くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ブラック アンド ブルー」「#ハンド全力」

「ブラック アンド ブルー」

脚本がよければ三流監督でもそれなりの作品になるという典型的な作品。とにかく脚本が実によく書き込まれている。しかも演出もそれなりにテンポ良くスピーディなので、最後まで全くだれずに見終わることができました。久しぶりに幌出し物に出会いました。監督はデオン・テイラー。

 

一人の黒人女性アリシアがランニングをしている。そこへパトカーが近づき有無を言わせず職務質問に入るが彼女が警官だと分かり、即釈放する。アリシアは元軍隊にいて最近この故郷に警官として赴任してきた。

 

相棒と巡回するが、かつての団地はギャングの巣窟となっていて、そこのギャングのリーダーはダリウスといった。アリシアにはこの地には幼なじみのマイロやミッシーなどもいて懐かしく声をかけるが警官になったアリシアには冷たかった。

 

一通り巡回から戻ると、夜番に入ることになり麻薬課のブラウンと巡回に出る。ところが、ブラウンがある建物に入って、待っていたアリシアは銃声を聞いて駆けつける。そこには麻薬課の警官マローンらが組織の黒人ゼロらを銃殺していた。アリシアのボディカメラにその映像が映されたと知ったマローンらはアリシアを撃つが、間一髪でアリシアは脱出する。

 

ところがマローンらは麻薬課組織ぐるみでアリシアを襲ってくる。なんとかマイロの店に逃げ込み、相棒と待ち合わせて車に乗るがその相棒も見て見ぬ振りをした方がいいと諭す。アリシアは車から逃げマイロの家に逃げ込む。ところがマイロはゼロを殺したのはアリシアだとギャングたちに情報を流したため、ギャングもアリシアを襲ってくる。マイロはアリシアと逃亡、後はギャングとマローンたち悪徳警官、アリシアらとの逃亡劇となる。

 

ところがアリシアを逃すためにマイロはダリウスに拉致されてしまう。アリシアは最後の手段で、カメラを取引手段としてダリウスらの団地に単身乗り込む。そしてダリウスはハッキングしてアリシアのカメラから真実の映像を確認するが、機動隊らを従えたマローンらがアリシアに迫ってきた。

 

マイロは最後の手段で警官に化けアリシアの映像を警察署でアップロードするべく団地を脱出、アリシアはマローンらと戦うことになる。そして間一髪、アップロードされた映像が署長に届き、アリシアの無罪が証明され、マローンは逮捕されて大団円。ダリウスらも銃撃戦の中で死んでしまう。

 

登場人物や小さな伏線がそこかしこで生かされた展開が見事で、ラストシーンが一気に解放される。黒人差別というメッセージも埋め込まれておるもののアクションが秀逸で、ちょうどいい感じに忍ばせた感じに仕上がったのが良かった。掘り出し物でした。

 

「#ハンド全力」

脚本も映画のできも普通という映画でしたが、こういうなんの飾り気もない素朴な映画を見ると、なんか映画っていいもんだななんて感じてしまう。そういう映画でした。監督は松居大悟。

 

熊本の仮設住宅に住むマサオは、これということもせず、進路も決められずのんびりと高校生活をしていたが、ある時、三年前やっていたハンドボールをしている自分の写真を少し加工してアップしたら、背後に仮設住宅が映っていたこともあり、いいねクリックがみるみる増えて驚く。そこで友達の岡本と協力し、#ハンド全力、と入力した上で、ハンドボールをしている様々な画像をアップし始める。

 

熊本の被災者の仮設住宅の生活の中でというイメージがどんどん拡散して、やがて#ハンド全力が全国規模で話題になる。そんな中、廃部寸前の男子ハンドボール部の島田がこれに目をつけ、マサオらもなんとか廃部脱出のため協力するようになる。テレビ局などからもオファーが来るし、義援金なども集まり始め、やがてメンバーも七人になり試合もできるようになる。

 

しかしマサオらには試合で勝つなどということではなく、SNSでの拡散こそが目指すものだと練習さえも特にしない。そんなマサオらに豪を煮やす女子ハンドボール部の面々。しかも他校と試合をしてぼろ負けになっても逆にマサオらのハンドボールチームは注目を浴び続ける。

 

