くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「あちらにいる鬼」「土を喰らう十二ヶ月」「恋人はアンバー」

「あちらにいる鬼」

とってもいい映画です。大人の恋を淡々と静かに描く筆致がとっても心に迫って来る感じですが、後、ほんの少しスパイスというか鬼気迫る一瞬があっても良かったかもしれない。笙子を演じた広末涼子がとっても良い形で映画を牽引しています。監督は廣木隆一、脚本荒井晴彦

 

1966年、講演のために子供のようにはしゃいでそそくさと家を出る長内みはるの姿から映画は始まる。迎えに来たのは同じく同業の白木篤郎だった。二人の楽屋で、白木はトランプでみはるを占う。そんな頃、白木の妻笙子は白木の愛人で、自殺未遂をして入院している初子を見舞う。白木は女癖が悪く、何かにつけて女性を関係を持っていたが、笙子から離れることはなく、二人の間に子供もいた。

 

団地の小説を書くからと白木に案内されたみはるだが、その姿を見た笙子も冷静に対処する。それは妻としての自信を見せつけるかのようで、静かに演じる広末涼子が抜群にいい。やがて、白木は強引にみはるの家に行くが、そこにはみはるの若い愛人が住んでいた。しかし、まもなくして、その愛人は去っていき、同時にみはると白木は愛人関係になっていく。物語は白木とみはるの愛人生活と、それを冷静に、というか何の動揺も見せないかのように見過ごしていく笙子の姿を淡々と描いていきます。

 

やがて笙子は男子を産む。そんな間もみはると白木の関係は深まっていき、みはるにとっては白木は愛人関係以上に自分の創作活動の糧となりものとしてのめり込んでいく自分を知る。それでも白木はしゃあしゃあと別の女と関係を持ち、なんの反省もなくみはると体を合わせ、笙子とも普通に生活を続ける。時代は学生運動の時代を迎え、少しづつ流れていく。

 

当たり前のように女性関係を続ける白木に、みはるは身を引く手段として一大決心をする。それは、出家することで白木と縁を切ることだった。そんなみはると白木は初めて一緒に風呂に入り白木はみはるの頭を洗ってやる。みはるは白木に最初の剃刀を入れて欲しいと頼む。髪を下ろす日、笙子は白木に、みはるの元へいけとアドバイスする。それは白木の妻としての笙子の立ち位置を見せるようでもあった。

 

宿坊にやってきた白木の前に、髪を下ろしたみはるが現れる。複雑な思いの白木は、その夜は妻にビジネスホテルに泊まると嘘をついて宿坊に泊まる。深夜、みはるが現れ、最後の別れを告げる。一方笙子は友人の湊と一時の不倫関係を持とうとするが湊は一線を越えられなかった。

 

時は18年経つ。白木は病で余命わずかと宣告されていた。ベッドの脇に笙子がいて、彼女はみはるを呼ぶ。みはるも駆けつけ、意識不明ながらも二人の手をしっかり握る白木。病室を後にしたみはるは一人タクシーに乗る。こうして映画は終わっていきます。

 

いつのまにか身動きが取れないほどにお互い惹かれていくみはると白木が、別れざるを得なくなるくだりの姿が胸に迫ってきます。それは、傍にある笙子の存在が大きかったようにも思います。大人の情念、本物の恋、そのどうしようもない心に身動き取れなくなるみはると白木の別れがたまらなく圧倒されます。傍の笙子の静かな佇まいも胸に何かを生み出していきますが、ほんのわずか全体にスパイスが足りない感じが本当に残念。でもいい映画でした。

 

「土を喰らう十二ヶ月」

雪深い山中、自然の中で暮らす一人の老人の淡々とした四季の日々をただ淡々と繰り返し描く静かな作品。日本映画のいいところが映し出される一本でした。いい映画です。監督は中江裕司

 

首都高速を走る車の中からの景色で映画は幕を開ける。車はどんどん山の中に入って行ってやがて雪深い一軒家に辿り着く。その家には妻を十三年前に亡くし、一人暮らしをしている作家ツトムが自然の中で暮らしている。かつて禅寺に小僧として修行した彼は、自然の中にある食材を楽しみながら執筆をしていた。彼の編集担当で、恋人でもある真知子はこの日も車でやってきて、ツトムの振る舞われる精進料理を食べる。

