くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」

ホット・ファズ俺たちスーパーポリスメン!」

これはめちゃくちゃ面白かった。見逃していた作品で2008年公開映画ですが、コロナの影響で再上映。物語のテンポといい、スピード感といい、それでいてグロい笑い満載で、さらにミステリーの面白さも十分堪能できます。ある意味傑作です。監督はエドガー・ライト

 

主人公の警官のニコラスは、警察学校時代からずば抜けた秀才で、何をやってもトップというエリート。警察署に配属された後も、数々の手柄を立て、様々な賞をもらっている。そんな彼が、突然異動。上司たちがニコラスの優秀ぶりに嫉妬したというノリからして笑える。

 

あまりに平和な田舎町に配属されたニコラスだが、着いた早々から厳しく取り締まりを始める。ところが地元の警察官も適当だし、二十年近く事件らしいものもないので、今更という状態。ところが、殺人事件が起こる。

 

なかなか取り合ってもらえない中で、ニコラスは相棒のダニーと捜査を開始。と言っても、ポリスムービーオタクのダニーは、ニコラスに映画のDVDなど見せて、それのまねごとをしたりする。

 

そんな中、新たに殺人事件。というか自動車事故なのだが、首が道路に飛んでいるというグロテスクさ。さらに、一人の酔っぱらいの大富豪を家まで届けた二人だが、直後、家が大爆発してしまう。しかしその事件にも殺人鬼の影が見え隠れする。

 

さらに、ダニーの誕生日のプレゼントに花屋に行ったニコラスは、そこで花屋の女主人が植木ばさみで殺される現場を目撃。逃げる犯人を追いかけるが、取り逃がしてしまう。

 

それでも、村の住民たち、とくに監視集団という組織の村の男たちは、事故だと言い張り、警察署も本気で取り上げない。しかし一人捜査を続けるニコラスは、一人の男サイモン・スキナーがあやしいと睨む。

 

そして、スキナーを追い詰めていくが、彼にはアリバイもある。困ったニコラスだが、ふとしたことで、複数の犯人がいることを確信、そして調べていくと、なんと、監視集団自体が、以前から外部からの侵入者を殺して、村を閉鎖的に牛耳っていることをつかむ。しかも、警察署も洗脳されていた。

 

後はニコラスとダニーのコンビが、警察署員と一緒に監視集団軍団とドンパチの撃ち合い。とにかく派手に撃つわ、爆破するはの大スペクタクルが展開する。これまでちりばめた伏線を次々と披露しながらのコミカルな、それでいて派手な展開にあれよあれよとスクリーンに釘付けになる。

 

結局全員逮捕するが、ロンドンから、ニコラスに戻って来いという依頼が来る。しかし、ダニーと絶妙のコンビとなったニコラスは、この村に残ることにし、二人でポリスムービーの主人公よろしくパトカーをぶっ飛ばして映画は終わる。

 

いやあ、最高です。とにかく、最初から最後まで手に汗握るスピード感と笑いに引きこまれてしまう。細かいカットの連続と、機関銃のようなセリフの応酬、しかも謎解きも面白い。まさに何もかもそろった傑作でした。

映画感想「イップ・マン 完結」「その夜は忘れない」

「イップ・マン完結」

いよいよ最終章、例によってイップ・マンは無敵に強いし、ストーリーの展開もスピーディなので、ラストまで一気に見れました。物語は一昔前の西洋人悪、中国人善という構図ですが、実話をもとにしてるとして目を瞑りましょう。監督はウィルソン・イップ。

 

アメリカで弟子のブルース・リーが出ている空手の試合をイップ・マンが見ている場面から映画が始まり。そして一年前、イップ・マンの息子が学校で喧嘩をしている。反抗期の息子はイップ・マンが武術をせずに勉強に専念して欲しいという気持ちに反抗して喧嘩ばかりしている。イップ・マンは息子をアメリカの学校へ通わせることを決意し、ブルース・リーから招待されていた空手試合の切符もあったこともありアメリカに向かう。しかしアメリカ社会は有色人種への差別が酷かった。しかも、学校への紹介状をもらうために中国人会に行ったものの、西洋人に中国武術を教えている弟子のブルース・リーを改心させないと許可しないと言われる。

