くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「豪傑児雷也」「逆流」(現存二十八分版)「雄呂血」「42-50火光(かぎろい)

「豪傑児雷也

トリック撮影を駆使した、いわば娯楽時代劇。主人公児雷也が消えたり現れたり、ガマになったりと、短編ながら見せ場の連続を楽しむ作品。まだまだ映像表現が単調ですが、エンタメの基本が詰まっています。監督は牧野省三

 

道端である親子の前に現れた児雷也。自分は忍術使いで、親子の仇討ちの手助けをしてやると悪徳侍の元へ行き、忍術を駆使してやっつける。そしてさらにその上の悪者に立ち向かわんとすると、蛇に変わる術を持った宿敵やなめくじに変身する女侍らが現れて、大立ち回りの末、児雷也も仇討ちが済んでめでたしめでたし。

 

もちろん、特撮や作り物はチャチそのものですが、今だから許せる面白さが満載しています。カメラがほぼ定点で、舞台撮影の如く見えなくもないけれど面白かった。

 

「逆流」

発見部分二十八分の作品。理不尽そのものの一人の武士の姿をひたすら追っていく展開は、さすがに古さを感じるものの、剣戟シーンの面白さがカバーしてくれる短編作品でした。制作牧野省三、監督は二川文太郎。

 

主人公三樹三郎がとめどなく歩いている。実は彼は剣術の師の娘操に恋をしている。しかし思いは届かず悶々とした日々を暮らしていた。そんな時、母が武士の早馬に蹴り殺されてしまう。一方、操は藩で良くない噂のある源三郎との逢瀬を目撃してしまう。その上、三樹三郎の姉がお城奉公で源三郎に陵辱されたと戻ってくる。どれだけ踏んだり蹴ったりやという展開です。

 

三樹三郎は源三郎と操の祝言の場に乗り込むが、追い出された挙句藩からも追放されてしまう。そして7年が経つ。乞食同然にうろつく三樹三郎は浜辺で源三郎と操の夫婦に出会し、三樹三郎は源三郎に斬りかかり、殺してしまう。しかし三樹三郎の心はすっきりしないまま映画は終わる。

 

理不尽に苦しむ武士の悲哀を剣戟を交えて描く姿は、制作当時の一つのブームか定番だったのかもしれません。時代が見えてくるノスタルジーさえ味わうことができました。

 

「雄呂血」

サイレント映画の傑作と言われるだけあって、単純な剣戟シーンのみならず、人の善と悪、表向きの姿の裏にある人間の本性など奥の深いテーマ性も含めて、なかなか見応えのある映画でした。制作牧野省三、監督は二川文太郎。

 

世の中で無頼漢と呼ばれるものは必ずしも無頼漢ならず、善良潔白なるもの必ずしも真の善人ならずというテロップから映画は幕を開ける。そして、この作品の全てがこの文章に込められています。

 

正義感の強い平三郎はこの日も漢学者永山の教室へ出向いていた。実は平三郎は永山の娘奈美江と恋仲だった。永山の誕生日の宴席で、平三郎は同門の家老の息子浪岡の無礼を怒ったことから、師から叱責を受けてしまう。その上、平三郎の正義を信じてもらえず、奈美江からも疎んじられてしまう。そんな奈美江を誹謗中傷していた若侍を戒めようとした平三郎は逆に誤解され、無頼漢の汚名を着せられて破門の上に故郷を出ることになってしまう。

 

平三郎は、ある町の料亭で、奈美江に似た娘千代と知り合う。平三郎は、喧嘩の仲裁に入った際に誤解されて牢屋に放り込まれ、出てきたら千代は人妻になっていた。平三郎はスリの親分の元に身を寄せるほど落ちぶれてしまったが、千代をなんとかしてやると親分に言われる。親分は千代を誘拐してきて平三郎にあてがうが、すんでのところで平三郎は千代を逃してやる。そこへ役人が押しかけ大立ち回りをする。逃げ回る平三郎は地元の俠客で、人望もある次郎三に助けてもらう。ところが、この次郎三はとんだ食わせ物で、表向きは善人だが、裏では娘を拐かしてきては手篭めにする色魔だった。

 

そんなある夜、夫が病で倒れた一組の夫婦が次郎三のところへ転がり込んでくる。なんとそれは奈美江とその夫だった。次郎三は早速奈美江を手に入れようとするが、平三郎が飛び込み、次郎三の手下や、駆けつけた役人らと大立ち回りとなる。全てに嫌気が刺した平三郎は大勢の役人と大立ち回りをするも次第に力つき捕縛されてしまう。野次馬達はようやく無頼漢が捕まったと陰口をするが、奈美江夫婦だけは平三郎に両手を合わせていた。こうして映画は終わる。

 

