「BOX 袴田事件 命とは」
最初にこの物語はフィクションである。そのことを映画の出だし部分でこの映画の中心人物袴田巌と熊本典道が昭和11年の同じ日に生まれたというシーンが挿入されている。これは実際とは違ったフィクションである。しかし、明らかに高橋伴明監督はこの事件を冤罪事件であるという前提で描いている。この矛盾をしっかり了解の上でこの映画を見るべきだろう。
映画が始まると”BOX”の”○”と”×”を有罪か無罪かの判定の象徴として画面いっぱいに映し出す。
続いて、かごめの歌がながれ、子供たちがかごめを回っているシーンから映画が始まるのである。
モノクロームで始まるこのシーン、さらに二人が生まれるシーンが続き、第二次大戦の勃発、終戦、そして今まで正しかったはずの教科書の一部を墨で消すように先生に指導される二人の姿が続く。東京へ向かう汽車の中で隣の席に座るショットでも、この物語がフィクションであると主張している。
やがて、袴田はボクシング選手の道へ、熊本は司法試験の道へ進む。一人はボクシングに挫折してあるみそ会社の従業員へ、一人はエリート判事の道へ進むが、おりから、みそ会社の専務の家族が惨殺され放火されるという事件、後の袴田事件が勃発する。このシーンで画面は一気にカラー場面へ。そしてその事件の主任判事となった熊本、一方の被告となった袴田が対峙することになる。
物語は無理矢理の自白で死刑囚となった袴田とその判決にやるせない気持ちで判事を辞め、真相を証すべく奔走する熊本のシーンが展開していく。
周りのキャストも芸達者を惜しみなくワンショット使ったりと贅沢なシーンづくりで、スタッフキャスト共々この事件の冤罪をはらさんとする意気込みが見える。
さすがに見応え十分で、結局、事件は今なお再審請求中で、雪の中、熊本と影として登場する袴田が走り去るところで終わる。
死刑が確定し、外の足音をじっと聞く袴田のシーンは圧巻であるし、じっと見据えたようなカメラ目線が圧倒的な主張で私たちに迫ってくる。ただ、終盤の袴田と熊本の苦悩するシーンが妙にだらけてしまうほどちょっと長いのが難点といえば難点かもしれません。
さらに、エンドタイトルの中で、再度”○”と”×”を有罪か無罪かの判定の象徴として画面いっぱいに映し出すという、人を裁くに当たっての公平さを問いかけているにもかかわらず、袴田を冤罪と決めつけた演出は矛盾といえば矛盾であったと思います。
「手を挙げろ!」
制作された1967年、スターリンの肖像画を象徴的に使いすぎたために上映中止になり14年後の1981年に公開、そのときに追加されたシーンを加え、回想する形式で描かれていきます。
鮮やかなカラーシーンでイエジー・スコリモフスキ監督自ら語っていきます。時にびっくりするような映像感覚で見事なショットが映し出され、ただ者ではないと思わせられます。
やがて、本編、同窓会で出会ったかつての学友たちが貨物列車の中に忍び込み、そこでろうそくをたくさんともして、石灰にまみれながらシュールな儀式を遊び半分に繰り広げます。その中で、かつて学生時代にスターリンの絵を目を四つかいてしまったために退学に追いつめられるエピソードなどが語られます。
本編に入ってからはイエロー、薄いブルーなど単調の色彩で描かれる意味不明の儀式の繰り返しは何とも不思議な映像感覚です。
一晩騒ぎ続け、やがて、朝がきて列車の外にでると、それぞれはそれぞれに高級外車に乗って去っていきます。ポーランドの政治情勢を皮肉ったショットの連続で、検閲にかかった現実は納得できるといえば納得の一本でした。
「アンナと過ごした4日間」
サスペンス?変質者による犯罪映画?それともラブストーリー?その微妙なバランスが見事に結実したイエジー・スコリモフスキ監督17年ぶりの傑作である。
この映画は主人公レオンのピュアなラブストーリーである。しかし物語だけを語ると一つ間違うと変質者によるサスペンス映画になってしまう。その危ういバランスをスコリモフスキ監督は見事に映像に仕上げた。
出だし、美しい画面ショットで寂れた薄ら寒い景色の田舎町が写される。その路地の片隅から一人の男がこちらへ歩いてくる。その姿をカメラはゆっくりと引いてとらえる。やがて画面の奥にシェパードをつれた女性の姿が小さく映る。絵画的な見事なオープニングである。
このレオン、道具店で斧を買い、仕事場である病院の火葬室へ。そこで、不気味な生手首を焼いているショット。どきっとするほどに不気味なシーンの連続で、これはサスペンス映画かと勘違いする。
続いて、釣りをするレオン、流れてくる牛の死骸、また画面は変わって、斧を持って帰る姿。なにやら予感させる導入部は芸術的ともいえる画面の絵画的な構図で不思議な感覚にとらわれてくる。
釣りをしていたレオンが雨に遭い、駆け込んだ小屋で女性がレイプされるシーンに出くわす。この女性こそアンナであった。
彼が走り去るショット、現代の彼の姿が交互で映され、彼が3年前の事件で犯人にされ、それを否定しなかったために有罪になったことが次第に見えてくる。
レイプ目撃以来アンナを慕っていたレオンは、毎夜、窓からアンナをのぞいていた。しかし一緒に住んでいた祖母はある日急死。レオンは祖母に与えていた睡眠薬を使ってある計画を思いつく。それは窓際においてあるアンナが毎晩飲む砂糖?粉ミルク?(画面では不明)に混ぜておいて、熟睡したところへ部屋に進入してつかの間の至福の時を過ごすというものだった。
第一夜、忍び込んだ彼は、とれかけていたアンナのガウンのボタンを付けてやる。さらに第2夜には汚れていた床を拭き、第3夜の彼女の誕生パーティの後に忍び込んで、眠っている彼女のそばで乾杯、ダイヤの指輪をプレゼントする。そしてうっかり眠ってしまって明け方、間一髪で部屋から脱出するのである。しかし、第4夜、忍び込んだ彼は壊れていた彼女の部屋の掛け時計を直すためにいったん部屋を出たところを警察に捕まってしまう。
一人の男の片思いの物語であるが、この忍び込むシーンの展開がサスペンスフルで、娯楽性も十分に備えている。窓から写る彼女の姿、部屋の中で繰り返すレオンの行動が淡々としている上に、効果音や音楽がさりげなく落とし込まれるリズム感はすばらしいですね。
結局裁判の席で、「なぜ部屋に入ったか」と訪ねられ「愛です」と答える下りの切ないこと。そして面会にきたアンナがもらった指輪を返し「二度と会いません。ただ、犯人はあなたではない」といって去る。無罪になったレオンが自宅へ戻ると、彼女の看護士寮の前には壁たつくられ、その前にたって壁をたたくレオンの姿で映画が終わるラストは何とも切ない。
詩的なほどに美しい画面と、カメラワーク、ひたすら静かに行動するレオンの姿、さらにはさりげない音の効果、見事な映像のリズム感に酔ってしまう一本でした