 

別の手を回して紹介状をもらい学校へ行くが、多額の寄付か中国人会の紹介状は必須と言われる。その帰り、チアリーダーに選ばれた少女がアメリカ人に虐められているのを目撃、何とその虐められている中国人は中国人会のリーダーワンの娘だった。

 

彼女を助けたイップ・マンはワンと再度会うものの、ワンは自分を負かしたら紹介状を出すという。仕方なく戦いを始めるが折しも地震が起こる。

 

そんな頃、イップ・マンに懲らしめられたワンの娘のライバルの少女は母に泣きつき、母はアメリカ軍移民局勤めの夫に頼む。海兵隊の訓練所では、ブルース・リーの弟子でもあるハートンが、中国武術を取り入れようとしていたが、空手を取り入れている訓練リーダーのバートンに罵られ、さらに空手師範のコリンにこてんぱんにやられる。

 

中国人街のお祭りで演舞を披露する中国人たちにコリンが割って入り、見学している中国人会の名だたる師範全員を半殺しにする。しかし、最後にイップ・マンが飛び込みコリンを倒す。時を同じくして中国人会に移民局の強制捜査が入り、ワンが逮捕される。バートンはワンと対決することにし、ワンに重傷を負わせる。

 

バートンと対決することを決意したイップ・マンだが、じつはイップ・マンは癌を患っており、香港へ電話し、息子に武術をすることを赦し、それによって心が通い始める。そしてイップ・マンはバートンの対決に臨み、見事勝利する。時がたち、イップ・マンの葬儀、ブルース・リーらが駆けつけるショットで映画は終わる。

 

まあ、とにかく強いので見ていて気持ちがいい。勧善懲悪がはっきりしているのはいいですね。

 

「その夜は忘れない」

当時と今では見方が変わる、ある意味問題作であり、ある意味傑作。カメラの使い方、カット編集の組み立てはまるでヨーロッパ映画の如く美しいしシュール。テーマが原爆被爆者の悲恋物語ゆえの俗っぽさを払拭する仕上がりで、その意味では、唯一無二かもしれません。監督は吉村公三郎

 

広島に向かう夜行列車に乗るジャーナリスト加宮のシーンで映画は幕を開ける。加宮は17年目の平和記念日を迎えるにあたり、17年後の今の原爆の記事をリサーチするべく広島にやってくる。現地の放送局に勤める菊田の案内で、一軒のバーに行く。そこには美しいママ秋子がいた。

 

加宮の取材は芳しくなく、今や原爆に関する目新しいものなど見つからず、被曝者もあっけらかんとしているし、若者たちは青春に興じていた。それでも、六本指の赤ん坊を生んだ女性を取材すべく情報を集めるが、手掛かりもなく、東京へ戻る日が近づく。

 

そんな夜、菊田から、鹿島にその女性がいるらしいと聞き、加宮は向かうが、その女性に会えず、偶然、秋子と出会う。彼女は毎週土曜日、幼なじみの料理屋へ泊まりがけで休養に来ていた。

 

加宮と秋子は急速に接近するが、加宮は秋子に何か秘めたものを読み取ってしまう。伸ばしに伸ばした取材の最終日、秋子に完全に惚れてしまった加宮は連れ込み茶屋でプロポーズする。しかし秋子は着物の前をはだけて見せる。彼女は被爆者で、酷いケロイド跡があった。しかし、それでも加宮は秋子と結婚するといい、一緒に東京へ行こうと誘う。

 

駅で待つ加宮のところに秋子がやってくるが、一緒に行けないから今日は帰ってほしいという。加宮は必ず迎えにくるからと東京へ帰る。ところが、やりとりしていた手紙が返送されてきたことを不審に思い、再度広島にやってきたが、秋子は二ヶ月前に死んでいたことを知る。慟哭する加宮のシーンで映画は終わる。

 

恋物語として物語は進むが、夜の広島のショットのつなぎ方や、突然シーンがジャンプする展開、夜の独特のライティングなど、ヨーロッパ映画的な味わいのある作品で、映画作品としてはなかなかの一本だったと思います。

