くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「恍惚の人」「娘・妻・母」

恍惚の人

恍惚の人
豊田四郎監督の映像美の世界がようやく理解できてきたので何十年ぶりかで再見。

豊田四郎監督が文芸映画で見せる独特の様式美の世界はこの作品では目立って見られませんが、さすがに画面づくりの見事さはほかの監督とはレベルが少し違いますね。特にクライマックス、高峰秀子扮する昭子が出かけ、一人留守番をするおじいちゃん茂造(森繁久彌)が電話のベルでパニックになり、立て掛けてあった畳を崩しながら雨の中外へ飛び出す下りの畳みかけるような演出は見事というほかありません。

そして雨の中茂造を見つけて昭子が抱きしめ、次のショットでお葬式の場面。このエンディングのうまさは実に頭が下がる。

もちろん、このシーン以外にも、クローズアップでとらえる昭子の顔半分の向こうに見える茂造の顔や夫信利(田村高広)、息子の構図などもみごと。やはり見終わって、その映像に充実感を味わえるというのがすごい。

そして、当然ながら、森繁久彌のすばらしい演技は今更いうまでもなく引き込まれてしまう。対してひたすら尽くす高峰秀子の演技、どこか寒々と演じる夫の演技、音羽信子のさばけた娘の存在など、どれをとっても見事なものです。

やはり日本映画黄金期の最後のスタッフキャストの組み合わせだったかもしれませんね。

下手をするとやたら暗くなる物語でありながら、観客が引いてしまわないように森繁のコミカルな存在感が秀逸。それでいてどこかにくめない存在として生き生きと伝わってくるからすごいですね。やはり名作です。

娘・妻・母
成瀬巳喜男監督お得意の女のドラマである。
成瀬監督らしい背後に流れる静かな音楽が不思議に落ち着いたムードを醸しだし、原節子高峰秀子草笛光子などの名女優が演じるそれぞれの娘、妻の姿がみごとなドラマを生み出していく。しかも、台詞の端々に語られるそれぞれの人物のその時々の心の変化が見事で、さすがに松山善三、井出俊郎の脚本のすばらしさを実感させてくれます。

物語は非常にシンプルで、旧家へ嫁いでいる次女早苗(原節子)が実家に遊びに来ているところから物語が始まります。ところが、夫が旅行先でバスの事故に遭い他界、旧家だった嫁ぎ先は早苗を実家に帰してしまいます。今では考えられない時代性ですが、これが物語の発端になり、この家から嫁いだり、独立した子供たちの家庭の妻、母、の物語が実に見事なローテーションで次々と語られていく。

薫(草笛光子)が嫁いだ先はマザコンに近い夫で、ことあるごとに舅の目が煙たくて別居を考えている。独立した次男礼二(宝田明)の家の妻美枝(淡路恵子)はモダンで、ことあるごとに喧嘩をしてはぎくしゃくしている。しかしながら共通しているのはどの家の夫婦も仲が良くどこか暖かみのある平凡な家庭であることだ。長男勇一郎(森雅之)の家に残っている三女春子(団令子)はやたらちゃっかりしていて、今風(当時)の考え方で、財産分けだの法律だのをドライな感覚で持ち出す。

そんな物語をまるで淀みのない流れで次々と語っていき、それぞれの妻の立場、母の立場、娘の立場を描いていく成瀬巳喜男の演出は全く見事なものである。

やがて、無断で家を抵当にして金を貸していた勇一郎がその貸した先の寺本(加東大介)が破産して行方不明になる。家を売って借金を返す必要が生じ、娘、息子たちが集まり議論をするも、焦点は母を誰が引き取るかになっていく。

それぞれの思惑の中、再婚の話がある早苗は密かに心を寄せる黒木(仲代達矢)と別れ、母を引き取ってもいいという見合い相手と一緒になることに。しかし、母は老人ホームへ行くことを密かに考えている。勇一郎の妻和子(高峰秀子)はやはり自たちが引き取ると早苗に言う。

一人買い物にでた母は公園で赤ん坊の面倒を見るアルバイトをするおじいさん(笠智衆)と出会う。映画はここで終わるのである。結局、娘たちはどういう結論になるのか、母はこのあとどうなるのか、すべてが観客である私たちに投げかけられて映画が終わるのである。このエンディングが見事である。

演技人たちの見事な演技はもちろんながら、前述した脚本の構成のすばらしさとそれに応えた成瀬巳喜男監督の見事な演出が結実した秀作でした。