「バスカヴィル家の犬シャーロック劇場版」
ミスキャストのオンパレードで、せっかくのミステリーのミスリードが吹っ飛んでしまった。面白い話のはずなのに、この適当な仕上がりはなんだろうというレベルの映画でしたが、クライマックスにこれでもかという二転三転はそれなりに頑張った気がします。でも、この仕上がりならコナン・ドイル怒るやろうなという感じです。監督は西谷弘。
一人の女性蓮壁紅が誘拐されたというナレーションに続いて、オンラインで若宮に事件捜査の依頼をしている父千鶴男との会話、そして直後千鶴男が画面の向こうで死んでしまう。駆けつける息子千里。フラッシュバックで身代金をもった千鶴男が暗闇の中、魔犬が棲むという山に身代金を持ってやってくる。身代金を届けたが、娘紅は帰って来るし、金も犯人は持って帰らないまま、千鶴男は自宅に戻る。そしてこの事件を調べてほしいというのが若宮、獅子雄らに下された依頼だった。こうして映画は始まる。
若宮と獅子雄が現場に駆けつけるとリフォーム業社の女性冨楽朗子、千里らがいた。明らかに冨楽朗子が犯人だとここでわかる配役にまず呆気に取られる。千鶴男は狂犬病で死んだことが明らかになり、殺人事件だと捜査は始まる。一方、獅子雄らも捜査を始めるが、まもなくして千里が魔犬の山に一人で行き凍死してしまう。
物語は魔犬の山にこの村に伝わる呪いの魔犬が出るという噂、さらにその洞窟にある蓮壁家の金庫にある遺書をめぐる遺産の話が展開していくが、どうも何を中心かよくわからないままに、実は紅の実の両親は冨楽夫婦であるという真相と、執事の馬場の正体が見えて来るという無理矢理なストーリー展開を強引に進めていく。
この流れが無理矢理感があり、ミステリーの醍醐味もない上に、蓮壁家のドロドロしたものがミスキャスト故に全然ドラマティックに盛り上がってこず、結局、紅の育ての母となった依羅が、過失で赤ん坊を死なせてしまい、街で、冨楽夫婦に赤ん坊をさらって育てていた。そのさらった時の共犯が馬場で、千鶴男に真相を知られてから、馬場は蔑まれてこの家にで生活していた過去、さらに、千里が生まれたことで紅が虐待されていた過去が説明されていく。もう支離滅裂なミスリード。
獅子雄らは、犯人は冨楽夫婦だと謎解きをする過程で紅こそが実は実行犯であり、恐ろしく恨みを持っていたというのだが新木優子ではその雰囲気がまるで出ていない。と共に、それまでの過去が語られて、馬場が紅を守るため全ての罪を被って自殺、最後の恨みのターゲットの依羅が殺されずに済むなどごちゃごちゃなエンディングへ向かう。
さらに、紅に好意を持つ地震学者捨井が最初からちらほら出てきて獅子雄との丁々発止の会話をし、これが面白いが、全然生きていない。捨井は近々地震が来るといっていた前半の伏線がラストで、いよいよ地震がきて、紅と冨楽夫婦共々、その地震で死んでいくという浪花節無理矢理大団円。もう支離滅裂な脚本である。
話の展開がとってつけたようにとにかくバラバラで、なんとなく一本のお話ですが、それぞれの人物の行動の動機が全く描きこまれていない。完全にやっつけ仕事の映画にしか見えない雑さが思い切り見えてしまう映画でした。おそらく原作はちゃんとドラマができているのでしょうが、さすがに酷かった。
「峠 最後のサムライ」
娯楽時代劇ではなく人間ドラマなのだから、もっと登場人物の心の動きに大きなうねりを見せないと、何をやりたいかわからない上に、歴史に隠れた物語なので説明すべき所はしないと、みていて全然人物も背景も見えてこない。非常に雑なままに展開していく映画でした。監督は小泉堯史。
江戸時代が終焉を迎え、十五代将軍慶喜が大政奉還を家来に告げるところから映画は幕を開ける。越後の弱小藩長岡藩の家老河井継之助は、折しも起こった薩摩長州らを中心とした官軍と幕府側との争いのどちらにもつかず平和と中立を目指して穏便な解決を企てていた。
その信念こそが日本の今後を安定させる手段と信じて疑わなかったが、攻めてきた官軍の軍師らは一向に耳を傾けず、やがて長岡藩は窮地に追い込まれていく。という物語ですが、長岡藩の中の物語が実に希薄で、河井継之助の存在感も大きく見えない演出なので、何がどうなのか一向に感情移入していかない。
やたら落ち着いている河井継之助の家族の存在感も今ひとつだし、官軍の軍師らが実に薄っぺらい描き方になっていて、ドラマを左右する大きなうねりの一角に見えない。結局、最後は長岡藩は敗れ、河井継之助は、死んでいくことになるのだが、それで、どうなんだというエンディングがいかにもスケールがこじんまりしすぎている。完全に脚本の弱さ、演出の力弱さ、登場人物の弱さに尽きる残念な映画でした。