映画感想「男はつらいよ 寅次郎恋歌」「男はつらいよ 柴又慕情」

男はつらいよ寅次郎恋歌」

物語の構成はワンパターンで面白みもないが、画面の絵作りの美しさは流石に美しい。特に冒頭の山村の芝居小屋のショットは秀逸。監督は山田洋次

 

山深いところで興行を打つ芝居小屋だが、連日の雨続きでお休み。そんな小屋で寅さんが座長と話している場面から映画が始まり、看板女優に宿まで送ってもらう。この風情あふれるシーンは素晴らしいが、ここだけといえばここだけ。

 

ここからはいつもの展開で、柴又に帰ってきた寅さんが例によっての大げんかで出ていく。そんな時、弘の母親が危篤という電報で弘が田舎に戻ると時すでに遅く葬儀となる。そこへ通りかかったのが寅さん。葬儀が終わり弘たちも帰ってくるが、電話をかけてみると、何と一人残った弘の父のところに寅さんが話し相手で入っていて、そこで蘊蓄にある話をされて柴又へ帰ってくる。

 

そんな頃、柴又に貴子といい美人が喫茶店を始め、とらやに挨拶に来て、あとは寅さんと鉢合わせて、例の恋話からのドタバタ劇の後振られてまた旅に出る。旅先で冒頭の旅芸人一座と再会し、そのトラックに乗って去っていってエンディング。

 

貴子の喫茶店はどうなったの?弘の父の哀愁はどうなったの?とこの辺りの処理がかなり雑な脚本になっているがここまで見てきたどれもその辺りは放置なのでこれも目を瞑るしかない感じです。

 

物語の中身は何の変哲もない作品ですが、このワンパターンの喜怒哀楽がファンを掴んだのでしょうね。個人的には中盤から眠かったです。

 

男はつらいよ柴又慕情」

おいちゃん役の森川信が亡くなり、松村達雄が代役となる。映画に余裕のある仕上がりになっていて、物語も綺麗に纏まっている、このシリーズに中では佳作の仕上がりで、いい作品でした。監督は山田洋次

 

安直ながら、漁師の弘とさくらが出てくる夢シーンから映画は始まる。目を覚ました寅さんは、旅の空で列車に乗る。柴又に帰ってくるが、二階を貸し間にするという看板に切れた寅さんとおいちゃんらの騒動から再び旅に出る。

 

舞台は金沢に移り、三人の女性が旅行に来ている。たまたま寄った茶屋に寅さんがいて面識ができ、一緒に観光することになる。三人のうちの一人が今回のマドンナ歌子で、吉永小百合が演じる。流石に若き日の吉永小百合は可愛らしい。三人とも東京ということでその場は別れる。

 

東京に戻ってきた寅さんは、かつての三人のうちの二人と再会し、とらやにやってくる。その日はそのまま終わるが、後ほど歌子が訪ねてくる。こうして物語は本編へ。

 

物語の構成展開がこれほどワンパターンでよくも飽きられなかったと思う。寅さんは歌子にぞっこんになってしまうが、歌子には焼き物をする恋人がいるのだが父と二人暮らしなので家を出ることに躊躇している。とらやで楽しく過ごす歌子はさくら夫婦に相談し、そこで決心する。

 

さくらのアパートで相談した歌子を迎えにきた寅さんと夜の道を帰る。このシーンが今回の作品の見せ場というか、なかなかの仕上がりになっている。そこで、寅さんは歌子が結婚する決心をしたことを知り、寅さんは失恋。一ヶ月後、歌子から近況を知らせる手紙がとらやに届き、寅さんは例によって旅の空で映画は終わる。

 

一つ一つのシーンに余裕のある演出が施されていて、映画に叙情と余韻が見られる仕上がりになっている一本で、このシリーズの中でもいい仕上がりの一本だったと思います。

映画感想「今宵、212号室で」「サンダーロード」

「今宵、212号室で」マリヤ、リシャール、アズドルバル、イレーネ

映画が悪いのか体調が悪いのか眠くて眠てしかたなかった。シュールでファンタジック、幻想的という感じの一夜の物語ですが、物語が雑多に見える上に、ちょっと音楽のセンスが悪いのか、安っぽく感じる。ただ、映像は美しいし舞台劇のようなカメラワークも面白い作品でした。監督はクリストフ・オノレ

