くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ゴーストライター」「ミケランジェロの暗号」

ゴーストライター

ゴーストライター
開巻早々、一隻のフェリーが港に入ってくる。そして岸壁に着けられたフェリーから一台、また一台と車が降りてくるがBMWのワゴン一台が取り残される。どうやら運転手が見あたらないらしい。

場面が変わると浜辺に打ち上げられた死体のショット。どうやら先ほどの車の運転手であるらしいとわかる。何の説明もないのにこれだけのシーンで物語の発端を語るロマン・ポランスキー監督の演出は見事である。そして、この死んだ男がマカラといって、この物語の中心人物である英国元首相のアダム・ラングに長年使えたゴーストライターだと語られるのである。

一気に本編へと誘ってくるこの導入部、全体にどんよりと曇った風景を描き、寒々とした海岸のシーンで見せるファーストシーンの不気味かつ美しいこと。

そして、新たなゴーストライターを探すべく面接が行われ、そこへ代理人で友人のリックに勧められて応募したジョン(ユアン・マクレガー)。自伝は愛を語らなければいけないという一言で採用され、その場で別の原稿の下書きをついでに読んでおいてくれといわれるが、帰りにバイクに乗った二人組に襲われ奪われてしまう。なにやら不穏な空気が漂い、マカラの原稿になにやらありそうだと思わせながらも、そのままアメリ東海岸の孤島にあるアダム・ラングがすごす別荘へつれて行かれる。

ところが到着当日、いきなりこのアダム・ラングは戦争犯罪人で、違法で執拗な拷問を行ったから告発すべきだというスクープが流れる。そのスクープの張本人が元外務大臣のライカート。このスキャンダルに対処すべく的確な指示を出す妻のルース、秘書のアメリア。

ほんのわずかな導入部から本編へはいるシーンでこの作品の主要人物を登場させ、かつ、ラストシーンにつなげるためのそれぞれの人物の性格や台詞に伏線を埋め込んだ脚本が実に巧妙なのである。

寒々とした海岸縁のこの別荘もまた非常なムードを醸しだし、ほんの最初以外はろくにインタービューする暇もなく、厳重に保管されているかつてマカラが書いた自伝の原稿のみが妙に忌みありげにジョンの前でちらちらする。

ある日、アダム・ラングがアメリカ政府に助力を求めに行った間に、島を調べるべく自転車で回り、そこで土地の人にマカラの死についての不審な点を聞かされる。そして、かつてマカラが執筆に使っていた部屋の引き出しの裏からマカラが集めていた資料を発見、その資料を基に一人の教授ポール・エメットに会いに行こうとするが、その帰りに命をねらわれ、あわやというところで、その資料に書いてあった電話に電話をし、それがライカールトにつながり彼に助けられるが、オリジナル原稿の謎をわずかに聞いただけで再びアダム・ラングの飛行機に乗ることに。

そして、島の空港に着き、降り立ったときにアダム・ラングは狙撃される。
犯人は、かつてアダム・ラングによって行われた対テロ戦争で犠牲になった一人の男であった。

そして、映画はここで終わらない。ジョンによって書かれた自伝が出版され、その披露パーティで妻のルースが演説する中、アメリアはそのオリジナル原稿に秘められた秘密。すべての章の冒頭に秘密があると告げられる。そして、ジョンがそれを読みとくと、「ルースが教授に誘われてCIAに加入した・・」の文字が浮かび上がる。そのメモをルースに渡し、価値誇ったように会場を後にしたジョン。しかし、彼がフレームアウトした直後、一台の車が猛スピードで駆け抜け、どーんという音とともにジョンはひき殺され、持っていた原稿が風に舞って映画が終わります。

緻密なくらいに徹底したストーリーテリングで最後まで引き込んでくるポランスキーの演出はさすがであり、全体に重苦しいムードを生み出した画面の色調と、音量を極端に押さえた音楽、そして、ちりばめられた伏線の数々は見事ですが、冒頭でジョンが受け取った別の原稿の最後のページ数や、ライカールトが終盤でわずかに登場した後の役割、アダム・ラングとルースの今一歩は入り込んだストーリーなど、やや雑になった部分が何とももったいない気がします。じわりじわりと謎が深まっていくストーリー展開がラストで一気に真相があかされ、その後のショッキングなエンディングに続くまで、ちょっとぴりっとした物語がない気がしないでもないのです。