ところが、ある時、マサオと岡本が最初にアップしたヤラセに近いハンドボールの動画のネタバレしたものがネットに投稿され、一転して炎上し、マサオらは非難の的にされてしまう。テレビ局も去り、義援金も中止される中、一人また一人と部員が去っていく。ネタバレ動画の投稿者、その動機など全く描かれてない手抜き脚本だが、そこは無視して前に進む。やがて一時はバラバラになりかけたメンバーも戻り始め、改めて試合に臨む彼らの姿で映画は終わる。

 

女子ハンドボール部員との小さなさりげない恋物語のようなエピソードも交え、ネットの中傷や熊本復興のエピソードなどもさりげなく挿入し、ラストは青春映画らしく締めくくる。なんの変哲もない映画ですが、こういうのもたまには良いかなという作品でした。

映画感想「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」「ぶあいそうな手紙」

「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」

ちょっと面白い作品でした。幻想的な夢シーンを挿入しながら、ナチスに侵略されていくウィーンの街で一人の青年の生き方を描く。時代の流れと青年の成長がかぶる展開がなかなか引き込まれました。監督はニコラウス・ライトナー。

 

一人の青年フランツが湖に潜りじっと座っている。外は雨で雷が鳴っている。フランツは湖を出て駆ける。フレームインして、一人の女、彼女はフランツの母らしい、が初老の男と森でSEXしている。ことが終わり、初老の男は嬉々として湖へ。フランツは家に入りベッドに潜り込む。湖に入った初老の男に雷が落ちる。なかなかのオープニング。初老の男はフランツの母の後援者のようである。そういう時代。

 

母はフランツをウィーンで雑貨屋を営むオットーのところに働きに行かせる。フランツは雑貨屋で仕事を始めるが、そこに時々やってくるフロイト教授と親しくなり、フランツは恋の悩みを相談するようになる。フランツはここで一人の女性アネシュカと出会い一目惚れする。しかし最初のぎこちないデートでアネシュカに逃げられてしまう。

 

フランツはフロイト教授やオットーのアドバイスで彼女の居場所を突き止め直接彼女に接触。そして夜の雑貨屋で二人は体を合わせる。真っ裸の二人が雪の積もった街に飛び出し戯れる場面が面白い。

 

ところがまもなくしてアネシュカがいなくなり、ようやく居場所を突き止めたところ、バーでストリップまがいのダンスをしている彼女を見つける。彼女には別の男がいた。

 

ナチスの侵攻が厳しくなり、ユダヤ人の店だとフランツの雑貨屋も嫌がらせを受ける。そしてある時、ナチスが踏み込んできてオットーを逮捕して連れて行ってしまう。フランツは店を守る一方、海外へ出ようと考えているフロイト教授にことを急ぐように言う。

 

フロイト教授も去った頃、小包が届く。オットーがゲシュタポの事務所で病死したと言う。フランツは再度アネシュカに会いにいくが、アネシュカは前の男は捕まり、今はナチスの将校と付き合っている姿を見せる。生きるために仕方ないと心で訴え、去っていくアネシュカ。

 

フランツはゲシュタポの玄関にオットーが履いていたズボンを吊るし抗議して、店を閉め、出ていく。アネシュカが閉店した雑貨屋を訪れ、軒先にガラスの破片を拾う。その破片が湖に沈んで映画は終わる。時にナチスオーストリアを併合したと言うニュースが流れていた。

 

フランツが時々見る夢をフロイト教授の指示でメモするのですが、それを店の前に張り出すエピソードの意味はちょっとわからなかった。シュールな映像で見せる幻想的な夢の場面、さらにフランツのベッドの脇に現れるクモなど面白いカットは楽しめました。ちょっと、終盤だれましたが、なかなか面白かったかなと思います。

 

「ぶあいそうな手紙」

ちょっと洒落たラブストーリーという感じのエンディングが素敵。ブラジル映画なので国柄が出るところですがそこを抑えた演出が映画を粋なものにした感じでした。監督はアナ・ルイーザ・アゼベード。

 

主人公エルネストの家を購入希望者が内覧会に来ている場面から映画は始まる。老齢で目も見えにくくなった父エルネストの息子ラミロが買い手を連れてきたのだが今ひとつエルネストが乗り気にならない。結局、仕事で帰って、一人になるエルネスト。隣には同じく老人で耳が聞こえにくいハビエルがいて、何かにつけて世話を焼きにくる。そんなエルネストのところに、若き日、想いを抱いていた女性で、今は友人の妻となった女性ルシェルから手紙が届く。

 

