなおそうとしてしまう。まさにクリストファー・ノーランの意図が成就したような悔しい思いに浸る作品でした。