くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「トスカーナの幸せレシピ」「キング」

トスカーナの幸せレシピ」

まあ、普通のヒューマンドラマです。しかし、才能のある人はどうしてああも常識外れな人物像として描かないといけないのかと思います。監督はフランチェスコ・ファラスキ。

 

三ツ星シェフの主人公が、暴力沙汰で収監され、社会奉仕を条件に釈放されるところから映画は始まります。奉仕先はアスペルガー症候群の人たちがいる施設で、そこでグイドという絶対味覚を持つ青年と知り合う。そして、料理コンテストに行くことになり、アルトゥーロも付き添うことになる。とまあ、これもよくある展開。

 

決勝を前に、アルトゥーロに外せない仕事のチャンスが来るが、結局それを棒に振って、決勝のグイドを観に戻ってくる。そして、最後に、こだわりの味付けに固執したため破れたグイドだが、アルトゥーロの師匠がグイドの料理を褒め、そのまま、アルトゥーロやグイドたちを雇った店を開店させる一年後、グイドの祖父の危篤の知らせに、グイドたちが向かうシーンで映画は終わる。

 

グイドの成長とアルトゥーロの立ち直りを真っ直ぐにテンポよく描いたかもなく不可もない一本。退屈もしなかったからいいとしましょう。

 

「キング」

シェークスピアの「ヘンリー五世」をもとに描かれた歴史ものなのですが、この時代のヨーロッパの歴史は得意ではないので、最初は入り込めませんでしたが、ラストに至り、それなりに見ることができました。ただ、主演のティモシー・シャラメが線が細すぎて、とてもイングランド王に見えないのが最後まで尾を引いた感じです。監督はデビッド・ミショッド。

 

イングランド内でスコットランドとの戦いの戦場から物語は始まる。時の若きヘンリーが、惨憺たる戦場の悲劇を目の当たりにしている。父のヘンリー四世は戦闘を好み、若きヘンリーは反発していた。

 

やがて先王がなくなり、ヘンリー五世として即位するが、フランス王から挑発的なボールが送られ、さらに暗殺を目論むフランス人が現れるにつけ、ヘンリー五世はフランスとの戦いを決意する。

 

クライマックスはフランスに遠征したヘンリー五世が、盟友ジョンの才覚もあり、見事フランスの皇太子の大群を打ち破る。しかし、その戦闘でジョンは戦死する。

 

ヘンリー五世はフランス王に謁見するが、休戦のため、フランス王は娘のキャサリンをヘンリー五世に嫁がせる。

 

やがて帰国したヘンリー五世は、民衆の祝福を受けるが、キャサリンから、暗殺のことや挑発のこと全てがフランス側の策略ではないことを知る。そして、それが身内の仕業と知ったヘンリー五世は、自分が騙されたと知り、その身内を自ら殺す。

 

王になり平和を手にすることの難しさを噛みしめる王の姿で映画は終わる。

ネットフリックス独占配信作品の公開版なのですが、普通の映画だった気がします。

映画感想「月給13,000円」「広い天」「戦艦ポチョムキン」「白い崖」

「月給13,000円」

これはなかなか良かった。田舎から東京の本社にやってきた若いサラリーマンが、北海道に飛ばされるまでの1ヶ月間のサラリーマン哀歌なのですが、展開するも物語のテンポがいい上に、演じる役者がしっかりと自分の役をぶれずに演じ切ってはいくので、とにかく面白い。監督は野村芳太郎

 

一人の生真面目で実直な若者が東京の本社へ赴任してくる。ところが、着任してみれば、同僚たちは上役の顔色を伺うばかりのもの、課の女性社員にちょっかいを出す上司、取引先のコネの力に屈する経営者たちなどなど、とにかく、生真面目な主人公には許せない。

 