 

軽快な音楽から主人公マリヤが、カーテンの隙間から彼女の愛人アズドルバルが別の女といちゃつく様子を見ているカットへ。我慢できず飛び出したマリアだが彼女もまた一夜を共にしたばかりで半裸である。アズドルバルに捨て台詞を残して夫リシャールの元へ。

 

ところが、マリアのシャワー中にマリアの携帯の受信を見たリシャールは、マリアの浮気に気がつく。マリアに問い詰めるが、開き直ったように、あっけらかんとする態度を取るマリア。

 

マリアはリシャールの家を出て向かいにあるホテルの212号室に泊まることのする。ところが突然若き日のリシャールがマリアの前に現れる。訳もわからず体を合わせ、あるようなないような会話をするが次々とマリアの浮気相手が現れ、さらにかつてリシャールのピアノの先生で、リシャールおつき合っていたかもしれないイレーネまで現れる。

 

イレーネは、今のリシャールの部屋に行き、懐かしい話をしながら、二人の間に生まれるはずだった子供を連れてきたりする。そんな様子とマリアと若きリシャールの展開、さらに、リシャールに追い出された若きイレーネはマリアと一緒に浜辺に住む今のイレーネのところへ行ったりすり。

 

物語といえるかどうか、夢の中の世界のような柔軟なストーリーと映像、カメラも天井から部屋から部屋を飛び越えたり、リアル空間を無視する。全体が、夢幻の如く、流れて、やがて夜が明け、部屋を後にしたマリアは出てきたリシャールと出会う。今夜戻ってくるかというリシャールの問いに、用もないから戻りますと答えるマリア。さりげなく普通に戻った感じで終わる。このエンディングは洒落てるんですけど、どこか纏まり切れていない気がしました。

 

「サンダーロード」

こういうスタイルなのかもしれないが、長回しとセリフの多さで見せていく作品で、主人公ジムがどこか精神的な欠陥があるのは伺えるのですが、彼と娘クリスタルとの絆の部分は今ひとつ掴めないし、隣人で親友のネイトとの絆も見えきれないように感じてしまったのは私だけでしょうか。全体の流れはドラマティックな感動へと進むようですが、ちょっと迫るものはなかった。監督はジム・カミングス。

 

主人公ジムの母が亡くなり、その葬儀の場面で、ジムがスピーチする姿をカメラがゆっくりと延々と寄っていくショットから映画が始まる。修理したはずのラジカセが動かず、母が好きだったブルース・スプリングスティーンの曲がかけられず、仕方なく踊って表現するが、同席の人の失笑を感じてその場を去る。

 

ジムには愛娘クリスタルがいるが妻とは別居中で、交互にクリスタルと過ごすようになっていた。しかし妻は離婚を希望していた。ジムは警察官だが、仕事でもトラブル続きで、相棒で隣人の友人ネイトがジムを何とか支えていた。

 

やがて離婚調停の書類が届き、クリスタルを単独保護する申請をジムの妻が提出。裁判所で、ジムが葬儀で踊った動画が証拠提出され、精神不安定ということで、妻の申し出が認められてしまう。クリスタルは学校でも言葉が悪いと学校に呼び出されたりもする。

 

動画が証拠提出されたことに切れたジムは、その動画を撮ってくれたネイトにつかみかかり、それをきっかけにジムは警察署を辞めることになる。娘もとられ、絶望したジムは姉に挨拶をして車で出るが、途中で同僚の警官に止められる。緊急連絡が入ったということだったが、何とそれは妻の家からだった。駆けつけてみると、妻は麻薬の過剰摂取で死んでいて、クリスタルだけがいた。

 

クリスタルはジムに誘われるまま、ジムと暮らすことに同意し、ジムとクリスタルはバレエの舞台を観にいく。舞台にのめり込むクリスタルを見る事務のカットから映画は終わっていく。

 

ただ、ジムの妻が素行が悪いと追うのはあまり見えない。何かにつけて欠席したりするので普通ではないとは見えるものの、異常なくらい喋るジムの方が精神不安定に見える。それにクリスタルは母の方についているようにも見えるのに、あのラストがどうもこちらに訴えるものが感じられなかった。これは私だけの感じ方かもしれない。サンダンス映画祭グランプリというのを何となく納得する作品でした。

