くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「甘い生活」「ザ・ファイター」

甘い生活

甘い生活
いわずとしれたフェデリコ・フェリーニの代表作にして最高傑作と呼べる一本である。例によってカーニバルのごとく繰り返されるにぎやかな映像の数々はフェリーニ独特の人並みはずれた感性によって、ある意味理解しづらいほどの陶酔感を呼び起こしてくれます。そして、それがフェリーニ映画のおもしろさであり、のめり込んでしまう魅力でもあります。

今回はおそらく30年ぶりくらい、しかも午前10時の映画祭というたいそうな企画によって実現、なんばTOHOの巨大スクリーンでニュープリントをみることができました。それだけでも至福と呼べるものだったと思います。

映画が始まるといきなり黄金のキリスト像をつり下げたヘリコプターが登場、ローマの町を見下ろしながらどんどんこちらから彼方へと飛んでいく。下にはこの作品に登場するキャストたちがにこやかに迎え、ヘリコプターの中には主人公であるマルチェロが乗っています。

新聞社の編集者であり物書きでもある主人公は当然ながらその交遊の果てに様々な女優、友人たちとの交流がある。そして、ルックスも伴った彼にとっては毎晩がまさにカーニバルのごとく、そういった美女たち、遊び友達とのお祭り騒ぎなのである。

折しもアメリカから大女優がやってきて、当然のように彼はその女優と一夜のアバンチュールを繰り広げる。かと思えば、なじみの女優たちとの豪遊に明け暮れ、そんな彼になじるように攻める妻の姿も登場。物語はあってないような豪華絢爛たる映像世界が展開します。

一見、乱雑奔放のごとく繰り返される映像世界ですが、そこにはフェリーニ独特のカーニバル精神が随所にちりばめられ、時にピエロのごとく登場する人々やサーカスのテントの明かりのごとく見える路上のネオンなどが実に不可思議な世界を醸し出してくれるのです。

そして、クライマックス、友人の自殺などがあるにも関わらず、大富豪の知人の家でらんちき騒ぎの後、夜明けの浜辺で、網に絡まって打ち上げられた巨大なエイを囲み、彼方に一人の少女の姿に気がつく主人公が写されます。
しかしその少女の声はマルチェロには届かず、少女はマルチェロに向けていた視線をゆっくりと私たちの方へ向けにこりと笑って映画は終わります。

まるで一夜の夢のごとく、全く平凡な娯楽映画の味はみじんも感じられず、ただひたすら映像感性に彩られた2時間55分は、まるでひとときのまどろみからさめたかのような錯覚に陥るのです。これこそ芸術映画でしょうね。


「ザ・ファイター」
中身の濃い、充実した人間ドラマの秀作でした。
かつて天才ボクサーと呼ばれ、一世を風靡し、町の英雄になっていた兄のディッキー、しかし今は麻薬におぼれ、兄にあこがれてこつこつとボクシングを続ける弟のミッキーのトレーナーとしてついている。しかし、ことあるごとにかつての栄光を口にするだめ兄貴。さらに、弟を食い物のようにマネージャー面して駆け回る尻軽女の母親アリス、さらにあばずれの姉妹たちがやたら憎たらしい。

しかし、ディッキーが警察に捕まったことをきっかけにミッキーは自分で最良の道を目指すべくボクシングに打ち込み始めます。当然、じゃまをしてくる母や姉妹たち。しかし、ミッキーは順調に試合をこなしやがて世界線へ。そして出所してくる兄、心を入れ替え、弟のセコンドとして試合に臨む家族たちの目には兄が果たせなかった夢に向かう弟への熱い思いがこめられていました。そして当然のごとく、ミッキーは優勝、今や一つにまとまった家族は素直に彼を祝福する。

という物語です。
映画が始まると、軽快な曲に乗せてディッキーたちの姿をまるで青春映画のごとく映し出す。このファーストショットが実にいい。しかし、実話を元にした部分にやや傾倒しすぎたためか、この後の展開がちょっと、しつこいくらいに食い下がってシーンを描いていくのがちょっと鼻につきます。このあたりは脚本の弱さかもしれません。

憎たらしい存在の母や姉妹が、いつのまにか弟に対して一丸になっているという心の変化が今一つ適当すぎて、演出が甘い。ミッキーを応援する父親の存在がちょっと弱い。ディッキーを演じたクリスチャン・ベイル(アカデミー助演女優賞受賞)が実に存在感満点で光るのにミッキーを演じたマーク・ウォルバーグがちょっと食われてしまっているのが残念ですね。さらにシャーリーンを演じた彼女がよくないです。もう少し魅力がほしいですね。

ただ、そんな欠点が目に付くとはいえ、試合シーンもそれなりに工夫がみられるし、一定のレベルの作品に仕上がっていると思います。ただ、アカデミー賞を競うにはちょっと役不足の映画だった気がします。