くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ばかもの」「シチリア!シチリア!」

ばかもの

「ばかもの」
不器用な若者たちの究極のラブストーリー。金子修介監督作品ということもありちょっと期待半分の映画でしたが、二時間あまり、ほとんど退屈を感じずに見終えることができました。非常に淡々とした青春ストーリーですが、さりげなく繰り返される一こま一こまが実にみずみずしいほどにさりげない。

二十歳まで後一歩のまだ臭い大学生の主人公ヒデ、親友にも恵まれ、これといいってなんの問題もない家庭にも恵まれた平凡な彼はある日父親の忘れ物を取りに行ったおでん屋で一人の年上の女性額子と出会います。彼女はそのおでん屋の一人娘。勝ち気な彼女は自然のままにヒデと一夜を共にし、ヒデはそのままのめり込んでしまいます。

ありふれた展開ながら、夜の商店街を自転車で駆け抜けるヒデの真正面からとらえたカメラ、さらに初めて見せに入るときのおでん屋の正攻法のカメラアングルがこれから起こる波乱の人生を予感させるかのような不思議なムードを醸し出しているようにも見えます。

すっかり額子にのめり込んで留年さえもせざるを得なくなっていくヒデ。ところが彼女は突然彼を捨てます。
何ともいえないむなしさにやるせないヒデ。やがて卒業、就職と時はたっていき、友人も結婚とどんどん時間が流れていくのですが、いつの間にかヒデは日々のむなしさを紛らすうちにアルコール依存症になっていきます。

ヒデを演じる成宮の鬼気迫る演技がこのあたりの最大の見せ場。とはいえ、風呂も入らないにも関わらず髭は剃っているというのは不自然と言えば不自然なのですが。

同棲していた女性ともうまくいかず、仕事も退職、絶望の中でふと公園で寝ていると額子が飼っていた犬が彼をおでん屋へと導きます。何ともファンタジックな展開。ここで映画は後半へと移っていきます。

おでん屋での帰り事故を起こしたヒデは病院へはいる決心をします。そして三ヶ月。とりあえず退院した彼は額子が不慮の事故に遭い一人暮らしをしていることを聞き、会いに行きます。そこでみたのは真っ白に白髪になり左手を失った変わり果てた額子の姿。

戸惑いながらも会い続けるも、どこか戸惑いが忘れられないヒデ。しかし、すべてを決し、額子も彼をこの10年想い続けていたことを知って彼女と一緒に暮らすことを決心します。映画はここで終わりますが、不器用な彼らの行き着いた先は決して不幸な現実ではなかった。これからの苦難があるかもしれないものの、未来の明るさを感じさせてくれるエンディングでした。私は好きです、こういう映画。


シチリアシチリア
ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品であり、この冬の期待の一本。そして、期待通りのすばらしい映画でした。
シチリアの歴史が映像の感性によって描き出されます。あわただしくもありますが、一瞬の時の流れのごとくといわんばかりの演出にトルナトーレ監督の演出の手腕が生きていました。

細かい小道具のシーンからシーンへのつなぎや人物説明のアイテムとして利用し、次々と時代が流れていく様を主人公ベッピーノの容姿のオーバーラップで語っていく。しかも導入部からまるでファンタジーのごとき映像表現でイタリアの歴史を全く知らない私たちにただ時の流れのはかなさを伝えてくるすばらしさに感動してしまいました。

映画が始まると幼い少年時代のベッピーノが友達とコマ遊びをしている。近くでカードをしている大人のうちの一人がベッピーノを呼んでたばこを買ってこいという。唾が乾く前に帰ってきたら20ペンスやるという言葉にはやし立てられた駆け出すベッピーノをカメラがこちらからとらえる。

走る走る。彼のそばを足のない男や車がすれ違っていく。そしてそのまま彼は大空へ。空から見下ろす町並み。タイトル。場面が変わると少年になったベッピーノが学校へh駆け込む。そして授業で教科書をなくしたことでたたされる。

立たされたその場にしゃがんで、じっと授業を見ているうちに時は一瞬にして流れていく。

後はこのベッピーノが少年から青年、そして大人になり恋をし、子供をもうけ、政治運動に参加する姿を通じてさりげなくシチリアの歴史を語っていきます。
逆らった娘に思わず手を挙げて、娘のイヤリングをなくすエピソード、息子がコマを作ってもらうために軸に生きた蠅を入れたら軽くなると言われて入れるエピソードなどが語られ、一つの家族が生まれ、やがてベッピーノも老い、息子が旅立っていく。

その駅で見送りながら思わず駆け出すと、画面は一気に教室でうたた寝している少年時代に戻る。あわてて外にでて、町を駆け出すベッピーノ。そして町はすでに現代の様相になり、新型の車がところ狭しとは知っている。そんな中、取り壊されているかつての自宅を見つける。その中へはいると、光ものが。手に取るとそれは娘のイヤリング。そのままかけだしていくと、そこへたばこを買って走り戻る幼いベッピーノとすれ違う。

冒頭のシーンに戻り、買ってきたたばこをべっぴのが渡すと。
「いったいどれだけかかってるんだ」と男に起こられ、またコマのところへ。そこでベッピーノのコマが友達に壊されて、中から生きた蠅がはいでて来て映画は終わります。

一瞬の夢のごとく流れた主人公ベッピーノの物語。それは現実だったのか、ただの夢だったのか、それを語る中でシチリアの町の時の流れを暗示するという映像になって映画は終わるのです。

確固としたストーリーはないものの、この作品にはたぐいまれな才能を持ったジュゼッペ・トルナトーレ監督の力量が見事に映像として結実したことを証明した作品だったと想います。すばらしい一本でした。