くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「借りぐらしのアリエッティ」

借りぐらしのアリエッティ

となりのトトロ」以来のジブリ作品らしい傑作に出会いました。今回は宮崎駿は脚本に回っていますが、演出に当たった米林宏昌監督の感性が素晴らしい。音の視点(というべきか)が変わる様は私の知る限り体験したことのない見事な映像リズムとして開花していました。

物語は郊外の大きなお屋敷に一人の少年がおばあさんに連れられ手術までのひとときを過ごすためにやってきます。この少年翔は12歳で心臓が悪く、近日、手術を受けることになっています。
屋敷についた庭で車を降りた翔の前に一匹の猫がなにやら一カ所を凝視しています。翔に追われて去った後にハーブの葉っぱを抱えたアリエッティがちらりと姿を現すこのファーストシーンが素晴らしい。この一瞬を翔が気づくのですが、アリエッティは気づかれていないと思って自宅へ戻る。その行程のおもしろいこと。その途中で猫がやってきて捕まえようとかけてきますがすんでの所で床下へ逃げ込みます。

この猫、どこか「となりのトトロ」の猫バスを思い出すから、おそらくラストで生きてくるのだろうと思っていたら案の定でした。

冒頭で述べた音の演出の素晴らしいのがここからです。
はじめての借りに父と出かけるアリエッティ、様々に工夫された道順を的確に通っていく二人は一つのドアを開けて人間の台所へ入ります。その瞬間、今までの音が一気にブ〜〜ンという電気の音になります。それが不気味と言うよりまるでスローモーションのようにテンポが緩くなるのが見事なのです。そして、アリエッティは今までの自分の生活の中と全く違う世界を目にする。

しかし、ティッシュを取るときに目の前に寝ている翔と目が合ってしまう。
一気に物語の確信へ飛び込ませる展開のおもしろさは宮崎駿の脚本のなせる技でしょうが、そこへ至るまでの光や音の演出のリズム感は米林宏昌監督の感性でしょう。

こびとの存在を信じ始めた翔、そして翔にほのかな恋心を抱いてしまうアリエッティ
翔に驚いてせっかくの角砂糖を床に落としてしまったアリエッティのために床下の空気孔に手紙と一緒に砂糖をおく翔。それを見つけるももって帰るわけにいかず、アリエッティは再び翔の部屋へ。ここで襲ってきたカラスからアリエッティを守るため手のひらで囲むショット、一瞬で今までの人間からの耳のおとの感覚からアリエッティの耳の感覚へ視点が変わる瞬間、カラスの泣き叫ぶ音、手に包まれて音が消えたアリエッティの聴覚の感覚の交差、安心と恐怖の入り交じった様子を音で表現した見事な瞬間です。

翔の巨人のような動きの音が当初は非常に恐怖感をもたらしますが、それが中盤からアリエッティには頼りがいのあるいとおしい音に変わっていく様も素晴らしい。
ふとした翔の心遣いから、小人の存在が家政婦のハルさんにみつかり、アリエッティのお母さんがビンに捕まるというアクシデントも起こりますが、お母さんを捜すために翔の肩に乗る瞬間、再び音の視点が変わって、アリエッティは頼りがいのある翔の肩にすがる気持ちを表現していきます。

人間に見つかったために引っ越さざるを得なくなったアリエッティ、密かに家を出たアリエッティたちに冒頭の猫が別れの挨拶に来ます。といって特に言葉はしゃべりませんが、じっと目を見て、そして翔を呼びにいく。
駆けつけた翔とアリエッティの別れ、アリエッティの家族が去っていく様子を見ながら、映画が終わります。

翔がほんの些細な親切でドールハウスの台所をアリエッティの家族に与えたためにアリエッティの家族の存在がハルさんにばれ、出ていかざるを得なくなったという皮肉な展開は、果たして、滅び行く種族は人間なのか?小人なのか?ものを借りると言うことで生活をする小人たち、いつから人間は自然からものを借りずに、あたかも自分たちが何もかも作っているかのように驕りだしたのか?

余韻を含んだ切ない幕切れは名作を生んでいた頃のジブリアニメの健在を再び私たちの前に証明してくれました。本当に良い映画でした、