くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「あらくれ」「ビー・デビル」

あらくれ

「あらくれ」
成瀬巳喜男監督作品、この映画はまさに傑作でした。背後に流す音楽、効果音が実に見事。尺八の音、オルガンの音、そのほかあらゆる町中の調べが何とも詩的な風情を画面に生み出して、何ともいえない格調の高さを生み出してくれます。

物語はひとりの気丈な主人公お島が次々と男遍歴を繰り返しながら尽くす中、どれ一人として頼りない男ばかりで、ようやくお島がまっとうな生活になろうと骨身を惜しんで尽くしたところで男は堕落していくという繰り返し、今度こそ今度こそと生きていく強い女の物語である。

町並みの情景をとらえるショットが見事な上に、さりげなく通り過ぎるエキストラのような登場人物さえも見事に景色の中にとけ込み、さらに物語に彩りを加えていく。そんな背景の中颯爽と歩くお島の姿が頼もしくもあり、どこか哀れでもある。その微妙な心の様子が見事に演出される成瀬巳喜男の描写とそれに応える高峯秀子の演技が抜群のコラボレーションで完成されています。

東京から山奥の旅館、さらに大学の校門、洋裁店のたたずまい、さりげなく立ち寄る店、走り去る人力車、手持ちオルガンを奏でるオルガン挽き、遠くに広がる山並み、古びた田舎の農村の風景、寂れた田舎屋、どれもこれも今となって再現することが不可能に近いだけでなく、そういう風景で演じることのできる俳優もいない。時代が作り上げただけの物ではない本物の映画としての景色が見事に描かれています。

ラストシーン、雨の中、加東大介扮する小野田にも愛想を尽かし、雇い人の木村(仲代達矢)と待ち合わせに雨の中を傘をさして歩く姿、その前にさっと着物の裾をまくる仕草など、とても今の監督には思いもつかない演出であり、俳優にもあの色気は演じられないでしょう。

山奥の旅館浜屋の主人に脱衣場で迫られる下りで外からとらえたカメラの前にどさりとおちる屋根の雪のショット、小野田のふがいなさに業を煮やしたお島が水道のホースで水をかける演出、さらには小野田の囲い者のおゆうにとっ組かかる終盤のショットなどがすばらしい。さらに、洋裁店を開いて自転車に乗って颯爽と洋装で走るお島のシーンなど思い出すだけでもあまりにも名シーンが目白押しである。

何度も書きますが、町並みをとらえたカメラの構図も見事ですが、建物の一つ一つが目を見張るほどにすばらしく、全編これこそ名シーンと呼べる傑作だったと思います。


ビー・デビル
訴えたいテーマはひしひしと伝わってくるが、その手段、方法が実にグロテスクで韓国の国民性を自己主張して表現してくるので、何ともいえない不快感が終盤まで頭から離れない。さらに、まだまだ未完成な即興的な演出と思われる展開も正直かなりまどろっこしいことも確かである。

しかしながら、見終わって振り返ってみると、その暴力的なシーンやくどいほどのストーリー展開はさておき、美しいテーマを扱った作品でした。

幼い頃、同じ孤島で仲良く過ごした二人の少女。ヘウォンはソウルにわたりキャリアウーマンとしてそれなりの生活をしているが、常に保身的で、他人のことにあまり干渉しない性格は全く変わっていない。もう一人のキムは島に残り、未だに信じられない古風な風習と、男たちからの暴力と蹂躙、さらに老人たちからの虐待の中でひたすら耐えながら暮らす女性として生きている。

ある日、つまらないことから今の生活に疲れたヘウォンは懐かしい島へ帰ってくる。そこで幼なじみのキムに会うが、村は異様な空気でキムをさげすんでいる現実を目撃する。まるでホラー映画のような展開である。

結局、一人娘を殺されてしまったキムは狂ってしまって島の人々を殺害。キムの見方になってくれなかったヘウォンも殺そうとソウルまで追いかけてくる。
結局、生き残ったヘウォンは今までの考え方を改める決心をする。心にはかつて楽しくキムと過ごした日々がよみがえってくるという物語である。

ヘウォンが島についてからの展開が何ともしつこい。男たちが執拗にキムを虐待する姿、村の老婦人たちのいじめなどが何度も何度も描かれるのはしまいにはためいきが出てくる。このあたりの容赦のない残虐性はまさに韓国映画の特色であり、目を背けたくなるようにしつこいのが何とも鼻につくのがつらい。しかも、そろそろかそろそろかとキムが切れるのをじらすように進むストーリーがほんとうにまどろこしい。

結局、こうしたバイオレンスの果てにたどり着く美しいテーマを語るのがなぜか最近の韓国映画の特色になってしまって、それが独創的だと言わんばかりに評価されるのもどうかと思うが、今しばらく、韓国映画が成熟するのを待つしかないのかもしれません。