しかし、そんな中で揉まれながら、どうしようもない現実を大人として受け入れていく成長ぶりが実にいい感じで展開する。今となってはこういう世界は過去の遺物なのだが、果たして捨ててしまうべきものだったのか疑問に思ってしまう。

 

脚本が上手いのが白眉の一本で、自分の知識の中にない映画ですが、掘り出し物のクラシック映画という感じでした。

 

「広い天」

一昔前のヒューマンドラマという感じの一本。監督は野崎正郎

 

東京の空襲が激しくなり、広島に一人疎開することになった少年新太郎は汽車の中で馬面の朝雲という男と知り合い、彼の故郷の四国へ行く。やがて戦争が終わり、東京へ戻りたい新太郎だが、両親の行方が分からない。朝雲は彫刻家で、新太郎の彫刻を掘り東京の美術館に出店すべく一人旅立つ。

 

一方、新太郎の両親は広島に行っていない新太郎を探していたが、たまたま美術館で朝雲の彫刻を見て新太郎と確信、朝雲の元へ。

 

新太郎は闇船に騙されたが、警官に保護され、彼を彫刻した朝雲の作品が飾られている東京の美術館に行く。そこで、朝雲と再会、そして両親とも再会して映画が終わる。

 

たわいないドラマですが、これもまた古き映画です。

 

戦艦ポチョムキン

今更いうまでもない映画史に残るモンタージュの教科書。エイゼンシュテイン監督の代表作を何回めかの鑑賞。

 

やはり、完璧に近い編集は、映画を作る人たちにはしっかり勉強すべき一本だと思います。映像表現のなんたるかが詰まっているし、どうやって繋いでいくかが語られているし、有名なオデッサの階段シーンのみならず、見ごたえは十分にあります。しかも、サイレントモノクロながら非常にスペクタクルな映像にもなっている。何回見ても頭に覚えきれないほどの見事なカットが素晴らしいですね。

 

「白い崖」

さすがに良質のサスペンスという感じの一本で、最後まで全然退屈せずに楽しむことができました。監督は今井正

 

主人公尾形が殺人で死刑執行に向かうところから映画が始まる。そして物語は彼がいかにこういう状況になったかが描かれていく。

 

中堅の証券会社に勤める尾形は、貧しい家庭に育ったが、その才覚で社長秘書として勤務して、社長の次女と恋愛関係にもあった。

 

信頼を得ている彼は社長の愛人との連絡などもしていたが、ある時、社長が愛人宅で倒れ、その世話をすることで社長宅でしばらく滞在する。しかし、ふとしたことで社長に嫌われる。

 

尾形は社長の愛人に頼み、社長にもう一度取り入ろうとした矢先、社長が再び倒れる。たまたまそこにいた尾形は、そのまま他界した社長の遺言の言葉を勝手に作って役員に話し、まんまと出世街道に乗った上、反対されていた社長令嬢との結婚も手に入れる。

 

ところが社長の愛人とそのまま付き合っていたため、妻に知られ、その言い争いの中で妻を死なせてしまう。尾形は妻を事故死したと見せかけるが、しばらくしてパリで住んでいた姉が帰ってくる。

 

尾形を疑う姉は独自に調査を始めるが、一方の尾形は女中と交際をしていた。姉は、事故現場に尾形を連れ出すことにするが、途中で不審に思った尾形に責められ、姉はそのまま別荘に逃げる。

 

追いかけてきた尾形が暗闇で誰かを殴り殺すが、それは付き合っていた女中だった。姉が依頼していた元刑事の興信所の男が居合わせる。

 

こうして尾形は冒頭の状態になる。虚しく夜景を見つめる姉のカットでエンディング。それほど優れた出来栄えではないとはいえ、さすがに一流の監督ならではの職人芸が見られる娯楽映画でした。

 

映画感想「ジェミニマン」「ロボット2.0」

ジェミニマン」

作りようによっては面白くなるはずなのですが、なんの工夫もない普通のアクション映画でした。あれなら、あえてクローンにする理由があったのかと思います。監督はアン・リー

