くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「TOKYO TRIBE」「ヘウォンの恋愛日記」「氾濫」

kurawan2014-09-04

「TOKYO TRIBE」
園子温監督の新作は、アニメの実写版。得意の長回しを延々と行い、ラップミュージカルという感じで、せりふのほとんどがラップで語られていく。

縄張り争いの混沌とした近未来の東京を舞台に、二大勢力のトライブ(族)の抗争を描いていく。

サイケデリックな美術をバックに、裸、殺戮、暴力が所狭しと展開していくのがいつもの園子温であるが、今回、ラップ音楽に固執してカメラ演出した為か、どこか遠慮しているところが見え隠れするのがちょっと残念。

染谷将太扮するMC SHOWのストーリーテリングで幕を開けるこの作品、ひたすらカメラが人物をとらえ追いかけ、回転していく。せりふがラップなので、一見音楽に乗ったような映像のはずが、どこかぎくしゃくするのは、主要人物であるメラを演じた鈴木亮平に比べ、対する海を演じたYAUNG DAISが非常に存在感に薄いために、物語として乗ってこないからでしょうか。

アクの強い俳優をあちこちに配置し、そのすべてにラップを歌わせ踊らせる。そのチャレンジ精神は非常におもしろいが、毒が少なすぎる。園子温には、目を背けたくなるほどの毒を期待しているのである。

スンミのパンチラアクションは見ていて爽快だし、香港からのカンフーの二人の存在感もでかい。しかし、女性はトップレスだが、下はそのままという中途半端な控えめ、日本ならあれが限界なのだろうが、その遠慮が非常に目についてしまうのである。

こう見てくると、キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」のすばらしさがよけいに脳裏に浮かぶ。

ストーリーも、今一つ、わかるようなわからないような、ふつうの抗争ドラマで、どこかはじけきっていない。それを園子温には求めるのである。

おもしろくないとはいえないが、どうも物足りない園子温監督作品という印象で終わってしまいました。


「ヘウォンの恋愛日記」
まったく、ホン・サンス監督作品は、韓国映画と思えないほどの、あか抜けたヨーロッパ映画の空気がただよう。

一人の女性ヘウォンが真っ赤なセーターを着て、日記らしいものを書いているシーンに始まり、玄関先で有名人に道を聞かれ、そのあとと、大学の先生で恋人である男性と会うシーン、かつての恋人と会うシーンが繰り返される。

真っ青なシャツ、背後に配置した黄色の建物など、ヨーロッパ映画によく見る色彩配置がみられ、淡々と、散歩しながらの会話のシーンが繰り返される。

大学の図書館で、恋人とのことを級友に話してみたり、気のよさそうなおじさんに会ったり、というたわいのないエピソードを交え、物語と呼べるほどでもないストーリーが淡々と展開し、繰り返し、うつ伏せに眠っていたヘウォンが目覚めてエンディング

寝落ちと呼ばれるラストシーンに唖然とするのだが、どこか不思議と癖になる魅力があるそれがホンサンス作品である。


「氾濫」
全く、行き場のない辛辣さ、その惨すぎるで、ぐったり疲れてしまう傑作。これもまた増村保造作品ある。

映画は、画期的な発明をした技術者で、今は重役になっている主人公の男真田とその周りの人物を描いていく。しかし、真田の成功に集まってくるのは、金、女、権力への欲望ばかり。真田の妻、娘、さらには学生時代の友人、さえもが、それぞれの立場で彼を利用していく。しかも、最後には、かつて本当に愛したと思われた女性さえも彼を利用していたことがわかる。

そして、その上で、それぞれが、つまずき、突き落とされるのだからむごい話である。

あまりにも、社会を鋭く見つめすぎる増村保造の視点が、とにかく、行き場のない現実をスクリーンからぶつけられてくる迫力に、圧倒される。全く見事である。

公開当時の1959年にこれを見たら、ある意味、現実に幻滅するのではないかと思える。

ラストは、技術者として成功した種村が、自分の野望を果たすべく、しかも真田の鐵をふまないために、社長の娘に近づき、彼女を連れて巨大なガスタンクの上に上っていってエンディング。上る=出世への階段という構図なのだろうが、なんとも度肝を抜かれてしまうのだ。

例によって、隙のない台詞の見事さと、遊びのない映像展開が息苦しいが、見ごたえが十分すぎるのだからなんとも、すばらしいといわざるをえない。