映画感想「ドラゴン危機一髪」(4Kリマスター版)「女めくら物語」

「ドラゴン危機一髪」

物語は単純だし展開も雑ですが、ブルース・リーの魅力だけで見る一本、まあそれだけで楽しかった。監督はロー・ウェイ。

 

主人公チェンが叔父に連れられて故郷に戻ってくる。いとこたちと一緒に製氷工場で働くことになるが、何とそこは氷の中に麻薬を仕込んで稼いでいる工場だった。

 

その秘密を知ったいとこたちが次々と行方不明となり、チェンはその秘密を探り始める。そんな動きに危機を感じた工場の社長はならず者たちを送り込んでいとこたちを皆殺しにする。

 

クライマックスは拳法の達人でもある社長とチェンの一騎討ちとなり、チェンが勝って、それでも暴力事件なので警察に連れて行かれて映画は終わる。麻薬の話はどうなったんやという展開になって行くのがいかにも古き良き香港映画。それだけでも面白かった。

 

「女めくら物語」

画面の中に赤や黄色の色使いや構図にこだわった画面は美しいのですが、どこか物語の展開がちぐはぐでまとまりきれず、もう一歩という作品でした。監督は島耕二。

 

16歳の時の病で目が見えなくなった鶴子は今ではあんまとして生活をしていた。ある時、石段でつまづいたところ木越という男性に助けられる。二人はたまたま同じところへ向かうところだった。

 

鶴子は客に絡まれ困って逃げ込んだ部屋に木越がいてまたも助けてもらう。それ以来鶴子は木越を気にかけるようになる。そんな頃、鶴子の勤めるあんま屋に糸子という目あきのあんまがやってくる。しかし彼女の素行は悪く、あんま屋の主人を誘惑したり、同僚と諍いを起こしたりする。

 

鶴子はあれ以来木越と会うことはなかったが、店の慰安旅行で出かけた先で木越に再会する。彼は仕事がうまくいかず自殺さえ考えていた。一旦その場は別れ、夕方迎えにいくからという言葉に心待ちにしていた鶴子だが、結局来なかった上に、木越の会社が倒産した風な記事と、自殺をほのめかす内容を知り、てっきり死んだものと思ってしまう。また糸子は客の金を盗んで逃亡してしまう。

 

時がたち、石段で再びつまづいたところを片目開きの謙吉と出会う。彼は鶴子のあんま屋に弟子入りすることになるが程なくして謙吉は強引に鶴子と関係を持ち、2人は恋仲になる。

 

ところが、ある日糸子が帰ってくる。そしてあんま屋の主人に取り入り、たまたま主人の妻が親戚に泊まりに行った時に入り込んでしまう。しかも彼女は元から謙吉の女で、鶴子も騙されていた。

 

呆然としたまま飛び出した鶴子は石段で倒れてしまう。そこへ通りかかったのが木越だった。そして二人は料理屋へ行く。鶴子は自分の貯金を使ってもらうように木越に頼み、通帳を取りにあんま屋に戻ると、あんま屋では糸子と謙吉に店の金を盗まれたと聞く。鶴子は通帳を持って木越のところへ戻ると、木越は自分で何とかすると言い残して出たと聞く。様々なことを経験し、あんまとして生きていく踏ん切りがついたという鶴子のセリフで映画は終わる。

 

石段の空間のカットや、柿やイチョウなどを配置した色彩演出など美しい場面もちらほら見えるのですが全体が今ひとつまとまっていない感じの作品でした。

映画感想「のぼる小寺さん」「一度も撃ってません」

「のぼる小寺さん」

小品ですが、とっても爽やかな青春ムービーでした。仰々しい熱さもない淡々とした青春の一ページがとにかく素敵な映画でした。監督は古厩智之

 

ボルタリングをする主人公小寺さんのカットから映画が始まる。彼女を熱い視点で見る卓球部の近藤。卓球部といっても適当に選んで入っただけの近藤。隣で熱心に練習する小寺さんに目を離せない。映画はこの展開をオープニングに、クラスで印象の薄い四条、カメラ好きなありか、遊びまわるだけの今時女子高生の梨乃を絡めながら、淡々とした高校生活が描かれて行く。