 

ベテランスナイパーのヘンリーが今日のターゲットを狙っている場面から映画は始まる。走っている列車のターゲットは生物兵器テロリストという情報の博士。ヘンリーの狙撃で暗殺に成功するが、かねてから仕事に疑問を持っていたヘンリーはこれを機に引退するという。

 

のんびりしようとボートで釣りに出て、沖でかつての戦友と話して、実はターゲットが生物学博士という民間人だと知らされる。しかも、自分のボートには盗聴器が仕込まれていて、港の受付のダニーも政府機関のメンバーだと知るが、直後ヘンリー達は暗殺者の集団に襲われる。

 

ヘンリーはダニーの助けを得て、事の真相を探り始める。ところがそこに、ヘンリーと同レベルの殺戮技術の若者の暗殺者が襲ってくる。なんとか逃れたものの、その若者の顔はヘンリー自身と瓜二つだった。ヘンリーはこれも戦友のバロンの助けで、ブダペストの飛び、追ってくる若者との対話の機会を探る。

 

あとは、クローンであるジュニアとヘンリー達のバトル戦がなんども展開、ヘンリーほどの優れた戦士を作るために、上司が仕掛けた計画だったという真相はあるが、だからクローンを作る必要があるのという話になっているのが実に雑。

 

最後の最後に、改心したジュニアはヘンリーとともに暗殺者たちと戦うが、そのあともう一人彼らに迫ってくる。撃たれても平気な機械のような男で、倒したあとマスクを取ればなんとジュニアよりも幼いヘンリーのクローンだった。

 

結局、ウィル・スミスの若き日をデジタル技術でやって見たというだけが売りの映画になっていて、肝心のクローン技術によるサスペンスが全くおざなりになっている。アクションシーンも今時珍しいほどの仕上がりでもないし、鳴り物入りの宣伝の割には普通の映画でした。

 

「ロボット2.0」

すでに前作から7年、さすがにあの時はちょっと斬新だったが、今回は結局二番煎じなので、ストーリーをもっと凝らないとしんどい。とにかく中盤の説明シーンがやたら長くてぐったりしてしまったので、後半クライマックスも、どうでもよくなって派手なCGアクションなのに眠くなってしまいました。監督はシャンカール。

 

一人の老人が鉄塔で首を吊る。たくさんの鳥がそれを取り囲んで映画は始まる。

突然携帯電話が大空に舞い上がる事件が起こり始め、やがてそれは時の大臣の命を奪うようになる。危機を感じた政府は、パシー博士と助手のアンドロイド二ラーに、封印していたチッティー復活する事を依頼。蘇ったチッティーだが、鳥の形の携帯の化け物にピンチに。ただ、その時に敵の弱点がわかる。どうやら携帯に恨みのある負の力を封じればいいとわかり、正の力を生み出す装置を開発する。

 

そして、負の力を封じたものの、パシー博士のライバルの博士がその封印したものを解放、チッティーは、パシー博士に入り込んだ負の力の敵に手が出せず、バラバラにされてしまう。

 

しかし、二ラーは、かつての邪悪なチッティーのCPUをアップロードして2.0バージョンにして敵と対峙させる。そして死闘の末倒し、パシー博士も元に戻ってエンディング。

 

中盤の携帯に恨みを持つに至った鳥類保護のくだりがとにかく長い。ぐったりしてしまい、冒頭の派手なシーンとクライマックスの派手なシーンを相殺してしまった感じになりました。

 

映画感想「駅までの道をおしえて」「ガリーボーイ」

「駅までの道をおしえて」

時間潰しに見にきた。なんともダラダラした脚本とストーリーテリングのセンスのない演出で、とにかく退屈な映画でした。これは、映画を作るということがわかっていない作家の映像というほかないです。しかも主演の女の子の演技指導がなってないので、やたら間延びしてるし、その上、スローモーションやストップモーションを多用した絵作りも最悪。ため息ばかりが出てしまいました。