ところが、目が見えにくいエルネストはどうしても読めない。そんな時、近所の老婦人の姪と名乗り、犬の散歩のバイトに来ていたビアという少女と出会う。ビアはエルネストの希望で手紙を読むことになる。手紙の内容はルシェルの夫が亡くなったのだという。ところがこの頃から、なぜか家の鍵が見当たらなくなったりする。ビアは合鍵を作りエルネストのいない時に入って、小金を盗んだのだ。ビアはエルネストに手紙の返事を書くべきだと代筆をして返信する。

 

エルネストはビアの行動に気がついたものの放置していたが、ある時生活費を下ろしたお金もなくなりそれきりビアが現れなくなる。しかししばらくして、お金を戻してビアが戻ってくる。手紙の返事が知りたいので、お金を取ったこと、鍵を作ったことなどを正直にエルネストに話す。エルネストは、泊まる所もないビアに息子の部屋を貸すことにする。

 

こうして手紙の代読、代書を通じてビアとエルネストは次第に親交を深めて行く。ところが、隣に住むハビエルの妻が他界、ハビエルは娘の住むブエノスアイレスに引っ越すことにする。一方、父が気になるラミロは仕事のついでにエルネストの家に立ち寄ったが、自分の部屋にビアがいるのを見て、ホテルに移る。その様子を見ていたビアはこの家を出る決心をする。

 

しかし、出ていく日、この家を後にしたのはエルネストだった。彼はビアに部屋を譲り、手紙の相手ルシェルのところへ向かう。ルシェルはエルネストを快く迎え、自宅に入れて映画は終わる。

 

二つの部屋が並ぶ空間の舞台が、冒頭とラストが同じ配置になっていたり、全体がどこかファンタジックな所もこの映画のいいところかもしれない。もっと泥臭い映画かと思っていたので、出色の一本だった感じです。

映画感想「大菩薩峠」「大菩薩峠第二部」「大菩薩峠完結篇」(内田吐夢監督版)

大菩薩峠内田吐夢監督版全三部作

大菩薩峠に佇む主人公机龍之介の姿から映画は始まる。そして登ってきた老人の娘を迎え、一人休む老人を斬り捨てて何処かへさる。たまたま通りかかった大泥棒の男が残された娘松を連れて旅に出る。

 

こうして物語が始まる中里介山の長編時代劇。何本か映画化されているうちの一番有名な三本を見る。映画は終始重厚な演出で、主演の片岡千恵蔵の重々しい演技と相まって映画自体が実に重い。片岡千恵蔵はこの作品に関わる四年ほど前に渡辺邦男の「大菩薩峠」シリーズでも机龍之介を演じていた。

 

机龍之介は間も無く行われる宇津木文之丞との試合を前に文之丞の妻の浜がやってきて試合を預けにしてくれと頼む。邪剣ながらも剣一筋の龍之介はそれを断り、剣の道は女の操と同じかという問いかけを残す。そして、浜を一夜拉致し、文之丞にあらぬ疑いを抱かせた上、文之丞を試合で倒し殺してしまう。浜は文之丞から離縁を言い渡される。

 

浜は龍之介に惹かれ、まもなくして龍之介は浜と所帯を持つが、家庭を顧みない龍之介に浜は子供がいるものの不幸の底にいた。そして弟兵馬と果し合いを知ると聞いて、兵馬に思いとどまらせようと駆けつけたところで龍之介の手に落命する。その後も、兵馬は龍之介を兄の仇のため追う。一方で、龍之介は過去に切り殺した人間の亡霊にうなされる日々を送っている。

 

ようやく追い詰めた兵馬は龍之介らの小屋に火薬を投げ入れ、龍之介を誘き出すが、龍之介は崖から飛び降りて兵馬から逃げて第一部が終わる。人間関係か絡み合いながら描かれていく物語に人間の業が見え隠れする展開がなんとも奥が深い。

 

第二部は瞽になった机龍之介の行く先々で出会う人物とのエピソードと彼を追う兵馬ら一行の物語が並行して描かれるが、そこに、これまで関わってきた女たちの行く末が絡んでの展開となる。ダークヒーローとしての様相がどんどん膨らんできて、やがて故郷に向かって剣に魅入られた机龍之介の次の狂気が蘇るようなラストで完結編に進む。

 