 

しかし小寺さんの周りの人たちは、ひたすら登っている小寺さんを見ているうちに、近藤は卓球を一生懸命し始めるし、四条はボルタリングクラブに入部、ありかはこそこそ撮っていたカメラを堂々とするようになり、やがて小寺さんを撮影するようになる。また梨乃も遊びまわるだけの虚しさからネイリストへの目標を見つけて行く。

 

小寺さんがそれぞれのクラスメートと何故か突然会話して行く下りも素敵だし、学園祭のシーンで、子供が手放した風船を軽々と校舎を登って取る場面も良い。さりげないシーンの数々が本当に身近で親しみが湧くし、いつの間にかどんどん映画に引き込まれてしまいます。

 

そして、卓球大会でベスト8までいく近藤。小寺さんの試合に近藤やありか、梨乃らが集まってくる場面もさりげなくて良い。そして、ラスト、かねてから小寺さんに告白したい近藤は、部活の休憩時に炭酸飲料を持って小寺さんを誘う。自分を見て欲しいというだけの近藤に、小寺さんはその気持ちを察し黙って自分の飲みさしの瓶を近藤に渡す。近藤は小寺さんに背を向けて飲み干すが、小寺さんは背中合わせに座って、ゆっくり近藤に体を預けて暗転エンディング。

 

決して、ものすごい映画でも何でもないのですが、とっても素朴でとっても純粋で、とっても身近に感じてしまう大好きな映画に出会った感じでした。

 

「一度も撃ってません」

最初は物語がぼやけてしまった失敗作かと思いましたが、そうではなくてこれはハードボイルドを茶化しながらも徹底的にハードボイルドを描こうとした阪本順治監督の遊び映画だと分かりました。その意味で映画が一つの色彩を帯びていてとっても面白い作品だった気がします。

 

地下駐車場、一人の男が電話で何やら脅迫まがいのことを言っている。怪しいバイクが彼のそばを通る。その男が車を降りると、ワンクッション置いて一人の男が駆け寄りその男を撃ち殺す。

 

それから3ヶ月、殺されたのはゴシップ屋のジャーナリストらしい。その記事を見る一人の初老の親父市川。かつてハードボイルド小説を書いたものの一瞬だけの名声の作家である。妻は元教師でいかにも真面目な女性。

 

しかし、この市川には別の顔がある。夜の街、とあるバーで出会うのは元検察官で今や闇の組織との情報をやり取りして生きる石川、元ミュージカルスターのひかる。そしてマッチョでいかにも不気味ながら指の怪我で震えが来ているポパイというマスター。そんな店に入り浸りながら、歯が浮くようなセリフを駆使して御前零児と言う名で酒を飲む伝説のヒットマン市川がいた。

 

彼の担当編集者の児玉は定年を迎え、後輩の五木に市川の担当を引き継ごうとしていた。実は市川は、裏稼業で殺しを請け負う今西と知り合いで、今西の仕事を取材して小説を書いていたのである。

 

そんな時、石川が扱った事件でヒットマンに狙われる可能性が出てきたことがわかり、石川の仲間と目されている市川にも危険が迫る。一方、毎夜毎夜夜中に出かける夫の市川を不審に思った妻弥生は、密かに調査し、市川と親しくしているひかるの存在を見つけ、市川が入り浸るバーにやってくる。

 

さらに石川には脳腫瘍が見つかる。また市川らが集まるバーが今宵で店じまいすることになる。その夜、弥生はひかるに会いにバーにやってきた。その日、ヒットマンが市川を狙っていると石川に聞き、今西の仕事場から銃を持ち出す。今西はというと惚れた女と酒を飲んで、今宵は銃は使えないという。仕方なく、市川は撃ったこともない銃を持ってバーにやってくるが、その前に、組織が雇った凄腕の中国人ヒットマンがバーで市川を待っていた。

 

やってきた市川とヒットマンはお互いの銃を向け合って膠着してしまうが、そこにバーのマスターが中に飛び入る。そして、二人に銃など撃ったこともないだろうと銃を取り上げる。ヒットマンは実は日本人で、そそくさと逃げ出してしまう。