 

主人公サヤカの飼い犬のルーが、突然死んでしまったところから物語は始まります。サヤカがいつも散歩の途中で立ち寄った秘密の広場でぼんやりしていると一匹のルーとは似ても似つかない犬がやってくる。その犬を追っていくと一点のジャズ喫茶のたどり着き、そこの主人フセという老人と知り合う。

 

こうしてフセ老人とサヤカの交流を通じて、二人の過去の悲しい出来事を克服していく展開となる。やがて、フセ老人は死んでしまい、サヤカはなぜかわかったように佇んでエンディング。とにかくだらけているし、エピソードや小道具が全部効果を生んでいないし、そもそもラストに向かってお話が流れていない。無理やり電車にこれまでの死んだ人が乗っているというこじつけで終わるのはなんとも言えない。まあ、こういう映画もあるんだね。

 

ガリーボーイ」

期待してなかったし、ラップは全くの素人なので、戸惑いながら見に行ったのですが、これがかなり良かった。インド映画得意の集団ダンスをラップで見せたり、シンプルな物語の背後に、いまだに根強く残るインドの封建的な社会性と、それがほんのわずかに崩れていく現代の流れもしっかり描かれている。ラップのリズムに乗せて展開するテンポ良さもうまいし、監督はゾーヤ・アクタル。

 

スラム街で暮らすムラドは、両親の献身的な努力で大学に通わせてもらっているが、友達らと車を盗んだり好き勝手な毎日を送っている。恋人のサフィナは医学生で、古臭い封建的な社会から飛び出そうとしている。

 

そんなある日、大学でシェールというラッパーの音楽を聴いたムラドはその魅力に引き込まれる。そして、シェールと親しくなり、自分の歌詞を見てもらいながらラップを始める。昔ながらの身分社会が正しいと信じるムラドの父は事あるごとに息子を殴り、身の程をわきまえろと怒鳴る。また母親にも豪剣を振るう。しかし、若者の考え方は次第に変化してきていた。

 

シェールやムラドのラップに興味を持ち、インド人ながらアメリカの音楽大学をでたスカイはそんな二人をプロデュースし、ムラドはガリーボーイの名となり、ネットに配信、一気にムラドの人気が上がるが、一方でムラドはサフィナとの仲にわずかな溝ができ始める。

 

父の機嫌をとって叔父の会社に就職したムラドだが、ラップを止めることはなく、そんな時、トップラッパーのNSAの舞台が開催されることを知る。そして、その前座になれるコンテストが行われることを知ったシェールとムラドは、優勝とチャンスを求めてチャレンジする。

 

一方、溝ができて疎遠になったサフィナとムラドだが、お互いの気持ちは決して揺るぐことはなく、サフィナは、インド独特の見合いの席で、ムラドの友人を絡ませ、ムラドとの仲直りを画策する。一方、ラップコンテストでは、ムラドは決勝に進むことになる。

 

そして、ムラドは決勝の舞台へ。反対していた父を説得して、時代が変わりつつあるのを納得させ、ムラドに好意的だった母も決勝の客席にやってくる。仲直りしたサフィナも、封建的な両親の目を盗んで客席にやってくる。

 

熱唱するムラドのカットで一旦暗転。その後、彼が優勝したエピローグ映像から、賞金を持って実家に戻ってくるムラドのシーンが描かれていく。

 

スラム街の若者がラップで成功していくシンプルな話だが、背後にインド社会の様々な風習を絡ませて展開するドラマが実にうまい。そして、時代が変化しつつある様子もしっかり描かれた脚本も見事。モデルとなるラッパー入るとは言え、掘り出し物の秀作だったと思います。

映画感想「お料理帖 息子に遺す記憶のレシピ」「ハワーズ・エンド」(4Kデジタルリマスター版)「アンナ」(デジタルリマスター版)

