くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夜明けまでバス停で」「アフター・ヤン」「線は、僕を描く」

「夜明けまでバス停で」

どこか掴みどころのない、消化しきれない映画でした。一昔前のエピソードの展開とキャラクター設定がわざとなのかと思っていたが、結局最後まで意図はわからなかった。コロナ禍の世界で何を描きたかった?という感じの作品。監督は高橋伴明

 

いかにもな重苦しい音楽、深夜のバス停でコートにくるまる女性が眠っている。一人の男がレンガを拾い、レジ袋に入れてバス停の女に迫ってきてタイトル。カットが変わり、居酒屋の喧騒の中、中国から来たパートの女性マリアに食べ残しを袋に入れてやる三知子。三知子は同僚二人といつも部屋飲みしながら、店長やオーナーの息子のマネージャー大河内の悪口に盛り上がる日々。

 

ところが、コロナ禍が広がり、シフトが減ったと思った矢先三知子らは居酒屋を突然クビになる。アクセサリーの制作もしている三知子は、とりあえず次の仕事の面接に受かるが、それも突然中止になってしまう。部屋も追い出され行き場を失った三知子は公園を彷徨いていて、派手な女に声をかけられる。事情を分かったその老婆は、かつて爆弾を作ったことのあるバクダンという老人を紹介する。

 

一方、居酒屋の店長寺島は、クビにした女性らが気掛かりで、、いろいろ調べていて、彼女らに支払うべき退職金を大河内が着服した証拠を見つける。三知子はどんどん落ちていき完全にホームレスとなってしまう。そして、残飯を漁ろうとして追いかけられ公園で倒れたところでバクダンにみつけられ介抱される。そんなバクダンに三知子は爆弾を作りたいと申し出る。

 

完成した爆弾を持って都庁へ行った三知子は爆弾を玄関に置くが、時間が来ても目覚ましが鳴るだけだった。バクダンによって担がれたのである。何をするでもなくなった三知子は、深夜にバス停でコートにくるまって眠ってしまった。そして冒頭のシーンとなる。退職金の支払い手続きを自分で仕上げた寺島は、かつて慰安旅行で従業員にインストールさせた位置情報アプリで三知子の居場所を見つけ向かっていた。

 

三知子を見つけた寺島は、三知子に迫る男の姿を見つけて大声を出す。実はその男はYouTuberに見入っていて、ホームレスは害虫だと信じ込んでしまっていた。寺島は、三知子の元へ行き退職金を渡す。そして店をやめてきたとつげる。そんな寺島に三知子は爆弾を作ろうとバクダンにもらったマニュアルを見せて映画は終わる。

 

今時、爆弾制作、三里塚や高度経済成長時代を呪うバクダンのセリフ場面や、残飯を漁る流れのエピソード、いかにもセクハラ上司のボンボンマネージャという店長キャラクター、YouTuberに洗脳される引きこもり男などなど、全て一昔前の流れと設定で、それが何か意味があるのかと見ていたが結局不明だった。高橋伴明監督ならもうちょっと深みのある物語を期待していたので、なんとも言えない見終わりになりました。まさに消化不良映画です。

 

「アフター・ヤン」

シンメトリーな画面を徹底したスタイリッシュな構図が美しい一本ですが、中身が一見哲学的でシュールなはずのSFなのに、意外にピュアなラブストーリーとしての締めくくりは、奇妙な感覚で見終わってしまう感じの映画でした。監督はコゴナダ。

 

美しい光の映像から、家族の写真を撮ろうとする場面、カメラの準備をするのはヤンというアンドロイド。ヤンはミカを妹のように可愛がっていて、ミカはヤンをグァグァ=兄と慕っていた。時は、アンドロイドやクローンが日曜普通に存在する近未来。四人の家族がファミリーダンスというネットバトルを始めて背後にタイトルがでて映画は始まる。父のジェイクは白人、母のカイラは黒人、娘のミカは良いしで中国人、という設定がいかにもです。

 

ジェイクらの家族は、途中でバトルに負けてしまうが、ヤンのダンスが止まらず、そのままヤンは機動停止してしまう。こうして映画は始まる。ジェイクはヤンの修理をするために購入した店に行こうとするが既になかった。元々中古品であったこともあり、隣人のジョージの紹介で闇の修理屋の店に持って行く。そこで、違法に近い形でメモリーを抜いてもらい、さらにそれを見るために一人の人物を紹介してもらう。彼女はヤンが非常に優れたアンドロイドだが、再起動することは叶わず、しかし、ぜひ自分の博物館に飾らせてほしいと言う。

