くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ル・アーヴルの靴みがき」「モンスターズクラブ」

ル・アーヴルの靴みがき

ル・アーヴルの靴みがき
だから映画は楽しい。そんな言葉がぴったり当てはまる珠玉の人生賛歌、それがこの「ル・アーヴルの靴みがき」という映画だと思います。

五年ぶりのアキ・カウリスマキ監督作品で、とにかく劇場が混んでいて、昨日は多すぎてあきらめたのだが、早くみたい一心で本日再挑戦しました。

映画が始まると二人の靴磨きが駅をでてくる人々を待ちかまえている。主人公マルセルのところに一人の男がやってくる。手錠でつないだアタッシュケースを持った男になにやら不穏な男たちが目を光らせる。あわてて男が立ち去る。見送るマルセルとベトナム人の友人。銃声。タイトル。

一見、サスペンスフルなファーストシーンながら、マルセルたちの姿から、そういう話ではないとすぐにわかる。帰り道、近所のパン屋でパンを勝手にとり、パン屋のイヴェットと軽く会話を交わし、家に帰ると犬のライカとやさしい妻アルレッティが出迎える。妻はなにやら食欲がない。

ある朝、港のコンテナの中から黒人の不法入国者が発見される。そのうちの一人が逃げ出し、たまたま昼食を食べていたマルセルはその黒人少年イドリッサが川に隠れているのに出会う。パンとお金を少年の隠れているところにおいてやるマルセル。

ある日、妻が体調不良を訴え入院。どうやらガンである様子が私たちに伝わるがマルセルには知らせない。一方黒人少年イドリッサがお金を返すためにマルセルのところへやってきてそのままマルセルにかくまわれる。マルセルの行動を怪しんだモネ警部が執拗にマルセルに近づく。

たわいのない物語です。ただ、カメラがとっても丁寧に人物の顔のアップをとらえていく。その視線が実に穏やかで、演じる人物たちの表情にも極端な感情の起伏を起こさせない演出が施される。そのために作品全体が落ち着いたムードに仕上がっていく。

マルセルの周辺の人々がイドリッサのことにさりげなく応援をし、マルセルを援助していく姿が淡々と語られていく展開は何とも家に暖かい人間感情を感じさせてくれます。

カレイの難民キャンプでイドリッサの祖父に会い、イドリッサの行く先がロンドンにすむ親戚だと判明。マルセルはイドリッサを密航させてやる決心をする。

3000ユーロという大金を作るために、リトルボブという知人の歌手に慈善コンサートを頼み、金を作り、迫ってくる警察の手を見事に逃れてイドリッサを船に乗せて送り出す。マルセルに近づいていたモネ警部が最後の最後でイドリッサを助けてやる下りもほのぼのと暖かいものが伝わってくる。警察が迫る中、マルセルの隣人たちの助けでイドリッサが船に乗り込むまでの展開のスリリングさは絶妙である。

すべて終え、何度目かの見舞いに病院に行くマルセル。ベッドがからになっている。あわてて担当医のところへ。するとアルレッティは奇跡的に治ったという。全くハッピーエンドである。

唐突ながら、このラストシーンはこの作品が一種のファンタジーであると語らせているようです。マルセルの過去の素性も描かれることなく、冒頭の数シーンで曰くありげに見えなくもないですが、あまりこだわらない。

イドリッサはあの後どうなったか。それは語られないが、この作品の流れでは絶対にハッピーエンドなのだ。すべてが奇跡で、すべてが寓話で、そしてこれが映画なのです。

画面から感じられる独特のリズム感、他の作品とちょっと違ったオリジナリティまで体感するにはかなりの数の映画鑑賞による鑑賞眼が必要かもしれませんが、ふと立ち寄った映画館で、ああこれが映画なんだなぁと思える一本であることも確か。何度も書きますが、そう、これが映画なのですよ。

「モンスターズクラブ」
豊田利晃監督作品。全米を震撼させた爆弾魔「ユナボナー」の犯行声明文に触発されたという作品であるが、精神の内面に迫るシュールな映像が展開する独特の作品でした。

雪深い山奥の山小屋。主人公良一はそこで、社会のシステムを破壊するべく爆弾を作っては様々なところへ送るという破壊活動をしている。背後に彼の信念が語られ、淡々と爆弾を作る姿が描かれる導入部は圧巻である。このメッセージはユナボナーの犯行声明文を流しているのだそうで、要するに文明の進歩が人間の本来の生態を破壊しているのだという意味らしい。

完成した爆弾の内部が揺れるシーン、続いて爆弾が届けられた場所での声、爆発へと進んでタイトル。

自給自足で生活する良一に時折真っ白な男や真っ赤に血糊をかぶったような生き物が現れる。必死でそういう幻影を払いのけながらも、次のメッセージのために爆弾を作り続ける良一。

ある日、バイクで死んだはずの弟が現れ、良一を自分たちの世界へ引き込もうとする。

またあるときは唯一生きている妹が訪ねてくる。現実に引き戻そうとする妹を追い返す良一。一途なのかそれとも何かからの逃避なのか、背後に次々と流れる良一自らの心の声は、人並みはずれた知能により生み出された独特の主張であるかにも見えるが、一方でどうしようもなく矛盾に満ちているようにも聞こえる。

総理大臣へのメッセージをしたためた日、自殺した兄が現れる。

次第に良一の過去が語られていくのですが、映像はあくまでシュール。幻想か現実か区別の付かない映像表現を終始させていく豊田監督の演出は非常に独特で、寒々とした雪景色を背景に不可思議なムードを作品に漂わせていきます。

爆弾を持ってでようとしたときに背後に刑事が現れる。白塗りになった良一が刑事を一喝し、逃亡。電車に乗り町にでて、妹に「もしも兄や弟が現れてもついていくな。自分の世界を見つけて生きていけ」と電話を入れて町にでる。

雪が降り始め、行き交う雑踏の中で声にならない絶叫をして映画は終わる。この背後に宮沢賢治の「告別」がナレーションされているのだそうで、これもまた豊田監督のメッセージであるということです。ただ、そういう前知識が必要な映画が果たして映像作品として優れているのかどうかというのは私個人の感想としては疑問です。映像化する時点で、昇華すべきだと思うのです。

なにを切り口に理解すべきなのか非常にわかりにくい映画なのですが、ユナボナーと呼ばれた犯人カジンスキーの犯行声明文と宮沢賢治の「告別」をまず読み解いた上でみるとこの作品のメッセージが見えてくるのだとある感想文に書かれていました。

ただ、作ってみたいと思うスタッフやキャストの面々の気持ちが何となく分かる作品でした。シュールな映像が次々と繰り返されるのですが、決して退屈ではなく、それほどの長尺映画ではないので、それなりにこういう映像表現もあるものだと楽しんでしまいました。