くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アジアの天使」「憂鬱な楽園」

「アジアの天使」

悪い映画ではないのですが、ちょっと長かったですね。韓国と日本が言葉以外に自然と打ち解ける感じがもうちょっと上手く見えていたらもっと良かった気がしますが、期待しすぎたというのもあります。淡々とした展開はそれはそれでいい感じなのですが、もう少しコンパクトに引き締めても良かったかもしれません。監督は石井裕也

 

小説家でもある剛は息子と韓国にいる兄を訪ねてやってくるところから映画は始まる。韓国には仕事もあるし、住まいも準備できるという言葉に、日本の家も引き払い、子供も連れてやってきた剛だが、兄の透はその日暮らしのしかも怪しい仕事をして食い繋いでいるだけだった。仕方なく、とりあえず兄と暮らし始める剛たち。

 

ここに、かつてアイドル歌手だったが、今は過去の栄光だけで食い繋ぎ、事務所の社長との肉体関係を続けて仕事をしているソルがいた。この日もショッピングセンターの余興で歌っていたが、たまたま透らと買い物に来ていた剛がソルのステージを見る。そして、仕事の後、自分の今を悲しんでいるソルを剛はみけかけるが言葉がわからない剛はソルに悪態をつかれるだけだった。

 

ソルは妹のポムに公務員になるように勧め、兄ジョンウと三人で暮らしていた。ある時、事務所へ行ったソルはいつの間にか首になっていることを知る。ソルは社長に誘われるままにズルズル肉体関係を続けていたが、自分は社長の女の一人に過ぎないことを知り、社長の元からさる。一人橋のたもとで泣いていたソルは、橋の欄干に天使を見かける。

 

一方、透は仕事のパートナーに騙され、在庫の商品を持ち逃げされてしまう。仕方なく、以前から考えていたワカメの輸出をしようと港町カンウンへ行くことにする。

 

カンウンへ向かう列車の中、ソルたちも両親の墓参りをしようと乗っていた。そこで、学がうろついていたのを迷子と間違えたソルたちは剛と出くわす。そして、手前の駅で降りた五人は、透の提案で一緒のホテルに泊まることにする。そこへやってきたソルの事務所の社長からソルを守った透と剛はジョンウと急速に親しくなり、一緒にカンウンを目指しジョンウの先輩のトラックで向かうことになる。映画はこのロードムービー部分が中心になり、お互いのこれまでや、天使にまつわる話が語られる。

 

剛たちとソルたちは、お互い言葉は直接通じないが、ソルと剛はカタコトの英語で一言二言交わすようになる。やがて、ソルたちの墓に着いた五人は墓参りをし、別れ別れになるところだが、墓を掃除していたソルたちの叔母に挨拶をすることになり、全員で叔母の家に行き泊まる。浜辺に一人佇むソルはそこで奇妙なおっさんの天使を見かける。一方剛も昔天使を見て肩を噛まれた話をする。

 

その後、透を残して残りの四人は特急でソウルに戻る。そこで別れるところだが、とりあえずビールを飲もうと全員で食事をしている場面で映画は終わる。

 

これという大きなうねりのあるドラマではなく、何かの象徴か希望かの天使を介在にしての韓国人と日本人の何気ない心の結びつきを描いた感じの作品。そのさりげなさは実によくできているのですが、二時間を超える作品にするのは少し無理を感じました。オダギリジョー扮する透がもう少しソルたちに絡めたら良かったのですが完全に浮いているし、全く喋らない学の無言の存在感が表現する何かは、最初は良かったのですが後半息苦しくなってくる感じです。ただ、さりげなく登場する天使は良かったと思います。

 

「憂鬱な楽園」

長回しを多用する特徴的な映像が面白い作品ですが、全体の出来栄えは普通のレベルの一本。物語に大きなうねりを作らず、チンピラの兄弟のドラマというややスケールがこじんまりした姿の作品でした。監督は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)。

 

一人の男ガオが列車に乗っている場面から映画は始まる。40歳を超えて未だフラフラしているチンピラの彼には何かにつけて血気盛んでトラブルを起こす弟のピィエンがいた。この日も賭博中に暴れたピィエンを宥めるガオ。ガオは上海でレストランを開いてみないかという話などもあるが、その日暮らしの毎日から抜け出せない。

 

実家の財産処分の問題で、いとこの刑事リーとトラブルを起こしたピィエンは、仕返ししてやろうと銃を調達しようとする。そんな彼のためにガオが叔父のシィに話を通すが、何故かばれて二人とも逮捕されてしまう。

 

二人を釈放させるためにシィは議員を使って手を回し、問題を起こさず台北に返す段取りで釈放してもらう。帰り道、ガオとピィエン、ピィエンの恋人のマーホァは車で夜道を走るが、突然道を外れて脇の田んぼに落ちてしまう。なぜかピィエンが兄貴のガオを呼ぶ声で映画は終わる。ガオに何かあったようだがそれは余韻として残す。

 

田舎に走るガオとピィエンの延々とバイクを走らせる場面はなかなかの見応えもあるものの、やはり全盛期の侯孝賢の迫力には及ばなかった。それでも独特の空気感は健在の一本でした。