「お料理帖 息子に遺す記憶のレシピ」

よくある認知症の映画かと思ってみたのですが、なかなかしっかりと作られていて、ヒューマンドラマとして素直に感動してしまいました。監督はキム・ソンホ。

 

総菜屋を営むエランは、長年自分の経験から作り上げたおかずやおにぎりなどで、地元の人にも孫たちにも愛される日々だったが、仕事が見つからない息子のギョヒョンは母に嫌われていると思って、疎遠になっていた。

 

そんな時、エランはたわいのないことを忘れたり、奇妙な行動をすることが多くなってくる。病院へ行ったところかなり進んだ認知症であるという診断が出る。

 

ギョヒョンは、店と家を売って母を施設に入れることを考え、また、自分が教授になるための裏金を作ることを考える。

 

しかし、閉店した後も次々とやってくる客や孫たちの望みに、ギョヒョンは、もう一度店をすることを決意。施設に入れた母を連れ戻し、記憶が消える前に、知るべきことを知ろうとし始める。

 

やがてギョヒョンはエランのレシピを本にしてプレゼントして映画は終わる。素直な作品で、いい映画だったと思います。

 

ハワーズ・エンド

美しいイギリスの景色と丁寧で芸術的な映像演出が素晴らしい作品ですが、波乱の展開なのにストーリーの組み立てが平坦で、後半非常に長く感じてしまいました。監督はジェームズ・アイボリー

 

ウィルコックス家に招かれたシュレーゲル家のヘレンが、ウィルコックス家の次男ポールと恋仲になるところから映画は始まる。しかし、ヘレンがおば宛にポールが婚約するという連絡をヘレンとポールの婚約だと勘違いしたおばがやってきて、物語が動き始める。ポールは別の女性との婚約が決まっていたのだ。

 

4ヶ月後、ウィルコックス家がシュレーゲル家の向かいに引っ越してくる。一方ヘレンの姉マーガレットはその性格からウィルコックス家の老夫人ルースと仲良くなる。やがてルースが病になり、死の間際、ハワーズ・エンドの屋敷をマーガレットに譲ると書き残す。しかし、夫のヘンリーは子供達の目の前でその書置きを燃やしてしまう。

 

間も無くして、ヘンリーはマーガレットと結婚することになる。また、ヘンリーの失策で失業したバストの世話をしていたヘレンは彼と恋に落ちてしまう。バストの妻は10年前、ヘンリーの愛人であった。

 

その後ヘレンは行方をくらますが、マーガレットは、ヘンリーと相談してハワーズ・エンドにヘレンを呼び出すことに成功する。しかし、ヘレンはバストの子供を身ごもっていた。バストもヘレンを探していて、この日ハワーズ・エンドに来ることを知り向かう。一方ヘンリーは息子のポールにヘレンのことにけりをつけるようにハワーズ・エンドに向かわせる。

 

ハワーズ・エンドで鉢合わせしたポールは誤ってバストを殺してしまう。間も無くしてポールは逮捕され、ヘンリーは絶望する。やがて、ヘレンも子供を産み、ヘンリーは自分の死後はハワーズ・エンドの屋敷は妻マーガレットに譲ると遺言する。

 

映画はここで終わりますが、ワンシーンの中でフェードアウトインを繰り返す独特の演出や、大きく捉えるイギリスの田園風景、自然の色彩の美しさなど非常に上品で知的な画面が展開します。とってもクオリティの高い一本で、文芸大作を見たという満足感に浸れました。

 

「アンナ」

アンナ・カリーナ主演で描くスタイリッシュミュージカルという感じの映画で、全編即興演出のようなカメラワークで、アンナとセルジュの出会いから別れまでを描いていきます。監督はピエール・コラルニック。

 