完結編は、これまでの因果が惹きつけるように登場人物を結びつけていく展開となる。松は兵馬に、龍之介は最初から登場する旗本神尾の妻となる予定だった顔のあざのある女と行動を共にし、龍之介の知らずにかつての妻の浜の実家に逗留する流れとなる。因果応報をテーマに描いてきた作品のクライマックス、兵馬は龍之介を憎む心が果たして正しいものかと悩み、それでも、命を断つことこそが龍之介を救うのではないかと考える。

 

そんな頃笛吹川が氾濫、折しも大菩薩峠そばにいた龍之介は息子の声に誘われるように嵐の中へ、そして氾濫した川の橋の上で叫びそのまま兵馬らの目の前で橋もろとも川に流されて行って映画は終わる。

 

三部作の超大作で、エキストラの数もすごく、映画産業黄金期の迫力を感じる作品ですが、全体には普通の娯楽時代劇という感じの仕上がりです。因果応報という仏教的なテーマを含んでいるのですが、おそらく原作にあるそのテーマ名は映画では表立って描写されていないように思います。でも、見た甲斐のある一本でした。

 

映画感想「海辺の映画館 キネマの玉手箱」「グランド・ジャーニー」

「海辺の映画館 キネマの玉手箱」

最初は三時間を超える作品で、鼻についてくるのかと思ったがそんなことはない。いつの間にか映画の中に主人公たちと入り込んで、ラストでは監督のメッセージを素直に受け入れて感動してしまいました。うまいとしか言いようのないストーリーテリングのうまさですね。これが最後と言いたくない大林宣彦監督の遺作となった。

 

尾道にある瀬戸内キネマも今宵その最後を飾るべく戦争映画オールナイトが行われようとしていた。ここに毎日手伝いに通ってくるセーラー服の少女希子、そしてこの日最後のイベントを楽しもうとやってくる自称映画評論家鳥鳳助、坊さんなのにヤクザという若者団茂、この映画館を愛する馬場鞠男、三人の若者が画面を見ている。

 

映画はスクリーン内で描かれる様々な過去の戦争、幕末から現代に至る色々を描きながら、いつの間にかスクリーンの世界に入り込んだ三人が体験する不思議な世界を描いていく。時に希子はそれぞれの映画のヒロインになり、さらには三人の若者も絡み、出てくる役者たちが次々と役を変えて登場する。

 

戊辰戦争、白虎隊、日露戦争、そしてクライマックスは第二次大戦末期に実在した移動演劇隊櫻隊の物語へと収束していく。時に日本軍の非道を映したかと思えば、弱者の悲哀を描き、大林宣彦監督ならではの遊び心満載の映像世界が所狭しと登場。

 

そして三人の若者は昭和二十年八月の広島に佇む。櫻隊を助けたいが歴史は変えられず、やがて原爆投下。ピカで一瞬で即死した面々、ドンまで聞いて被爆により死んだ面々、何もかもに虚しさを見せるのではなくいつまで経っても戦争を避けられない人間の弱さを語っていく。そしてオールナイト上映も終わり、受付でこの映画館の館主である老婆は実は希子だったというエンディングとなる。

 

繰り返し繰り返し同じシーンや時間が前後しながらの映像はいつかだれてくるのではと見ていたが、全然そうならずにクライマックスになだれ込む演出手腕は全く見事でした。なかなかの一本だったなあと締めくくりたいです。

 

「グランド・ジャーニー」

一昔前なら文部省推薦という感じになりそうな素直な綺麗な映画でした。とにかく、カメラがすごいです。今やこういう渡り鳥を間近に撮ることができるというだけでも見た甲斐があるというものでした。監督はニコラ・バニエ。

 

渡り鳥の研究をするクリスチャンは、ある実験を試みようと許可を取ろうとしていた。それは、絶滅種に指定されている雁を安全な空路で産卵や越冬するようにその道順を自分も一緒に飛んで教えてみるということだった。

 

そんなクリスチャンにはいつもゲームばかりしているトマという息子がいた。妻のパオラの許可を得て、トマは三ヶ月クリスチャンのところにあずけられることになる。最初は反抗していたトマだが、卵から雛がかえるところに立ち会ったことがきっかけで、クリスチャンと一緒に雁を育てることになる。

 

そしてクリスチャンに頼んで軽量飛行機の運転も教えてもらう。そして、いよいよ実験が迫った時、博物館で黙って許可印を押した書類がばれて、管理官らがクリスチャンを勾留しようとする。ところがこのままでは育てた雁が取り上げられると判断したクリスチャンの相棒のビヨルンはトマに、湖の中央まで雁を連れていくように指示。ところが、トマはそのまま軽量飛行機を飛ばして雁と共に旅立ってしまう。そして、父クリスチャンからの連絡も断つ。

