くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「山椒大夫」

山椒大夫

溝口健二監督作品「山椒大夫」たぶん見ていないだろうというちょっとの不安の中、見に行きました。
やはりみていませんでした。そして、・・・
開いた口がふさがらないほどの感動。これが映画、これが名作、こんな映画に巡り合えるから映画ファンはやめられない。

二時間近くある作品なのに、寸分の隙もない画面作り、無駄がまったく無い構成、にもかかわらずしんどくない。
物語は安寿と厨子王の有名な民話をもとに森鴎外が書いた文学作品をもとにしている。しかし、文芸映画だという感じをまったく感じない娯楽性も兼ね備えているからすごい。
画面の一つ一つが完璧に計算された美しい構図。流れるようなカメラワークがあるかと思えば、しっかりとすえたカメラで人物をとらえる。

ぐーっとクレーンでカメラが動くような大胆なシーンがあるかと思えば、安寿の入水シーンなどは静かに波紋が広がる様を静かにとらえている。
大胆さと繊細さ、そして計算され尽くされた妥協のない画面づくり。まさに溝口健二監督の真骨頂と呼べるにふさわしい、傑作でした。

物語をかいつまんで書いてみましょう。
まだ、日本で人に対する認識が不十分であった平安時代の末期のお話。ある国の国士であった安寿と厨子王の父は、治世地で農民たちを手厚くあつかったために中央の圧力を受けて、地方、筑紫の国へとばされる羽目になる。
旅立ちの日に父は息子の厨子王に家宝の観音像を手渡し、「人は生まれながらにして平等であり、誰もが幸せになる権利がある」旨を説いて聞かせて旅に出る。

やがて、数年がたち妹の安寿も幼少ながら一人で歩けるようになると、母と安寿、厨子王の三人は召使いの女一人を連れて父の元へと旅立つ。このあたりまでの時間の経過は厨子王の姿をフラッシュバックさせることで、父が旅立った頃と現代との十年前後を的確に説明しています。導入部分の人物紹介としては見事と言うほかありません。

さて、旅だった安寿と厨子王たちですが、時は戦乱の世。特に地方では盗賊や人買いが横行する時代である。一見、信用のできるような巫女に扮した人買いたちにだまされ、ちりぢりに連れ去られてしまいます。

母は佐渡安寿と厨子王は丹後の国の大地主山椒大夫のもとへ買われていきます。
この山椒大夫が題名の元です。

幼いままに奴隷のようにこき使われながらも、いつか母の元へ、父の元へいくことだけを頼りに十年の月日がたちます。

青年になった安寿と厨子王はふとした好機会を得て、山椒大夫のもとを逃げ留のですが、安寿は兄厨子王を逃がすために自ら時間稼ぎをし、兄の逃げたのを確かめた後池に入水し自害します。
そんなことと走らない厨子王は逃げた寺の住職(かつての山椒大夫の長男の出家した姿)に助けられ、都の関白のもとへ。そこで父の素性を知られ、丹後の国の国司として山椒大夫のもとへ帰ってきます。

あとはもう、ご存じのように、山椒大夫の使用人たちを解放し、人買いを禁止した後、母の元へ佐渡へと向かいます。しかし、佐渡でみたものは・・・

ラストシーン、丘の上で抱き合う厨子王と母、それを大きく俯瞰で撮ったあとゆっくりとカメラがパンをして浜辺で海藻を干す漁師の姿をとらえて、ダーンという音楽をバックに終わります。

もう、このラストシーンまで口が閉じることも忘れるほどの感動がこみ上げてきます。
こんなお話、興味がないと思われる方、だまされたと思って、一度みてみてください。きっと、忘れられない映画になりますよ。