くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「傷だらけの勲章」「潜水艦クルスクの生存者たち」

「傷だらけの勲章」

たわいのない、テレビのサスペンス劇場のような映画なのですが、途中までは、なかなか面白いサスペンスになっています。エジプトやシンガポールなどに海外ロケもわざとらしくないようにも見える。西城秀樹のスター映画のようなのですが、中村嘉葎雄の方が主人公に見えてしまいました。監督は斉藤光正。

 

エジプトのカイロで大企業の社長倉田栄作がスナイパーによって殺される場面から映画は幕を開ける。その遺言書をめぐって、保管している山本弁護士が襲われ、張り込んでいた都築と大貫が犯人を追う。未亡人となった喜枝の捜査にやってきた都築と大貫は遺言書の保管場所を探すが見つからず、一方、なぜか娘が誘拐されたりという意味のわからないエピソードも展開。どこか影のある大貫に都築は不審感を持ちながらも捜査を続けるが、大貫が喜枝と一夜を共にし、遺言状も見つかった事が暗に分かったことから物語は変にメチャクチャになってくる。

 

独自の捜査でカイロに飛んだ都築だが、日本では大貫が事故で殉死してしまう。日本に戻った都築だが、大貫の影がちらつく。捜査を進めるうちに、背後に喜枝とカイロ支社の愛人との関係も表に出てきて、再度カイロへ行った都築は大貫に再会する。大貫は遺言書に、全ての財産は娘に譲るとかかれていて、喜枝に頼まれて、遺言書を隠したのだ。なんともしょぼい動機だが、都築らを亡き者にするために、喜枝らが狙ってくるが、返り討ちにして映画は終わっていく。

 

適当な映画ですが、今では撮影できないアングルのスフィンクスやピラミッド、ラメシスの神殿などを映像で見られただけでも楽しめる一本でした。

 

「潜水艦クルスクの生存者たち」

実話であるし、商業映画なのだからこう追う描き方でいいと思う。生存者がいない中では、クルスクの乗組員のドラマをあれ以上掘り下げられなかったと思う。映画としては普通の作品でした。ロシア側、イギリス側のドラマをもっとリアルに描けていたら傑作になったかもしれませんが、そこは明らかに控えめになっていたのは残念です。監督はトマス・ビンターベア。

 

ロシアの潜水艦クルスクの乗務員であるミハエルが、息子のミーシャと風呂場で潜り合いをしている。そして妻ターニャと朝を迎える場面から映画は始まる。ミハエルは親友の結婚式でその準備をする中で、立て替える金が足らず、自分の海軍の時計を売ってしまう。一方、ターニャのお腹には二人目がいる。乗組員の給料はいまだに支払われていないのだが、クルスクは訓練のため出航する。北方艦隊司令官グルシンスキーが赴任してくる。

 

クルスクに搭載している魚雷が、内部の不具合で熱が上がってきていたが、発射の命令が出なかった。ところがまもなくして魚雷が爆発し、潜水艦内は大惨事となる。急遽隔壁が閉じられるが、100名以上いた乗組員は20名余りになっていた。ロシア海軍は早速調査艇を出し、中からのハンマーの音で生存を確認し、救助艇を派遣する。ところが、機体が古くうまくドッキングできない。

 

一方、イギリス海軍のディビッドはグルシンスキーと旧知だったため、異常事態になっている情報を共有、救援を申し出るが、ロシア上層部は機密情報が漏れることを懸念して、応じなかった。ターニャらとの会見でも明確な回答をせず、ターニャらは苛立ち始める。何度も失敗する救助艇に壕を煮やし、個人的にディビッドに救援を要請、イギリス側の救命艇が現場に到着するが、ロシア側はグルシンスキーを解任してしまう。

 

ディビッドらは、ロシアの将軍と直接面談をするも、頑としてロシアは譲らず、自国の救助艇で救出を試みるが、うまくいかず、とうとうディビッドらの救助艇が出動する。一方、クルスクの艦内では、酸素が減り始め、酸素製造機で一時凌ぎをしていたが、ふとした弾みで、その装置を水中に落としてしまい、一気に火災が発生、酸素もなくなり、排水ポンプも止まってしまう。

 

死を覚悟したミハエル達は最後に言葉を交わす。イギリスの救命艇がクルスクに到着した時には、すでに館内は完全に浸水していて、生存者がいない事が確認される。葬儀の場で、ミーシャはロシア将軍からの握手を拒否、帰り道、ロシアの軍人から、ミハエルの時計を貰って映画は終わっていく。

 

ミハエル側のドラマも、ロシア側のドラマも普通の描写であり、まるでロシア上層部が機密事項漏洩を危惧して人命を無視したかのような勧善懲悪な描き方になっているが、将軍とディビッドらが交渉している席で、サラッと、ディビッド達が情報を要求しているセリフがある。果たして、ロシア将軍の判断は非道なものだったのかは、結局定かではない。その辺りをもっとリアルに脚本に書き込まれていれば傑作だったろうが、その辺りが実に平凡なドラマで終始した。凡作とは言わないけれど普通の作品でした。