シュールなダンスパフォーマンスのシーンから映画が始まります。駅構内を撮影していた写真に写っていたアンナの姿を見つけた広告代理店の社長セルジュは、彼女に一目惚れ、必死で探し始める。

 

映画はその探す姿を歌とダンスを交えながら、延々とカメラが捉えていきます。やがて、アンナは列車に乗って去って行って映画は終わりますが、ポップな感じの絵作りと、ファンタジックな展開がとってもおしゃれな作品で、アンナ・カリーナのキュートな魅力もあって、不思議な魅力を生み出していました。

 

映画感想「ラブゴーゴー」(デジタルリストア版)「熱帯魚」(デジタルリストア版)

「ラブゴーゴー」

とっても洒落た三つの恋愛ラブストーリーで、それぞれがたわいないユーモアに溢れているので、見ていて心地いいし、妙な暗さもなく、湿っぽさもなく、それでいて、どこか切ない。とってもいい映画でした。監督は台湾のチェン・ユーシュン。

 

アラサー男子のアシェンはケーキ屋をやっている。彼がケーキを分けているところから物語は始まる。バイトの男の子に並べるように言っても無視される始末。そんな彼の店に一人の女性リーホアがやってきてレモンケーキを買って帰る。実はアシェンは彼女が小学生の時の初恋の女性なのだが、ある夜ブランコに乗って透明人間を待っていていつの間にかリーホアは消えてしまい、卒業式にもこないままにいまになっていた。切ない恋心を懐かしみ、次々と彼女への思いをケーキの名前につけて並べるようになる。

 

そしてとうとう彼女にラブレターを渡そうと準備するが、いざとなりと渡せず佇む。そんなアシェンの手から手紙を奪い彼女に手渡したのが、あのバイトだった。

 

アシェンと同じアパートの、ちょっとおデブのリリーがいる。ある時、道でポケベルを拾う。ベルが鳴って、電話をしたが留守電ばかり。そんな時突然電話のお相手が出る。そして、次第に仲良くなっていくが、自分が太っていることを隠していたリリーは、ダイエットを始める。やがて、会う日が近づいてくる。思うように痩せられないまま、待ち合わせ場所に行くと、そこにやってきたのは、映画の最初でアシェンのケーキ屋で、パンの中にガムを入れて悪態をついた男だった。そしてリリーの姿を見た男は、ポケベルを返してもらって、「思い出をありがとう」と書いた絵を渡し消えてしまう。ダイエットで我慢をしていたハンバーガーをやけ食いするリリーのそばに忘れ物の携帯電話がなる。

 

ここに、アシェンのケーキ屋にスタンガンを売りに行った青年アソンが、この日も、とあるビルへやってくる。そしてそこにある美容院へ入り、まず髪の毛を整えてもらう。そこの店主はリーホアだった。なかなか言い出せないアソンのそばには顔に痣のある女の客がいる。そこへリーホアに彼氏らしい人物から電話があり、戻った彼女は涙を流している。突然、さっきの痣のある女が襲いかかる。彼女の夫をリーホアがとったと喚く。思わず、防犯グッズのピストルでアソンが危機を救う。

 

リーホアは屋上に逃げ、それを追ってアソンがいく。そして、とりあえずリーホアも落ち着く。一人で帰るリーホア。アシェンの手紙にあった、のど自慢に出る番組の時間だった。家に帰ると、レモンケーキが届いている。それは彼氏からの別れの手紙だった。いつもレモンケーキをアシェンの店で買ってリーホアは彼氏に届けていたのだ。テレビではアシェンが、リーホアへの思いの丈を歌っている。

 

アシェンは今日もケーキを焼いている。出来上がったケーキは足跡がついていて、透明人間を待ったあの日の思い出だった。こうして映画は終わります。

 

一見、アメリカ的な洒落たラブストーリーですが、台湾という舞台ゆえに、どこか庶民的でとってもほのぼのしています。好きな映画ですね。最高。

 