 

ところが、燃料を補給するために寄ったところで動画が撮影され、トマの位置が判明、クリスチャンは駆けつけた妻パオラらとトマを追っていく。あとはトマの冒険物語と彼を応援する地上の人たちの姿が描かれていく。そして、最後の最後、クリスチャンが設定したルートを通ってトマはもどってくる。六ヶ月後、自力で移動する雁の群れを迎え、クリスチャンの実験が証明されたところで映画は終わる。

実話を元にしているとはいえ、素直に描いた作品で、さりげないメッセージはあるものの好感が持てる映画でした。

映画感想「LETO レト」「追龍」

「LETO レト」

実話に基づいたロシアのロックバンド「キノ」のボーカルの物語ですが、視点がまとまらないで物語が掴みきれなかった。落書きのように街中や人がアニメで書き込まれたり、ミュージカル風に主人公の周りの人々が歌ったりと楽しい映像ととにかく楽曲がいいので退屈しない。監督はキリル・セレブレニコフ。

 

1980年代、まだまだ西側文化が禁じられていたソ連レニングラード、人気ロック歌手マイクをリーダーにしたバンドのステージが今にも行われようとしている。客席には妻のナターシャが座り満席の中コンサートは終わる。そんなマイクの元に将来のロック歌手を目指すヴィクトルが訪ねてくる。

 

ヴィクトルの才能を見出したマイクは積極的にヴィクトルを応援していく。時に列車の中や街頭、バスの中などで音楽が聞こえてきて、乗客などが歌い出し、落書きのような効果が映像に挿入されていく。ほとんどがモノクロだが時としてカラーになったり、スタンダードの映像の両脇に歌詞が描かれていったりとテクニカルなシーンが続く。

 

ヴィクトルとナターシャとの間にほのかな恋が芽生え、ナターシャは素直にマイクにその気持ちを話す。マイクはナターシャにヴィクトルとのキスを許すものの複雑な気持ちを隠せなかった。

 

ヴィクトルの人気は上昇し始め、将来に伴侶となる女性とも出会う。この辺りからかなり雑にラストシーンへ雪崩れ込み、人気が出てマイクの次の世代を担うかのようなアナウンスでステージに立つヴィクトルの姿と彼を客席で見つめるナターシャ、そして袖で見守るマイクのカットで映画は終わる。

 

映像が面白いのですが、その映像と音楽に肝心の人間ドラマが隠されてしまった感じで、少し演出力の弱さが見える作品。ただ、全編に流れる曲が素敵なので、飽きることなく身終えました。

 

「追龍」

典型的な香港ノワールで、荒っぽい作劇とクオリティより娯楽を優先する演出で二時間を超えるドラマも全然退屈しない。これが香港映画の魅力です。監督はバリー・ウォン、ジェイソン・クワン。

 

香港へ仕事を求めて中国潮州からやってきたホーは、この日も仲間と喧嘩の人数合わせに参加するアルバイトに出かける準備をしていた。ところが、いざ喧嘩が始まりと予想外に混戦した上に英国人警察が介入し、派手な暴力沙汰になってしまう。そこへ駆けつけたのが地元香港警察の署長ロックが率いる警察部隊だった。

 

英国人警察が暴力を振るう中、ホーらを逮捕したロックは本部へ引き渡さずに地元の留置所へ放り込んで彼らを守る。やってきたハンター率いる英国警察を巧みにかわして、ホーらを守ったロックにはある野望があった。ホーの腕っ節の強さを買ったロックはホーを味方にし、地元で当たり前の汚職を系統立てて管理し、莫大な利益を上げていくが、ロックら香港地元警察を快く思わないハンターら英国警察が、英国を傘に来て圧力をかけてくる。

 

物語は実在した香港マフィアのドン、ホーの物語であるが、ホーとロックはお互いに助け助けられながら、ホーは黒社会でのし上がり、ロックもみるみる財力を蓄えていく。しかし、出世したホーは田舎から妻を呼び寄せるも途中で死んでしまい、さらに麻薬組織の権力争いに巻き込まれていく中で、次々と仲間を失っていく。

 

