くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「パラノーマン ブライス・ホローの謎」「アンナ・カレーニ

パラノーマン

「パラノーマン ブライス・ホローの謎」
CGアニメと勘違いされるが、この作品はライカプロが手がけるストップモーションアニメである。前作「コララインとボタンの魔女」は見損なったが、今回は見逃すまいと見に行った。なんといってもマペットアニメの独特の味わいと背景の美しいショット、ちりばめられるホラー映画へのこだわりのおもしろさ、独創的な映像展開の美しさに引かれてしまう。その意味でとにかく楽しくておもしろい。3Dめがねが必要だが、ほとんど苦にならないほどに楽しめる秀作でした。

主人公ノーマンは死人の姿を見ることができる能力があり、今日も亡祖母と一緒にホラー映画をテレビで見ているシーンから映画が始まる。怖いはずなのにどこかコミカルなホラー映画にわくわする。テレビの中でゾンビが人間を食べるのだが幽霊のおばあちゃんが「食べなくてもいいのに、話し合えばいいのにねぇ」というせりふからこの映画、とってもファンタジックで楽しい作品だと予感させられる。

ノーマンのことを両親を含めだれもが気味悪がっている。ことあるごとにからかわれる彼に一人の少年ニールが仲良くなる。一方この町ブライス・ホローには、毎年魔女が蘇らないようにその命日に墓の前で、一冊の本を日の高いうちに読み聞かせなければならず、代々死者を見ることができる人が受け継いできたのである。そしてノーマンの叔父がそのひとなのだが、ノーマンにその役目を引き継ぐ寸前で死んでしまう。託された叔父からのメッセージに沿って一冊の本を魔女の墓の前で読もうとするが間に合わず、魔女が蘇る。

同時に蘇るゾンビたちが人々を襲わんとやってが、逆に集団暴走した町の人々におそわれていく。何ともブラックな展開で、これがつまり伏線となり、実は魔女というのは、ちょっと人と違う能力があったために、かつて町の人々から魔女としておそれられ殺された少女だった。

恐ろしいのは悪魔や魔女、ゾンビなどではなく人間なのだというメッセージを終盤に訴えかけてくる。夕焼けの美しいショットや森の中のこんもりとした造形、ノーマンの父がのる車の造形のおもしろさ、それぞれのキャラクターの個性的な描き方もまた楽しい。

結局、ノーマンが怒り狂った魔女を鎮めて無事天国へ送ってやり、人々も彼を見直すというラスト。この終盤のクライマックスが、今一つそれぞれのキャラクターが突然改心するというちょっと雑な展開が弱いが、光に包まれて森に浮かぶ魔女のショットや、空に渦巻く台風のようなおどろしい雲の描写など実に個性的で創造力に富んだ映像に引き込まれるのです。エンドタイトルの後にマペット人形を作るシーンを組み入れてくれます。

たわいのない物語ですが、独特のジャンルとして、そして芸術的な映像センスの美しさに、のめり込んでも損はしないひとときでした。ちなみに観客は私を入れて二人。もったいないなぁ。


アンナ・カレーニナ」(ジョー・ライト監督版)
何度も映画化された名作文学の映像化作品。監督はジョー・ライトである。
ひとときのすばらしい映像芸術に酔いしれることができる傑作でした。美しい、すばらしい、情熱的、これが映画の醍醐味の一つと呼べる作品でした。

主人公アンナ・カレーニナの恋人となるヴォロンスキー伯爵役のアーロン・ジョンソンがなんとも宝塚のような化粧と出で立ちで登場する。ちょっと違和感さえ覚えるがそれはこの作品全体が舞台演劇の中で語られるかのような斬新な演出が施されているからである。

映画が始まると舞台の緞帳があがるところから始まる。そしてカメラはその舞台の中へ。アンナの兄が床屋でカミソリを当てられている場面から幕を開ける。どこか仰々しい裁きでカミソリをふるう床屋の主人。カメラは流れるように、そして縫うように次々とシーンを語っていく。背後の幕がどんどんと入れ替わりまるで歌舞伎の舞台のように場面が入れ替わっていく。ミニチュアの汽車が走り抜けるカットに汽車の客席に座るアンナ・カレーニナ。向かいにヴォロンスキー伯爵夫人。目的地はモスクワである。

最初のすばらしいシーンがアンナがヴォロンスキー伯爵とダンスをする舞踏会のシーン。華麗というほどに振り付けされたダンスを次々とこなしていくヴォロンスキーとアンナ。ヴォロンスキーの元恋人だったキティがじっと見つめる。汗のしずくからアンナがキティの元へ。周りの人々が瞬間に静止してはまた動き出す演出のすばらしいこと。ちょっと技巧的すぎるといえなくもないが、このシーンで一気にアンナとヴォロンスキーの恋が燃え上がる。すばらしい導入部である。

客席が競馬をみる観客席になり、舞台上の舞台裏が安宿の部屋になる。ドアを開けるとアンナの部屋になるかと思うと彼方に雪原が広がる。

アンナ・カレーニナとヴォロンスキー伯爵の情熱的な出会いのシーンからは映像はひたすら熱い恋の物語がじわりじわりと炎を燃え上がらせるように描かれていく。一方、アンナと夫カレーニンとの物語もまた丁寧な演出で語られていくために、かえってアンナとヴォロンスキーの姿も浮かび上がるように画面からあふれだしてくる。

夫カレーニンも単に世間体だけでアンナに接してくるわけではなく、アンナもまたただ感情的にヴォロンスキーにのめり込むだけでなく、愛する息子への愛憎も決して忘れない。

一方で描かれるキティとオブロンスキーの理想的な恋の姿、アンナの兄と奔放すぎる浮気性の物語もまた非常に冷静な視点でアンナとヴォロンスキーの物語に対峙する形で描いていくために全体のドラマが非常に深いものになっていく。もちろんトルストイの原作は例によって無数といえるほどの登場人物がでてくるためにそのあたりを見事に整理した脚本のすばらしさによるところが大きい。

そして、物語は有名すぎるクライマックス、アンナが列車に飛び込むシーンへと流れていく。

ラストシーンは草原の中でアンナとカレーニンとの間の息子と、アンナとヴォロンスキーとの間に生まれた娘が遊ぶ姿をカレーニンが見つけるショット。草原が舞台から客席まで広がるシーンで暗転エンディングとなる。

めくるめくようなカメラワークで始まる導入部はトルストイの原作という先入観から、あの大勢の登場人物が絡み合うととてもついていけないと思ったが、アンナとヴォロンスキーの出会いのシーンを手際よく処理し、さらに周辺の人物の恋物語もくっきりと描き分けた上で整理し、それぞれをアンナたちのラブストーリーに集約させていく。そこに舞台劇と映像劇を絡めていく空間演出を施すテクニカルな演出が芸術色を帯びてくる。観客を決して混乱させないリズム演出も見事で、これを傑作と呼ばずしてなにを傑作著評価するのかと思う。ちょっと、持ち上げすぎているかもしれないが、個人的には見事な映像作品だったと思います。できることならもう一度見直したい。感服。