「真夜中のゆりかご」
淡々と静かに流れる物語ですが、その奥底に、脈々とやるせないほどのサスペンスが潜む作品、ストーリーが、一見単純なのかと思いきや、前半でどんどん動き始め、後半でさらに大きくうねる構成が見事だった。監督はデンマークのスサンナ・ビネである。
敏腕刑事アンドレアスと相棒のシモンは、通報によって一軒の家に踏み込もうとしている。螺旋階段を真上から見下ろす映像から映画が始まる。
踏み込んでみると、いかにも薬物中毒らしい男トリスタンが出てきて、奥でその妻サネがぼろぼろになりおびえていた。さらに奥には、糞尿にまみれた彼らの赤ん坊がいた。
即座に逮捕されるが、管轄の問題と証拠不十分で釈放される。一方アンドレアスには愛する妻アナと息子のアレクサンダーがいた。アレクサンダーは夜泣きがひどく、いつも、夫婦のうちどちらかが夜中にあやしているシーンが描かれる。
ところがある夜、アナが目覚めると、赤ん坊が泣かない。抱き上げても息をしていない。突然死という悲劇が夫婦を襲うが、狂ったように叫ぶアナの姿を見て、アンドレアスは、妻に鎮静剤を飲ませ眠らせて、死んだ赤ん坊連れだし、一時は救急病院まで行くが、気を取り直し、なんと、眠っているトリスタンとサネ夫婦の家に行き、糞尿まみれの赤ん坊と取り替えるのだ。
夜が明けて、落ち着いたアナは、赤ん坊が変わっていることに気がつく。しかも、冷静に戻っている。一方トリスタンたちは、赤ん坊を殺したと思い、隠蔽のために誘拐されたと狂言を実行するのだ。
当然真相をしているアンドレアスは、トリスタンたちを追いつめ、自白させる。
一方アナは、夜中に赤ん坊を連れだし、通りがかったトラックの運転手に預けて、橋から身を投げる。
アンドレアスの執拗な尋問で、トリスタンたちが埋めた赤ん坊を取り出す。
どこか不自然を感じたシモンは、ことの真相を知る。ところが、掘り出した赤ん坊を司法解剖してみたら、実は、揺さぶり症候群で死んでいたことが判明。突然死ではなかったことに気がつき、アナの育児ノイローゼの結果と知るアンドレアス。
サネのもとに、赤ん坊を帰したアンドレアスは、警察を辞め、今は、ホームセンターで働いている。あの事件から若干の時が経っている。サネの姿を見かけたように思ったアンドレアスのところに一人の少年が近づく。なんと、あのときの赤ん坊が立派に少年になっていた。物語はここで終わる。
二転三転する展開をさりげなく見せていく演出は、やはりデンマーク映画である。しかも、静かな中に、二重三重に非常にシリアスな現代の社会問題を織り込んだテーマが実にうまい。
良質のサスペンス映画でした。
「驟雨」
成瀬巳喜男監督作品は何本か見逃しているがその中の一本。倦怠期の夫婦の物語を通じて、日常のたわいのない一瞬を実にみずみずしく描いた傑作だった。
物語は、一軒の家に住む夫婦のある日曜日から始まる。たまには出かけようという夫、それは今更という妻、何気なく始まる夫婦の会話に、新婚旅行帰りの姪がやってくるところより、本編へ。
軽妙な会話のやりとりに、さりげなく挿入される隣に越してきた夫婦のエピソードが語られ、さらに、野良犬を巡っての近所の奥様連中の悪口など、あまりにも平凡なのだが、生き生きした瞬間が切り取られる様は、何とも心地よさと見事さに引き込まれる。
背後に流れるピアノの音が、近所から聞こえるものか、効果音楽か、そのさりげなさもすばらしい。
会社でのリストラの話まで入ってくるクライマックスは、現代にまで通ずるモダンさも兼ね備えている。
そして、別居するしないの夫婦喧嘩の末に、翌日、近所の子供がとばした紙風船を夫婦でつきあいながら、これが夫婦よといわんばかりに掛け合うラストシーンは絶品である。
名作、傑作であることは確かなのに、余りにたわいのないドラマに、成瀬巳喜男の偉大さを認識してしまいます。すばらしい映画でした。
「ノンちゃん雲に乗る」
子供向けのファンタジーなので、物語はたわいのないものだが、なんか、今見るといやされてしまいますね。
家族の中でも、父親が威厳があり、母親が優しくて強く、学校でも先生と生徒はちゃんと分かれているし、級長などいうクラス委員の存在感もある。子供たちは無邪気だし、大人たちは大人だし、そんななかで語られるおとぎ話は、確かに幼稚かもしれないけれど、ほっとするんです。
決して、映画として名作でも何でもないけれど、主人公を演じた鰐淵晴子の美少女ぶり満開だし、古き良き映画全盛期を感じられる一本でした。