形勢が不利になった英国警察は徹底的な汚職の撲滅を図らんと、特捜部隊を作りロックらを追い詰め始める。危険を感じたロックは海外逃亡を計画するが、弟をハンターらに殺されたホーはロックの制止も聞かずにハンターらに戦いを挑んでいく。そして、ロックが旅立つ直前、ホーはハンターを追い詰めるが、そこへロックも応援にやってくる。そしてハンターは殺されるが、ロックの機転で逮捕されるだけで止まる。

 

30年経ち、ホーは肝臓癌のため釈放、ロックはカナダで生活をしている。二人は電話で話し映画は終わっていく。全く荒っぽい上に、雑な脚本ですが、あれよあれよとストーリーが展開して終わる。決してクオリティの高い映画ではないけどこれが香港映画の魅力ですね。面白かった。

映画感想「土」(最長版)

「土」

四十年ほど前に見たのだがほとんど覚えていない。オリジナルネガは焼失し、ロシアで発見された最長版しかないのを見る。内田吐夢監督の傑作の一本。ラスト部分のフィルムは無いのですが、これは傑作でした。カメラアングルの使い方、畳み掛けるストーリー展開の妙味、人物描写の見事さ、底辺で這いつくばるように生活する貧農家族の必死に生きる生き様が見事に描かれていました。

 

妻を亡くし、娘とまだ幼い息子、そして年老いた父と暮らすかんじ。借金でその日やっと生きるだけの毎日を送っている。爪に火をともすように倹約をし、娘や老父にも倹約を徹底して、いわゆるケチンボな男を演じている。

 

そんなかんじの生き方に村人は悪態をつき、老父や子供たちを不憫に思っていた。老父は孫のために何かにつけて、自分が内職のような仕事で稼いで小遣いをやったりしている。娘のおつぎも弟に父に内緒で卵をやったりしていた。

 

物語は、村での婚礼や、様々な行事を描きながら、必死で仕事をこなすかんじを中心に健気な家族の姿を描いていくのですが、カメラアングルが素晴らしく、時に天井から真下を写してみたり、美しい構図で一瞬の景色や田畑の情景を描写したりと見事なのです。

 

ある時、孫が集めてきた栗を焼いてやろうと老父が火をつけるが、それが飛び火して、家が火事になり丸焼けになってしまう。必死で生きてきたもの全てが無になり絶望するかんじ。火傷を負った老父は近くの祠で寝泊りし村人に助けられていた。しかし、村人がうわさする一言一言に責任を感じる老父は、冬空の中行方をくらます。

 

村人たちが探し回るが、何事も絶望したままのかんじは探そうとしない。なんとか外に出たものの村人たちと行動を共にできない。ところが、おつぎが家にいると外で物音がし、出てみると、老父が外で首をくくろうとして枝が折れてその場で気を失ったところを見つける。

 

おつぎは老父を家に入れ、弟に父を呼びにいかせる。慌ててかんじが戻る。まだかすかに息がある老父を抱いて必死で看病する。フィルムはここまでしか無い。字幕によって、この後家族はなんとか立ち直って生活を始めると締めくくっている。

 

とにかく見事な作品で、二時間以上あるのに全くだれることはない。庄屋との温かみのあるやりとり、リアルな家内のセットや描写、カメラワークの素晴らしさ、エピソードの構成のうまさ、それらを背景にした主人公の家族が必死で生活する姿が圧倒的な人間ドラマとして伝わってきます。いい映画でした、これこそ名作です。

映画感想「限りなき前進」「はちどり」

「限りなき前進」

戦前の映画で、肝心のテーマになる部分のフィルムがなくなっているためにそこを字幕で補完しての上映なのですが、なくなった部分の映像をこれほどみたく思ったのは初めてでした。おそらく完全なものはすごい傑作なのではないかと思います。サラリーマンの現実を斜めにスパッと斬ったような語り口が想像できる作品でした。監督は内田吐夢

 

道端で子供二人と、仕事もなくフラフラしている北青年とがキャッチボールをしている場面から映画は始まる。少年の父親、野々宮は二十年以上勤勉実直に勤めてきて、今新居を新築中で、年頃の娘もいる。しかし、物価が高騰してきて大工の棟梁から追加で費用が欲しいと言われ、65歳まで働くとしたらなどと算段をしないといけなくなっていた。

 

