くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「奇跡の丘」「アポロンの地獄」

「奇跡の丘」

40年ぶりくらいの再見。今見直してみると、なるほど傑作だなと思います。映像のテンポが抜群に良い。アップを細かく繰り返しながら展開を綴っていく演出の見事さは絶品です。監督はピエル・パオロ・パゾリーニ

 

マリアのアップから映画は幕を開け、カメラが引くと彼女のお腹は大きくなっている。神の子を宿したのだが、理解に苦しむヨゼフが街に行くとそこに神の使いの女性が現れ、マリアを娶るようにと告げる。戻ったヨゼフはマリアを迎え、やがて赤ん坊が生まれる。キリストの誕生である。

 

大人になったキリストは次々と奇跡を起こしながら使徒を連れて放浪の旅に出る。アップの映像を繰り返し、聖書に語られたエピソードをテンポよく描いていく演出が小気味良くて上手い。やがて、為政者に目をつけられ、キリストの予言通り刑を宣告されて磔にされる。死の直前の叫びでエルサレムの町が崩れ落ちる。

 

しかし三日ののち彼の遺体は消え、神の使いはガリラヤに行けば彼に会えるからと信者を向かわせる。蘇ったキリストが信者に語りかけて映画は終わる。

 

才能のあるもののみが成せる映像作りの妙味を体験させてくれる傑作で、大きく俯瞰で捉える街並みや、縦の構図に配置する人物などの画面構成も見事。聖書の話を順に描いていくのだが、平凡な展開を生み出さないリズムづくりが素晴らしい一本でした。

 

アポロンの地獄」

恐ろしいほどの映画です。凡人の思考をはるかに超えた天才に近い感性が生み出した作品。途中、意識が飛んで見逃したのかと思ったけれど、あえて描かずに、終盤に巧みに組み入れられた台詞とシーンで仕上げて行ったことを最後まで見て知る。大きくパンするカメラワークと人物配置、奇抜な衣装デザイン、どれもが一つの映像として昇華する姿は芸術の一つの形態と認めざるを得ません。すごい映画だった。監督はピエル・パオロ・パゾリーニ

 

現代、窓の中で赤ん坊が生まれるところから映画は幕を開ける。乳母車に乗せられた赤ん坊を見つめる一人の兵士が、いずれお前に殺されると呟く。どうやらこの兵士は父のようである。カメラが寄って引いていくといつに間にか時代が遡ってギリシャ時代。木に結えられた赤ん坊が渓谷に捨てられる。連れてきた男は刺し殺そうとするが躊躇い、その場をさると一人の男とすれ違う。その男は赤ん坊を見つけ、主人であるコリントス王の元へ持ち帰る。王は歓喜し妃と共に喜ぶ。時が経ち、赤ん坊はオイディプスと名付けられていた。ある夜、悪夢を見たオイディプスは、アポロンの神殿で神託を受けて来ると言って旅立つ。

 

アポロンの神殿で、オイディプスは父を殺し母と交わって王となると告げられるが、あまりに恐ろしい事だと受け入れられないままにその場を後にし荒野を彷徨う。途中、ライオス王の一行と会い、その一行に罵倒されたため闘い一人を殺してしまう。オイディプスは、途中人々が暗黒の国から来たスフィンクスに悩まされ、地獄の日々を送っている現場に出会う。オイディプススフィンクスと対決し倒す。オイディプススフィンクスを倒した事でこの地の王となりライオス王の妃と夫婦になった。

 

しかし、国には悪病が蔓延して災いが降りかかってきて、オイディプスアポロンの神託を受けて来た者にその原因を問いただすと、この地に居る悪なる人物を追い出せば良いといい、暗にオイディプスこそがその人物だと告げる。身に覚えのないオイディプスはライオス王を殺した犯人の探索を始める。まもなくしてコリントス王の元で赤ん坊を捨てに行った男によってオイディプスは真実を知る。

 

宮殿に戻ると、全てを知った妃は首を吊って自殺していた。その姿を見たオイディプスは、自らの目を潰し盲人となる。現代に移り一人の盲人が若者につかまり彷徨っていた。彼こそオイディプスの姿だった。こうして映画は終わる。

 

一度見ただけでは理解しきれなかったが、相当な傑作である。物語の複雑さを語る映像の面白さもあるが、目が見えないということに込められたメッセージ、さらに監督自身の姿とも重ね合わせた脚本も素晴らしく、独特の色彩とセット、画面に圧倒される迫力もある。見事な映画でした。