くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「デカローグ1」「デカローグ2」

「デカローグ1 ある運命に関する物語」

これはちょっと辛い話でした。神の存在と命の物語なのですが、そこにパソコンを絡めたストーリー作りがちょっと興味深いのですが、ラストは辛かった。監督はクシシュトフ・キェシロフスキ

 

女性が歩く姿、男性が歩く姿からタイトルの後、パヴェウと父クシシュトフの仲の良い親子の姿に物語は移ります。一緒にチェスをして、相手を負かして大喜びをしたりする親子で、父は大学の教授らしい。家にはパソコンがあり、息子のパヴェウは、パソコンからドアを開いたりするプログラムを作ったりして遊ぶいわば科学少年。

 

ある時、パヴェウは父に、死ということはどういうことなのかと問いかける。魂とか神とかを信じないクシシュトフは返答に困ってしまう。そんな時、普段ついていないパソコンの電源がついていて戸惑う。クシシュトフはクリスマスプレゼントにパニスケート靴をプレゼントする。近くに池があり、クシシュトフの計算では、15メートル沖まで行かなければ破れないからと話す。

 

学校が終わっても帰ってこないと、パヴェウの友人の母がクシシュトフのところへやってくるが、それほど心配せず受け答えする。仕事の書類の家のインク瓶が突然割れてシミが広がる。外では救急車の音がし始める。さっきの母が狂ったように池のところへ行く。大勢が集まっているのでクシシュトフもそこへ行く。さっきの母の友達は車の中で遊んでいただけだと言って母のところにやってくる。パヴェウもその子と遊んでいたと聞いたので、クシシュトフはその子に尋ねると、パヴェウはスケートをしに行ったのだという。

 

クシシュトフは、池から引き上げる死体らしいものを見てしまう。クシシュトフは近所で建設中の教会に駆け込む。そして最初は祈るものの、祭壇を壊して号泣。家に帰るとまたパソコンが電源が入っている。こうして映画は終わって行く。辛いラストです。何かの存在を語るようなシーンを挿入しながら、戸惑うクシシュトフの姿、それでも結局、神は子供を助けてくれなかった虚しさ、一つ一つのシーンに意味を持たせて語って行く絵作りのうまさに圧倒されます。いい作品でした。

 

「デカローグ2 ある選択に関する物語」

これは面白かった。一見、深刻なお話なのだがラストでひっくり返される展開とその皮肉に唖然としてしまいました。監督はクシシュトフ・キェシロフスキ

 

一人の老医師が自宅に帰り、風呂に湯を注ぐのだが、苦しげにその場にうずくまる。玄関に近所の男がやってくるが、何事もなく受け答えする。ある仕事の帰り、最上階に住むドロタという女性が訪ねてくる。夫のアンジェイの病状を確認したいというが、家族との面談は水曜日だからと帰ってもらう。ドロタは老医師の犬を2年前に轢き殺していた。

 

ドロタの執拗な申し出に、老医師は別時間に面談することにし、事前にドロタの夫の病状を再確認する。老医師はドロタに、アンジェイの病状は芳しくないというが命がどうかということまで話さない。ドロタはどうしてもどちらかはっきり聞きたいのだという。その場はドロタを追い返したが、後日切羽詰まったようにドロタが訪ねてくる。実はドロタは妊娠しているのだがアンジェイの子供ではなく、友人の子供なのだという。ドロタは音楽家で同じ音楽仲間の男性と親しくなったとのことだった。

 

もし、アンジェイの命が短いなら、このまま子供を産みたい。しかし、助かるのなら中絶するつもりだという。ただ、ドロタは二度と妊娠できない体なのだという。それでもはっきりしたことを言わない老医師に、ドロタは、諦めて中絶手術の予約を入れる。

 

手術の朝、ドロタはベッドで眠るアンジェイの姿を見つめる。そして、再度老医師を訪ね、一時間後に中絶するのだと告げるが、老医師は、アンジェイは助からないから中絶はやめなさいと初めてはっきり告げる。

 

ドロタが帰った後、老医師のところへ一人の男性が訪ねてくる。なんとそれは奇跡的に回復したアンジェイだった。そして子供が産まれることを喜び、協力してくれた老医師に礼を言って映画は終わって行く。

 

ストーリーの中身も面白いがラストのどんでん返もあっけに取られるほど面白い。練りにねった作品という感じで、アンジェイがベッドから傍のぽたぽた水が滴るのを眺めたり、挿入されるシーンも秀逸で、中編とは思えない充実した映像表現に圧倒されました。