 

ジェイクはヤンの体とメモリーを提供することを条件に、メモリーの中を見るモニターを作ってもらう。ジェイクはそのメモリーの中に、一つ一つは短いのだけれど、大量の動画が保存されているのを見つける。最初は、ジェイクの家族との瞬間が散りばめられているのを見つけたが、そこに、なぜか一人に女性の姿を認める。その女性はエイダという名前であることを突き止め、彼女がクローンであることにたどり着く。そして、ようやくエイダに出会うことになったジェイクは、エイダという名前が、彼女のオリジナルである大叔母の名前であることを知る。

 

ジェイクはさらにヤンの動画のファイルを突き詰めて行くと、そこにさらに膨大なファイルを見つける。それはヤンが恋焦がれた一人の女性エイダとの甘酸っぱい恋の物語だった。ヤンの映像ファイルには、エイダのオリジナルである大叔母の若き日、そして、年老いてやがて亡くなって行く姿を看取るヤンの映像が散りばめられ残されていたのだ。

 

そんな話をミカらと語り合うジェイクは、ヤンの体とメモリーを博物館に残したいという要望について、ミカは博物館に飾りたくないと呟く。ジェイクも同意して暗転映画は終わる。

 

一体のアンドロイドの甘酸っぱい恋の物語を、スタイリッシュな映像で淡々と描いて行く作品なのですが、どこか静かに流れるべきリズムが欠如している気がして本当に残念。映像も綺麗だし、展開も素敵なのですが、ジェイクとカイラ、ミカの家族のドラマをすっ飛ばし、ひたすらヤンの物語のみに視点を向けた作りが、作品全体が希薄になった感じです。もう少し脇の話というか、土台になるジェイクの家族の話の上にヤンのストーリーを広げるべきであったかなと思います。もっと胸に迫る甘酸っぱい感動が欲しかった。

 

「線は、僕を描く」

非常に脇の甘い映画です。つまり脇役への演技演出がおざなりになってしまったために、どっしりとした核の物語が薄っぺらくなってしまって、その核の物語を中心にした爽やかな青春物語や古臭いながらも青春の一ページの甘酸っぱさと、一人の若者の苦悩から成長のドラマが際立たなくなった感じです。まあ、娯楽映画なのでそこまで考えなくてもいいかもしれないけれど、せっかくならそれくらい力を入れて作って欲しかった。映画としては普通に楽しい一本だったけれど。監督は小泉徳宏

 

どこかのお寺で催される水墨画のイベント、そこでバイトする大学生の霜介が一枚の椿の絵に見入っている場面から映画は幕を開ける。一仕事終え、昼食の弁当を食べようとして一人の老人と出会う。イベントの段取りをしている西山から、もう少し手伝ってほしいと言われ、引き続き手伝う霜介だが、実は食堂で知り合った老人は水墨画の大家篠山湖山だと知る。そしてそのイベントの途中、湖山から弟子にならないかと誘われる。

 

戸惑いながらも、霜介は昼食時に借りたハンカチを返すついでに西山に連れられて湖山の自宅に挨拶に向かう。そこで、弟子が嫌なら教室の生徒にしようとしていつのまにか湖山に迎え入れられ一緒に暮らすことになる。湖山の家には孫娘の知瑛がいた。霜介が見入った椿の絵は知瑛の描いたものだった。湖山から、今ひとつ認めてもらえない知瑛は、自分の絵に悩んでいた。

 

物語は霜介が湖山の元で水墨画の修行をし、かつて家族を亡くした悲しみから立ち直って行く姿を描いていきます。特にドラマチックなエピソードは展開しないのですが、それ故に、海外の要人を迎えた湖山のイベントでの西山のパフォーマンスや、湖山が脳卒中で倒れるくだり、知瑛が行方不明になる展開、そして、知瑛と霜介の成長から水墨画の展覧会での入賞へと向かうクライマックスへの流れが実に薄っぺらい。そして霜介と知瑛が前に進み始めて映画は終わります。

 

なんのことはない、単純そのものの娯楽作品で終始しますが、霜介と知瑛のドラマを核にした脇役のドラマが実に適当に描かれているために、中心の話が際立たずに平凡な流れで終わってしまいます。それでいいと言えばそれまでですが、もっといい映画になりそうな気がしるのに残念です。退屈はしなかったけれど、それだけという映画でした。