くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「わたし達はおとな」「ボーイ・ミーツ・ガール」

「わたし達はおとな」

徹底的なリアリティで描くと解説されているが、徹底的な独りよがりの世界観で描く恋愛ストーリーという感じの非常に気分の良くない映画だった。しかも、メッセージを見せる人物がいまひとつその描き方に一貫性がなく、正統であるようで悪人である中途半端感で結局ラストの余韻も何も感じるものがなかった。ストーリーテリングというものを無視したようなダラダラ感のある映像ももう一歩面白くない。駄作とまでは言わないまでも、観客を意識した映画にすべきだと思う。監督は加藤拓也。

 

主人公優実が嘔吐している場面から映画は幕を開ける。同棲している彼氏直哉は演劇をしているようで、二人はそれなりにうまく行ってるらしい。まもなくして優実は妊娠しているのがわかり直哉に告白する。ただ、相手の可能性がもう一人いるのだという。たまたま、直哉と別れていた時期に飲み会で知り合った青年といっときのSEXを楽しんだらしい。なんともクソな女という設定から物語は始まり、直哉と優実の今の生活、知り合った頃の生活、優実の大学の友達らとの女子トークを繰り返し、空間と時間を前後させて映画は進んでいく。

 

直哉が主催する演劇団体の公演のチラシデザインを優実がしたことから二人は出会い、やがて恋仲になる。直哉は元カノと暮らしていたがそこを引き払い、優実と同棲を始めたらしい。優実は大学の友達三人と温泉に行ったり、飲んだりしながら、恋愛観や処女性の問題やら彼氏のことを話す。現代女性の考え方をあからさまに描写していく脚本はなかなかのものである。

 

妊娠を知った直哉は、父親になる決心をし、誰の子かわからないままに受け入れると優実に話すが、次第に二人の間に何がしかの溝ができているにが見えてくる。直哉は、一応DNA鑑定したらというが、優実はわからないままに親になりたいという。男と女の考え方の違いが完全に二人をわけていくのがクライマックスとなり、延々と長回しの言い合いの末に直哉は別れることにし家を出ていく。一人残った優実は朝食を食べ始めて映画は終わる。

 

幸福な時間を描かないことがリアリティと勘違いしているのか幸福な時間と不幸な時間のバランスが悪いのか、終始、優実に感情移入できない展開になっているのは流石に片手落ちの脚本である。凡作とは言わないが観客の視線を意識していない演出の視点がどうにも気分の悪い映画でした。

 

「ボーイ・ミーツ・ガール」

なかなかの傑作なのですが、どうもこの監督の作品は波長が合わないらしく、物語が頭の中で整理できない。シンプルなストーリーに前後する時間軸の細かいカットの繰り返し、さらに挿入されるシュールなシーンと単純なセリフの中に散りばめられる伏線、全てが一つになると映画の魅力が爆発する。そんな至福の瞬間を朧げながら感じ取れた感じでした。もう一回、二回とみて楽しむ映像作品だと思います。監督はレオス・カラックス、彼の長編デビュー作。

 

一人の女性が車を運転している。子供が乗っていて、助手席のフロントガラスからスキー板などが飛び出している。アレックスが橋のところにやってきてトマと話し、突然トマを川に突き落とす。アレックスは友人トマに恋人フロレンスを奪われ失恋したのだ。一方ミレーユとベルナールも喧嘩別れしていた。アレックスは、ベルナールがインタフォンでミレーユと話すのを聞き、ベルナールの後をつけてカフェでベルナールとミレーユのメモを拾う。そこにはベルナール達が誘われたパーティの内容が書かれていた。アレックスは、ベルナールの友人のふりをしてそのパーティに行き、その台所でミレーユと出会う。アレックスはミレーユにこれまでの彼の物語を延々と語る。アレックスはミレーユに恋していた。

 

ミレーユのアパート、水が溢れている。アレックスが飛び込むとミレーユが倒れていた。アレックスが抱き寄せると胸にみるみる血が広がる。亡くなったミレーユのそばでアレックスも息絶えてしまう。

 

というお話なのですが、前後する細かいカットで繋いでいくストーリーに頭の整理が追いつかず、結局解説サイトを読んでしまいました。散りばめられたシュールなシーンやカットの連続と、さりげないセリフが後々映像として昇華していく面白さは緻密さを超えて異常なくらいのこだわりの絵作りですが、一度見ただけではその全てを把握できないほどに複雑すぎる気がします。でも癖になる映画です。