くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「さらば、わが愛 覇王別姫」(4Kリマスター版)「花のうず潮」「女のみづうみ」

さらば、わが愛 覇王別姫

初公開以来の劇場鑑賞でしたが、やはり名作です。中国近代史を背景に激動の時代の流れの中で、その変遷と京劇のたどる道を描きながら二人の京劇役者を通じての愛憎劇と恋愛ドラマの交錯が素晴らしい。前半の流麗なカメラワークから、後半の暗転を繰り返すたたみかけるテンポのうまさは絶品でした。監督はチェン・カイコー

 

小樓と蝶衣が、劇場にやってきて、スポットライトの中踊り始める。カットが変わると、モノクロ画面のような色調で映画は幕を開ける。時は1924年、一人の女性は子供を抱えて、街頭で演じられている京劇を見ている。京劇を演じる子供達は猿に扮していて大暴れするが、一人の少年が逃げてしまい、師匠の男が追いかけて捕まえる。途中で劇を中断されたと怒る観客に逃げた少年石頭は額でレンガを割ってみせて大喝采を浴びる。その劇団にさっきの女性が子供を預けようとするが、指が多い奇形で、一旦断られる。しかしその女はその子供の指を切り落として劇団に預ける。

 

なかなか覚えの悪い預けられた少年小豆は、師匠に怒られる日々だが、そんな彼を、石頭が庇ってやる。厳しい稽古の中、小豆は小禮に一緒に逃げようと言われて、街に出て京劇の舞台を目の当たりにし、感激して、帰る決心をする。帰ったら、石頭ら仲間が小豆らを逃したとして罰を受けていた。それをみて怖気付いた小禮は首を吊ってしまう。ある日、もと宦官で地元の名士の張翁に招待され、小豆と石頭は覇王別姫を演じるが、張翁に気に入られた小豆は男娼のようなことをさせられる。張翁の家で、石頭は一本の刀に魅せられる。

 

時が経ち、張翁に認められたことで出世した小豆と石頭は、蝶衣、小樓と名を変えて京劇のトップスターとなっていた。小樓は舞台の後、行きつけの女郎屋へ行き、そこで菊仙という女郎と仲良くなり、成り行きで結婚することのなる。そんな小樓に嫉妬とも反抗心とも思える複雑な態度を示す蝶衣だった。

 

京劇のパトロンで名士の袁が蝶衣を気に入り、バックアップするようになる。ある時、袁の家で、かつて張翁の家で見た刀を見つける。蝶衣は小樓の気持ちを取り戻すべく刀を送るが、小樓は菊仙に夢中で、刀を欲しがったことなどすっかり忘れていた。やがて日本軍が侵攻してくる。日本兵に暴力を振るったとして小樓が逮捕され、菊仙に頼まれ、彼を助けるために蝶衣は日本人将校の宴席で歌を歌う。しかし、蝶衣の行動も小樓の気持ちを変化させることはなく、日本人に媚びたと言って唾を吐かれる。

 

菊仙は、小樓が芝居を続けるのを嫌い、小樓は舞台から遠ざかる日々を送る。一方の蝶衣も一人になって阿片に溺れていく。そんな二人をかつての老師が戒めるが、直後、老師は帰らぬ人となる。劇団は解散するが、捨て子で、幼い小豆が拾って育てていた赤ん坊が小四という名で少年になっていた。小樓と蝶衣は舞台に復帰するが、まもなくして日本軍は敗北、後にやってきたのは中国共産党だった。

 

袁は糾弾されて殺され、小樓たちの子供小四は共産党の闘志として蝶衣や小樓たちを責めるようになる。中でも、旧態然とした稽古で京劇を守ろうとする蝶衣には敵意を向ける。小樓は、持ち前の世渡り術で巧みに世の中の流れに迎合するが、心の底では苦しんでいた。そんな小樓を見つめる菊仙の視線も辛かった。

 

小樓は蝶衣の阿片中毒を治してやるが、京劇が若い人たちの中で否定される中、覇王別姫の演目が準備される。しかし、小樓の相手役虞姫を演じるのは蝶衣ではなく小四になっていて、蝶衣は愕然とする。

 

やがて文化大革命が起こり、古の芸術は全て否定されて、小樓と蝶衣は捉えられる。そして群衆の前で、小樓は言われるままに蝶衣が日本軍や富裕層の中国人に媚びしていたなどと言い、さらにもと女郎だった菊仙にさえも愛していないと言ってしまう。菊仙はショックで自殺してしまう。

 

そして11年の時が流れ、小樓と蝶衣はスポットライトの中、覇王別姫を舞っている。蝶衣が小樓の腰の刀を抜き自刃、それを見つめる小樓のカットで映画は終わる。

 

とにかく大河ドラマとしても素晴らしい出来栄えで、絢爛たる京劇の舞台シーンと、戦禍の中歴史が大きく変化する中国の姿が交錯する様は圧巻である。その中で、二人の愛とも友情とも言えない心の葛藤に涙してしまいます。何度見ても、これこそ名作と言わんばかりの一本です。

 

「花のうず潮

なんともまとまりのないメロドラマでしたが、見終わってみると、人生のほんの些細なことから生まれるたわいのない歪みを描いた不思議な映画だったかもしれません。三人のそれぞれの愛の行方が、結局元の世界に戻り、平穏な日々が再スタートするという妙な映画でした。監督は大庭秀雄

 