表向きの姿では何事も測れない人の真実を描きながら、繰り返す剣戟シーンの連続による娯楽性も兼ね備えた、中身のしっかりした作品で、移動撮影やクレーン撮影でしょうかカメラが大きく動くダイナミックなシーン、さらに平三郎のクローズアップなど、映画的な表現もちらほら見られる見事な一本でした。

 

「42-50火光(かぎろい)」佳

これは良かった。ともするとオーバーアクトになりそうなシーンを抑えた演技演出が見事だし、登場人物が追い詰められてキレそうになり寸前でフッと空気を抜いて次の展開に流れる脚本のリズムも秀逸。しかも、深川栄洋監督らしい洒落た色彩画面も個人的には好みだし、役者それぞれが実に丁寧な演技をしていて好感。物語の展開もさりげなく肩が凝らなくて良かった。

 

子役時代に売れたが今はそれほどの仕事もない女優の佳奈と、脚本家の裕司が普通に迎える朝食場面から映画は幕を開ける。「おはよう、愛してる」という決め事のような挨拶がまたいい。カットが変わると森の中、死んだ子供の傍で穴を掘る佳奈の姿、どうやらドラマの撮影らしいが、佳奈自身、自分の演技に満足できていないが監督のカットがかかり、佳奈が監督に問い詰めるも、母親の心が出ていないとそっけない返事をもらう。

 

家に帰り、佳奈は裕司に子供が欲しいと切り出す。さっきの撮影シーンからの流れが実に上手い。不妊治療を始めることになり、近くのクリニックに通う一方、佳奈は鍼やお灸なども始める。お金がかかることを予想した裕司は職場で給料の前借りを聞くが断られる。たまたま、かつてお世話になった大女優に声をかけられ、女優の旦那は大変よとアドバイスされたりする。このさりげないシーンも上手い。

 

不妊治療を始めた矢先、佳奈の父がALSの難病になったと連絡が入る。裕司は、専門の病院を探したり、個人医院やケアマネの手配をしたりと奔走、義父らを長野から東京へ引っ越してくる段取りをする。そんな頃、同居している裕司の母が勝手に裕司の姉らを呼んで、佳奈は自分が無視されたと裕司に迫る。 何かにつけて自由奔放な姉達に、今後、母の費用を少し負担してほしいというが断られ、母を姉に預けることに同意させる。この辺りのありきたりの展開になる寸前で、事をあっさりと解決しフッと次の展開に持っていく脚本が実に上手い。

 

母を送り出すにあたり、裕司は別れを言えず、佳奈が涙ながらに追い出したみたいになったことを謝るが、母は気にしなくていいからと一人出て行く。この流れも実に上手い。裕司が後から荷物を運ぶのだが、途中で海岸に寄ってぼんやりしていると、裕司が遅いと母から佳奈に連絡が入り、心配した佳奈は裕司に電話をし、何もかも背負わないでいいと話す。この流れも本当に心が温かくなります。

 

一方入院した佳奈の父は、何かにつけトラブルを起こし、その度に裕司が卒なく対応して行く。そして、義父と話すことがなかった佳奈と少し話すように義父を説得する。今やほとんど口が聞けなくなった佳奈の父と佳奈は夜病室で話をし、佳奈の心がほぐれる。やがて、不妊治療が成功し、佳奈の体に受精卵を着床させるが、程なく佳奈の父は亡くなる。深夜に病院で、裕司は目の前に義父の亡霊が現れ礼を言われる。

 

ある日、佳奈が自宅に戻ると、ローン返済の通知がきていた。裕司に問い詰め、借金までして治療したくなかったという。翌朝、佳奈は裕司になけなしのへそくりのお金をさりげなく渡す。お金が家族をギクシャクさせるからこれからは絶対内緒でしないでと言う。このシーンも実に上手い。

 

佳奈の父の葬儀が終わり、佳奈も落ち着くが、しばらくして、佳奈に生理が来てしまう。着床が失敗したのだが、そんな佳奈に、裕司は、子供より佳奈が笑顔でいてくれる方がいいと言う。佳奈も同じだと答え、もう一つある受精卵はもうしばらく着床させるのを待とうと決め、今二人が望むことをしようと決める。佳奈は、もう一度売れたいと答える。

 

次の日、いつもの打ち合わせで、裕司は今の台本をまとめていたが、監督らから、ちょうどいい女優が欲しいがいるだろうかと言われ、裕司はニンマリする。場面が変わり海の中で出産する場面を撮っている。海の中には佳奈がいた。カットがかかり、監督の絶賛の声が佳奈にかかる。それを浜辺で見つめる裕司のカットで映画は終わる。

 

一つ一つのエピソードが本当に丁寧に練られている上に、緊張感を空気抜きして行くように、さりげなく展開して行くストーリーが本当に心地よくて、いつに間にか心の中に温かい何かが増えて行く感じがします。画面もあっさりとスタイリッシュだし、とってもいい映画でした。