そんな頃、会社では定年制度の導入が噂され、程なく株主総会で決定される。そして55歳定年に近い野々宮は退職するであろうとこが現実になってくる。この後、フィルムがなく、野々宮は建築中の家に行き大雨が降り、家に帰って夢を見る。夢の場面のフィルムがあり、そこでは野々宮は庶務部長に昇進し、娘の結婚も決まり新居も完成順風満帆な生活になっている。

 

そして娘の嫁入りの日、満面の喜びを見せる野々宮の場面で夢が覚め、ここからまたフィルムがない。この後会社へ行った野々宮は重役になったつもりで振る舞い、周りが野々宮が気が触れたことを知る。そして野々宮は部下を連れて料亭へ行く。ここからフィルムがあり、料亭で延々と自論を語る野々宮、そしてまたフィルムがない。北青年と娘が父野々宮を迎えにきて川岸を歩くシルエットで映画は終わると字幕が出る。

本当に惜しい。おそらく圧倒される傑作だったと思う。

 

「はちどり」

淡々と進む物語ですが、二時間を超えるのに最後まで見せてくれます。高度成長に飲まれていくような韓国1990年代、一人の女子中学生を通じて、家族の素朴な姿、周りの人たちの考え方の変化、さらに危うい年代の繊細な心の物語を紡いでいく。クオリティの高いいい映画でした。ー監督はキム・ボラ。

 

中学生のウニが自宅のベルを鳴らしているが開けてくれない。次のカットで部屋を間違えていたのか?というような単純なオープニングだったのか疑問になるこの最初のカット、大きな団地の姿がシンメトリーな画面で捉えられる。これがこの映画を凝縮しているのかもしれません。

 

ウニは母に頼まれて買い物に出て帰ってきたようである。ウニの家は近くの商店街で餅屋をしていて、なかなか繁盛しているようで家族中で作業をしているシーンが続く。ウニには男子学生と遊びまわる姉スヒがいて、ある時は父に見つからないようにクローゼットに隠れていたりする。兄は父の期待を一身に背負っているようにソウル大学を目指している高校生だが、父がいない時はウニを召使のように使い、逆らうと殴ったりしていた。

 

ウニには違う学校に通う友達がいて、漢文塾の帰りいつも遊んだりしている。ウニには彼氏もいるが、まだ恋人同士というより恋人ごっこのレベルである。また、ウニの後輩からウニは慕われていたりしている。

 

ある時、漢文塾にヨンジという女子大生が講師としてやってくる。何か自分たちに気持ちが近い気がしたウニはヨンジを慕うようになる。ウニは友達と万引きをして捕まったりするが、友達はその店の主人に責められてウニの父親の店を教えたので、二人の仲は疎遠になる。

 

ウニは耳の下にしこりがあることに気がつき、病院で検査するが大病院での検査の結果、手術しなければならなくなる。やがて入院し、手術も無事終わるが、疎遠だった友達とも仲直りする。入院する前、ウニはヨンジに本を貸す。

 

やがて退院したが、ウニの彼氏との間もついたり離れたりし、さらに後輩もウニを慕ったのは二学期までの話だと素っ気なく話す。そんな時、ソウルの巨大な橋が崩落、大事故が起こる。姉がいつも通学で乗っていたと思ったウニは父に連絡するが、運良くスヒは遅れたバスに乗ったので無事だった。しんみりした食卓で、兄は号泣してしまう。

 

退院後漢文塾に行ったウニはヨンジが辞めたことを知る。もう一度会いたいと、荷物を取りに来る時間に待つが教えてもらった時間が違っていて会えず、悪態をついたウニは漢文塾を追い出されてしまう。ヒステリックに言い合いをする家族にウニが切れ、それに逆上した兄がウニを殴ってウニの鼓膜が破れてしまう。

 

まもなくして、ウニに小包が届く。ヨンジから借りていた本とスケッチブック、そして手紙が添えられていた。ウニがその住所からヨンジの実家に行くが、なんとヨンジはあの橋の事故に巻き込まれて死んでいた。

 

ウニはヨンジからの手紙を読み直し、次第に日常が戻ってくる中、普段の生活に戻り始める。学校で元彼に声をかけられるウニだが、最初から好きじゃなかったと素っ気なく答える。映画はこうして終わる。

 

不思議なくらい最後まで飽きずにみてしまう作品で、ウニのさりげない仕草に見せる描写が実に繊細で引き込まれます。何気なく起こる小さなエピソードの数々が映画に不思議なリズムを作り出しているのでしょう。いい作品だったと思います。