しかし、レベルの高いサスペンスであり、ロマン・ポランスキーならではの個性がしっかりと映像作品として完成されているのはさすがに見事でした。

ミケランジェロの暗号」
この映画、物語の舞台は第二次大戦下のウィーン、当然、ナチスによるユダヤ人弾圧が物語の中にでてくる。にもかかわらずここまで笑い飛ばした茶番劇のような娯楽映画を作るようになったというのは、すでに第二次大戦もナチスによるユダヤ人迫害も過去のものになりつつあるということなのだろうかと思ってしまいます。この作品の中ではドイツ人将校は完全にバカである。ここまでバカにした映画も今まで無かった点では画期的かもしれません。

二転三転、しつこいほどに入れ替わるストーリー展開、途中で薄々わかってしまうラストシーンのどんでん返しなど、作品のムードが実に軽い。背後に流れる音楽さえも非常に軽やかで陽気なのだから全体のムードが不思議なエンターテインメントに終始する。別に第二次大戦下の重苦しい時代を背景にしなくても成り立つストーリーというのもまた滑稽なのです。だから、ラストシーンまで肩の凝らない気楽な雰囲気で楽しむことができました。

まずタイトルが流れる。途中でパルチザンが空に向かって機関銃を構えている。一機の飛行機が夜空を飛んでくる。一斉に機関銃が放たれ飛行機は山の彼方に墜落。そしてタイトルがさらに続き、物語が幕を開けると1938年、カウフマン画廊とテロップがでる。そこへやってきたのはルディ、この画廊の息子で跡継ぎのヴィクトルの友人である。彼はアーリア人でヴィクトルはユダヤ人である。ルディの母はこの裕福なヴィクトルの家の使用人であった。

ショーウィンドウのガラスに少年がユダヤの星を落書きし、それを見て起こったヴィクトルが飛び出すと逆に叩きのめされ、それを止めたルディと警察に捕まる。しかし、ヴィクトルの父の電話で二人は釈放。酒の勢いでヴィクトルは画廊に秘蔵してあるミケランジェロの隠れた名画をルディに見せてしまう。

まもなくしてヒトラーが戦争を始め、ルディはミケランジェロの絵を武器にナチスに入党する。当然、ヴィクトルのところにナチスがやってくるが、すでに絵はない。父が戦争に備え、かつてかわいがった新人の画家に贋作を書かせて本物は隠蔽したのだ。

当然、ナチスの弾圧、家族のチューリッヒ脱出と引き替えに絵を渡すが、ナチスはヴィクトルたち家族を収容所へ。
そして時は1943年へ。

ナチスミケランジェロの絵をイタリアのムッソリーニに贈呈するとして同盟の絆を深めようとするが、寸前で偽物と分かり、怒ったイタリア側は本物を持ってこないなら両国の同盟は破棄すると通告する。

こうして期限を切られた本物探しが始まる。収容所のヴィクトルを呼び、ルディが尋問するが、ヴィクトルはスイスへ母親を送還することを条件にする。そして、ルディとヴィクトルはベルリンへ輸送されることになり、その飛行機に乗り込むが、途中でパルチザンに撃墜される。これが冒頭のシーンである。

けがをしたルディをヴィクトルは助け、近くの小屋に行くが、そこはパルチザンの隠れ家らしいとわかり、あわててヴィクトルはルディに自分の服を着せる。ナチスの制服を隠そうとしたヴィクトルは、ドイツ軍が近づいてきたのを見て、自分がナチスの服を着てルディと入れ替わる。あれよあれよという間に入れ替わったルディとヴィクトル。こうして入れ替わった二人の物語がしばらく続く。

あわや見つかりそうになると危機一髪で助かるという繰り返しが何ともコミカルで、全く気がつかないナチスの上官たちがじつにこっけいである。

そして、母をスイスへ届け、後一歩というところでヴィクトルとルディの入れ替わりがばれて二人はウィーンへ。時間が迫るミケランジェロの絵の期限に、今度はルディの旅行鞄からその絵がみつかり、それをイタリアにと思ったとたん、ムッソリーニは失脚の報が届く。思わず笑ってしまう展開である。

そして終戦、ルディは終戦前にヴィクトルから財産を譲り受ける念書をもらっていために、画廊の絵をオークションにかけることにする。そこへやってきたヴィクトルと母親たち、父の肖像画だけ手に入れたいというヴィクトルにルディは快く送呈する。ところが、このオークションに出していたミケランジェロの絵もまた偽物だと判明。大騒ぎするお客やルディをあとに、本物のミケランジェロの絵がかくされた肖像画を持ったヴィクトルと婚約者のレナ、母親の姿で映画は終わります。

ヴィクトルとルディが二度三度と入れ替わるテンポがほとんど同じタイミングで物語全体に占めるタイミングが平坦なのは実に残ですが、それでもラストまで軽快に進むストーリーが本当に楽しいです。それだけでも見た甲斐があるという一本だったと思います。