「キャデラック・レコード」
アメリカに1940年代に実在し、数々の黒人アーティストを輩出したチェス・レコード(キャデラック・レコード)の創始者レオ・チョイスの物語である。
正直、私は黒人ブルースおよびそれに続く音楽に対する趣味はほとんど皆無なので、冒頭は入り込めなくてしんどかった。
しかし、この作品最後まで見ると判るのですが、日本人が理解できないアメリカ社会の強烈な黒人差別の問題を見事に根底に忍ばせて物語が進んでいることに気がつきます。
冒頭部分で警察の異常なまでの黒人に対する視線、ことあるごとに描写される白人たちの極端な差別的態度は一方でこの映画の本筋である名アーティストたちの成功談と対峙しながら見事なハーモニーをかもし出してきます。
映画は非常に凡々たるもので丁寧すぎるほどに忠実にストーリーをつむいでいきます。白人であるレオが次々と有能な黒人アーティストを発掘し売り出していくあたりの展開はかなりダイジェスト的であり、このあたりは音楽に造形がないとなかなかしんどいですね。しかしチャック・ベリーが登場し、エタ・ジェームズあたりが出てくるあたりからこの作品は一気に厚みを増してきます。音楽と映像が作品のテーマの中に溶け込み始めるのです。
しかしながら、快調な映像のリズムは後半からクライマックスにかけて表れてくるので、作品全体のリズムとしてはラストの四分の一が秀逸という結果になりましたね。
テレビに放映され、アメリカ国民に絶大に受け入れられキングとなるのはやはり白人であるプレスリーであったこと、そして海外に出て初めて大スターとして評価されていたことを知るマディの姿などが映し出されて、この作品の本当のブラックユーモアが観客の前に提示され物語は終わります。
いい映画ですが、全体の完成度は中の上くらいでしょうか。
「リミッツ・オブ・コントロール」
「自分こそ偉大だと思う男を墓場に葬れ」という依頼を1人の殺し屋が空港で請け負います。コードネームは’孤独な男’。
物語はこのあとひたすらこの男の背中を追うようにカメラが延々と捕らえて進行します。
仲間たちとの情報交換はマッチ箱に忍ばせた暗号カード、カフェに立ち寄れば2杯のエスプレッソを頼む、SEXも酒も絶つという地味な殺し屋はひたすら情報を頼りにスペインの町を巡ります。
ぴちっとしたスーツの主人公を演じるイザック・ド・バンコレの存在感が圧倒的で、彼の存在をひたすら追うということになるのです。
まるで夢幻のごとく展開するストーリーは、まったく観客も一緒に夢遊病者のような錯覚に陥り、私は上映中完全に半分、眠っているような感覚でした。
単調なメロディと繰り返されるシーンの連続、ジム・ジャームッシュならではの映像詩の世界ではありますが、かなりしんどいです。
物語の中のエピソードそれぞれに意味があって意味がない、謎解きがあるわけでも派手なシーンがあるわけでもない。なぜギターが必要なのかそのあたりもまったく種明かしもない。あっけない任務終了の後再び空港へ降り立ち物語は終わります。
エンドクレジットが流れてはじめた目が覚めたような感覚で不思議な映像体験ですが、駄作ではないことは明らかなところがジム・ジャームッシュなのでしょう。