 

映画は、ツトムの毎日を四季折々の景色を交えながら淡々と描いていきます。ツトムは近所に暮らす義母と親しいが、間も無くその義母は亡くなり、身勝手な義弟夫婦がやってきてツトムの家で葬儀を上げ、遺骨を預けて帰ってしまう。ツトムは真知子に一緒に住まないかと提案するが真知子は考えるという返事をする。

 

しばらくして、ツトムは自分の遺骨を入れる骨壷を焼こうとして心筋梗塞に倒れる。たまたまやってきた真知子が発見し、ツトムは一命を取り留める。真知子は一緒に住んでもいいというが今度はツトムが断る。しばらく真知子は来なかったが、久しぶりにやってきた真知子は結婚を決めたと報告する。

 

ツトムは、死を経験したことがないと、寝る前に一度死んでみることにして、「さようなら」と言って眠りにつくようになる。やがて、また冬がやってきて、ツトムの毎日が続いていく。こうして映画は終わる。

 

とにかく、淡々と静かないい映画です。傍の登場人物がいまひとつ生かしきれなくなっているのは残念ですが、小品ながら、心地よい一本だったと思います。

 

「恋人はアンバー」

LGBT関係は素直に受け入れられないのですが、この作品は、そのテーマながらもすごく爽やかな青春映画に仕上がっていました。見ていて、どこか切なくて。どこか懐かしい青春の一ページを体験したような映画だった。主演の二人もいい感じだし、ややステロタイプ化された両親の描き方もあれはあれでいいと思う。冒頭のニュースナレーションのことばはやや引いてしまうものの、すなおな作品だったと思います。監督はデビッド・フレイン。

 

いつもヘッドフォンをつけているエディは、この日も自転車に乗っていて、射撃訓練場に紛れ込んで大騒ぎになる。学校では男友達に、なかなか彼女を作れないエディはホモだろうとからかわれ、無理やりトレーシーという女の子とキスさせようとするが、エディは胸も触れない。実はエディはホモだったが、時代はまだまだLGBTには否定的で、しかも軍人の父からはたくましくなれと鼓舞され、隠しながら悶々とする日々だった。

 

同じく、男勝りな性格からレズだろうと言われているアンバーという少女がいた。エディは、トレーシーの胸がさわれなかったことからますますホモだと噂され困っていたが、いつものようにヘッドフォンをつけて自転車で走っているところ、アンバーに石を投げられ、お互い恋人同士のふりをして、レズやホモの噂を払拭しようと提案される。こうして、擬似カップルが誕生する。

 

ある日、アンバーの提案で二人でゲイバーに行き、アンバーはサラという女の子と知り合う。一方、エディはついそこにいた男性にキスしてしまった自分に嫌悪感を持って大騒ぎになりアンバーと店を出る。アンバーはエディにそっけなくなりだし、エディは父の勧めもあって軍隊に入隊する試験を受けることにする。

 

ある時、アンバーは母に自分はレズだと告白、サラと正式に交際を始める。レズだということが広まるがエディはアンバーのことをいつのまにか愛し始めていた。しかし、これ以上付き合えないとアンバーに言われ、エディは、レズに騙されたと罵倒するふりをしてアンバーと別れてしまう。

 

エディは入隊試験に合格、入隊の日が迫って来る。アンバーは、エディの気持ちを察し、エディにも前に進んで欲しかった。いつも自分の部屋をラブホテルがわりにして友達に貸していたが、この日、お客さんを連れていくとドアに、エディと撮った写真が挟まれていた。アンバーは貯めたお金を持ってエディの入隊手続きの所に行き、自分がロンドンへ行くために貯めたお金を渡して、自分に素直になって前に進めと励ます。

 

エディはアンバーに一緒に行きたいというがアンバーは断る。エディは入隊をやめ、一人列車に乗り込む。アンバーにもらった箱を開けると、そこにはアンバーが一枚ちぎり取った写真の残りが残されていた。こうして映画は終わる。

 

ホモセクシャルであること、レズビアンであることを心の底から悩み抜いた末の旅立ちは、青春映画としてもとっても爽やかな展開になっています。ゲイについてのメッセージではなく、若い二人にカップルの物語として誠実に描いたのが良かったと思います。掘り出し物の佳作でした。