「熱帯魚」

チェン・ユーシュン監督のデビュー作ですが、これが最高に面白かったし、上滑りの笑いではない奥の深いストーリー構成も見事でした。

 

一人の少年、ツーチャンがやってくる。バス停で一人の好きな女の子にラブレターを渡そうとするが、間が悪くいつも渡せない。彼は親友といつもつるんでいて、成績は中の下、高校受験を間も無くに控え親も気が気でない。

 

そんなツーチャンは、街で一人のメガネ少年ワンと知り合う。その場は別れたが、少ししてある男と歩いているワンを見かけた直後、ワンが誘拐されたと知る。ツーチャンと友達は、早速犯人を探そうとするが、ツーチャンは、誤って犯人のトラックに乗ってしまい、そのまま一緒に誘拐される。

 

とはいえ、間の抜けた二人の犯人はなかなか金の受け渡しができず、せっかく約束の場所に行くも、間が悪く知り合いの刑事が貼り込んでいるところに出くわしその場を去る。ところがその帰り事故にあい、一人残された犯人は、仕方なく二人の子供を実家の貧しい家に散れていく。

 

ところが、ツーチャンが受験生と知った犯人たちは、勉強させようと本を買ってきたりご馳走したりし始める。さらに、息子たちに身代金の電話をかけに行かせるが、いつも話し中で繋がらない。

 

そんな中、試験の日が迫る。ところが、そんなツーチャンの状況は次第にワイドショーのノリ的に盛り上がってくる。この展開がなんとも楽しい。しかも犯人の家族の個性もそれぞれユニークなので最高なのです。

 

警察の捜査が進んでいると勘違いした犯人たちは子供達を船に乗せて沖に出る。ところが、電話が繋がらないまま試験の日になり、仕方なく、船を戻そうとするが、船が故障。なんとか泳いで戻っていたところへ、第一線に出してもらえず、遊んでいた警官二人に見つかる。ところが、ツーチャンは、迎えに出ている犯人家族は犯人ではなく、自分を助けてくれたのだという。また、電話が通じないのは市外局番を回していなかったというオチまである。

 

二人の警官は子供たちを乗せて試験所へ走り出す。犯人家族の中に一人いた少女からのプレゼントをもらったツーチャンが、手紙を見ると、その少女は一年前に学校を退学させられ、仕事につかされたが、そこで知り合った恋人とその友達にレイプされた過去が書かれていた。そして、夢を追いかけ、自由に学校に行き、試験も受けられることが羨ましいと書かれて、浸水でどこかから流れてきたらしい熱帯魚が入った瓶が添えられていた。

 

物語はそこで終わり、ビルの間に巨大な熱帯魚が泳いでいく。ツーチャンとワンのその後のテロップが出てエンディング。

 

所々に散りばめられたユーモア満点のネタが、とにかく最高に面白くてテンポがいい。間の抜けた犯人たちの間で、不思議な体験をするツーチャン達の様子も生き生きしている。こういう映画に出会うから映画はやめられません。本当に最高でした。

映画感想「時計じかけのオレンジ」(デジタルリマスター版)「フッド ザ・ビギニング」

時計じかけのオレンジ

何度見たことだろう。スタンリー・キューブリック監督作品の中では大好きな一本。やはり天才が作る作品は何度見ても飽きないし、何度見ても、凡人の感性を超えた映像世界を体験できる醍醐味を味わえます。やっぱり凄い。

 

オレンジ色のタイトルバックに引き込まれ、そのまま、有名なカフェのシーンへ。そして主人公アレックスの悪行がクラシックの音楽に乗せて展開。シュールでありエロティックであり、それでいて、色彩表現が奇抜で知性がある。これが映画作り。

 

敵対グループとの乱闘シーン、ホームレス襲撃、作家夫婦の家でのレイプ襲撃へと進む。次のターゲットのヨガ女性襲撃したところで仲間に裏切られ、そのまま14年の刑へ。

 