野々宮家の主人友一郎が床に伏せっている場面で映画は幕を開ける。長男の謙作はこの日も留守で、しかも実子ではないようですがよくわからない。焼き物に凝っているらしくて、ほとんど家にいない。この日、久しぶりに帰ってきた謙作を女中の三千代が出迎える。謙作は三千代のことを愛していて、三千代も謙作が好きだった。主人の秘書でこの家に出入りしている浅井は、三千代が謙作に恋しているとみて、謙作からの呼び出しの嘘の手紙を書いて離れの小屋に呼び出し犯してしまう。三千代はショックでこの家を出る。

 

謙作の友人の建築家の槙が見舞いにやってくる。槙は友一郎の娘怜子と婚約する段取りになっていた。ところが、槙の友人でもある、友一郎の主治医の小野が往診に来た際、玲子は小野に一目惚れしてしまい、強引に迫り始める。小野には京都にかつての恩師の娘小夜子との婚約の話があり、近々東京へ、父と娘でやってくる手筈だった。しかし、怜子の強引な行動に、とうとう小野は怜子に心が傾いてしまう。

 

謙作は三千代を探していたが、槙がたまたま場末のバーで働いている三千代を見つけて謙作に連絡、謙作は三千代のヒモの男に金を渡して三千代を自由にするが、三千代は悩み、謙作の誘いを離れて一人熱海に向かう。一方、小野は小夜子の父に婚約の破棄を伝える。小野は怜子に熱海の別荘に誘われていた。しかし結局踏ん切りがつかずいかなかった。

 

怜子は謙作に電話で正式に別れるが、たまたま三千代が倒れている現場に遭遇、謙作を呼ぶ。謙作は野々宮の家と正式に縁を切っていた。槙は怜子のところに行き、自分にももう一度夢が見られると話す。小野はもう一度恩師の家を訪ねる場面で映画は終わる。結局最初の振り出しに戻って、みんな幸せに前に向く感じです。

 

本当に、作り話の世界という非現実感を映画にした感じの作品でした。小野がテレビ塔に小夜子を連れ出して、そこで突き落とす幻想を見たり、なんともチグハグな映像も散見される映画ですが、見終わって思い出すと。面白い作品だった。

 

「女のみづうみ」

これという大きなうねりのある話ではなく、男と女の情炎を、徹底的に凝った画面構図と、カメラワーク、細かいカットの繰り返しで描く作品で、どちらかと映像芸術的な作りの作品で、唐突な終わりがその後の余韻を産むのですが、結局最初に戻る繰り返しという締めくくりはなんともシュールでした。なかなかのクオリティの映画だった。監督は吉田喜重

 

真っ白を背景に。女性の手が画面に伸びてきて、ホテルで抱き合う男女の姿をカメラがベッドの周りを延々と回って映画は幕を開ける。女の名は宮子、男は彼女の家の室内改装をする北野という男で、いわゆる不倫関係である。宮子の夫有造は、デパートの部長で、仕事が中心の男で、一人息子がいる。

 

この夜も宮子はいつものように北野とホテルに入るが、時間を気にした宮子は先にホテルを出ようとする。すると北野は、記念のヌード写真を撮らせて欲しいと追う。宮子は言われるままに写真に収まり、後日ホテルで会った際、ネガを北野からもらう。宮子は先にホテルを出たが、つけられている気がして振り返り、迫ってきた男にカバンを投げつけて逃げる。しかしカバンの中にはネガも入っていて、その日から何者かから電話が入るようになる。

 

電話をかけてきた男の指示で、夕方東京発片山津行きの列車に乗ることにした宮子だが、心配した北野は少し遅れて片山津に向かう。脱線事故で途中の駅で列車が止まり、降りた駅で宮子はサングラスの男と会話をする。どうやら電話してきたのはこの男らしい。遅れてきた北野と一緒に宮子は片山津へ向かう。そこで、サングラスの男桜井が写真館に現像に出すのを北野は目撃する。

 

後日、宮子はその写真館に出向くが写真館の主人は余計に焼き回ししていて、宮子は手持ちの金でその写真を買い取る。北野と宮子が泊まるホテルに北野の恋人町枝も追いかけてくる。宮子は東京へ戻るつもりだったが、桜井が向かう場所へ一緒に行くことにする。その海岸では映画が撮影されていて、桜井の知り合いの女がエキストラで出ていた。桜井と宮子は浜辺の打ち上げられた船の中で抱き合う。その後岸壁に向かい、宮子はそこから桜井を突き落とす。

 

ホテルに戻った宮子だが、部屋に有造が来ていた。北野からの連絡できたらしく、全てを知っていた。宮子は全て方がつき、写真も焼き捨てたと話す。二人で東京へ向かう列車に乗るが、なんと桜井も乗っていた。最後尾に向かう桜井を追って宮子が向かう。そこで、「自分が愛していたのは宮子本人ではなく写真の女だった」と桜井は話す。桜井の後をじっと宮子の視線が追って暗転して映画は終わる。

 

モノクロ横長の画面の極端な配置で宮子たちを捉えたり、逆光のシルエットで抱き合う宮子たちを捉えたり、真っ白な背景に手指が見えたり、海岸の廃船を絵画的に配置したり、同じショットを角度を変えて何度も繋いでみたりと、かなり技巧的な絵作りがされている。見応えのある映像ですが、川端康成の原作の細かい描写を完全に削除した演出のためか、かなり行間を読まないと理解できない作りになっています。その分、映像を堪能できる、そんな映画でした