 

ひかると弥生はすでにすっかり意気投合している。市川、石川、弥生、ひかるはバーの閉店まで飲み店を出る。バーは最後の営業を終える。タクシーで弥生を家に送らせた市川は一人深夜の路地でタバコを吸う。映画はこうして終わる。まさに阪本順治のお遊びなのだ。だから面白い。お話はぼやけてしまって、結局、組織の話や、編集者たちのエピソードはそっちのけで消えてしまうのだが、映画が一つの色に染まっている気がします。面白い作品でした。

映画感想「MOTHER マザー」

「MOTHERマザー」

脚本が悪いのか演出が悪いのか映画と演技に強さがない。こちらに訴えかけてくる迫力がないのに、ひたすら陰湿で暗い。監督の独りよがりにしか見えない仕上がりになったのはどうしたものか。長澤まさみも監督の大森立詞もいい役者だし良い監督なのにという感じでした。

 

シングルマザーの秋子が、幼い周平と暮らしているが、秋子はこれという仕事もなく、両親や妹に金を無心しながら生活をしている。彼女がこうなったことは一切説明シーンを省き一気に本編へ行くのだが、よくある手法ながらどうもテンポが悪い。周平の父親も出てくるシーンはあるが、今一つ描写が弱い。

 

両親からももう金は出さないと言われ、妹からも断られ、どこ行くこともなくゲームセンターに来た秋子と周平は、そこでいかにも遊び人の川田と出会う。秋子は川田の近づき、いつの間にか三人で生活するようになるが、秋子は周平を放っておいて一週間近く家を空ける。ガスも止まり、間も無く電気も止まる。市役所の福祉課の職員で秋子に気がある宇治田をうまく利用しようとする秋子だが、周平を出しにして脅迫まがいのことをしたので逆ギレされ宇治田は大怪我を負う。

 

結局、ことを荒げず、秋子と川田は以前のままに暮らすものの、元のところへもいられず点々とする。物語は秋子が男を変えながら、周平をこき使って金を作り、生活して行く様を描いて行く。秋子に子供ができたことで川田が去り、ラブホの経営者の男からも離れ、娘冬華が生まれたものの生活する術もなく7年が経つ。

 

ホームレスまがいの生活をしているところを福祉職員の髙橋亜矢に出会う。彼女は秋子らを簡易施設に住まわせ、周平にフリースクールを世話する。次第に勉強にも興味を持つ周平だが、秋子はあくまで生活のために周平を使おうとする。何故にそこまで秋子は世間に背を向けているのかが、この辺りになると気になり始めるのだが、それらしい描写が全く見られず、秋子がただの異常なヒステリー女にしか見えなくなってくる。人物像の演出が薄っぺらいのである。

 

ところがどこで見つけたか川田が現れ一緒に生活を始める。暴れる川田をどうしようもなくなんの手立てもしない亜矢の描写が実にリアリティに欠け、事情はあるらしいがこのあたりからおかしくなってくる。

 

結局借金取りから逃げるため宿泊所を出た秋子らだが、川田はまたも何処かへ消えてしまう。それからしばらくし、三人は工事現場の宿舎に住んでいた。このあたりからストーリー展開が雑になってくる。現場の社長に世話になる秋子は、会社の金を盗むように周平に言ったりするも、結局ままならず、またここを出て行く。そして、途方に暮れた秋子は、両親、つまり周平の祖父母を殺せば良いのではと周平に言うのだが、あまりに唐突で、理由が見えない。

 

修平は実行に移すのだが、この辺りもかなりの手抜き状態で、追い詰められた感もなく、何故周平が秋子にそこまで心酔しているのかも見えない。

 

警察に捕まるも、周平は秋子に言われて犯したわけではないと主張し、秋子は執行猶予だが周平は12年の懲役刑となる。どうにも納得のいかない弁護士は何度も二人に詰め寄るが、秋子は自分の子供をどう育てようと自由だと言い、周平は母が好きだと答える。このラストも実に弱い。何か訴えかけたいものがあるのだろうが、監督の独りよがりで終わった感じでした。