なんとか釈放されようと、時の内務大臣が進める矯正療法ルドヴィゴ治療の治験者となり、暴力やエロに過剰反応する体になって釈放。ところが、実家では両親に受け入れられず、外に出るもかつて痛めつけたホームレスに襲われ、助けを求めた警官はかつて自分を裏切った仲間で、彼らのリンチの後瀕死でたどり着いたのが、かつての作家夫婦の家。

 

妻は死んでいて、マッチョな使用人が同居している作家の家、最初は気がつかなかったが、アレックスが「雨に唄えば」を浴室で歌っていた事で、かつて妻をレイプした集団のリーダーが歌っていたことを思い出し、ワインに睡眠薬を入れて飲ませ、自宅二階で、アレックスが過剰反応する第九を聞かせる。

 

狂ったように二階から飛び降りたアレックスだが、一命を取り留め、一方で内務大臣の進めた矯正が非難を浴びていたこともあり、アレックスを元の状態に戻す治療をする。

 

回復してベッドに横たわるアレックスのところに内務大臣が訪れ、大音響で第九を聞かせるもアレックスは完全に元の状態に戻っていた。そして「雨に唄えば」のバックミュージックでエンドクレジット。

やはり凄い。これが天才の作る映画だ。

 

「フッド ザ・ビギニング」

娯楽映画としてはなかなか面白かった。秀逸なのは後半部分の鉱山での馬と人のバトルシーン。見事な美術セットで立体的に馬が疾走し、弓矢が飛び交い、炎が吹き上がる迫力を大胆に動くカメラワークで見せる演出が素晴らしかった。ただ、主人公のロビン役のタロン・エガートンがちょっとベビーフェイスなので、領主という威厳が見えないし、ヒロイン役のイブ・ヒューソンがあまり可愛くないので、大ロマンになりきれなかって。ただ、ジェイミー・フォックスの存在感はさすがでした。監督はオットー・バサースト。

 

ロビンとマリアンが知り合うところから映画は始まる。間も無くしてロビンに十字軍の兵役命令が下る。続いてのロビンの戦場での弓矢によるシーンが非常にスピーディで迫力があり、ここで知り合う戦士のジョンとの出会いがテンポ良い。上官の非道を責めて、怪我をしたロビンは愛するマリアンの元に帰ってくるが、ロビンは戦死したという事で領地も取り上げられ、マリアンもウィルという男と愛し合っていた。

 

ロビンは、州長官ノッティンガムの悪政に反感を持つが、そこにジョンが現れる。彼はロビンを立てて、この社会を直そうと提案、ロビンの弓の技術を訓練し、二人で州長官が搾取した金を強奪するようになる。人々は彼をフッドと呼び慕うようになる。

 

ノッティンガムは、教会の実力者枢機卿と手を組んで、この地を我が物にしていた。ロビンたちは枢機卿をおびき出し、彼らの悪事を公にする決心をする。大衆がロビンを英雄と認めてきたことを危惧したノッティンガムは、ロビンのかつての上官らを用心棒として雇う。

 

一方ロビンは、フッドであることを隠し、ノッティンガムに近づき、彼らの本当の計画を聞き出していた。ノッティンガムは盗まれた金の穴埋めに鉱山の住民を襲い、金目のものを奪っていく。この戦闘シーンが抜群に凄い。

 

間も無くして枢機卿がこの地にやってきて、ロビンたちは最後の決戦に平民たちを巻き込んでいく。そして、ノッティンガムらの金を奪い、人々を連れてシャーウッドの森に立てこもって映画は終わる。一方のウィルは、ノッティンガムがロビンたちに殺され、その後釜に州長官の地位について、エンディング。

 

肝心のクライマックスがスローモーションの多用になり、ちょっと弱いのですが、2時間を越えるのに退屈せず面白かった。