くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「木を植えた男」「大いなる河の流れ」「クラック!」「トゥ

木を植えた男

「木を植えた男」
カナダのアニメーション作家フレデリック・バックのアカデミー短編アニメーション賞受賞作品を見ました。
木枯らしが吹いているような荒涼たる大地を歩く主人公”私”がある日一人の羊飼いにで会う。

一晩を泊めてもらい翌日、その羊飼いが向かう先へついていくとなんと彼は一人でドングリの実を蒔いて楢の木を植えているのだ。何尾欲もなくひたすら木を植える彼の姿を物語の発端に、やがてやってくる第一次大戦、第二次大戦をすぎて時代の流れの中で次第に実っていく森の姿を美しい色彩で描いていく。

木枯らしに引き裂かれるようにかすれた映像で主人公が歩く姿をとらえていく導入部、そして、次第に実ってくる木々がまるでモネの印象派の絵のようなきらきらと瞬く日差しのようなカラー映像に変わり、そこへ毒々しいような戦争の息吹が吹き込んでくる様は、これぞアニメーションの醍醐味といえるほどにまぶしく美しい。

そして、たった一人の男が作った森であることを知らない人々がこの森を訪れ、幸福を手にしていく様がつづられるあたりになると、みている私たちもうきうきしてくる。このあたりになると色彩は鮮やかに画面を彩り、人々の笑い声があちこちに響きわたる。

初めて男に出会った主人公が第一次大戦に兵隊として旅立ち、再び帰ってくるシーンでの時の移り変わりの美しさ、そして次第に生い茂っていく木々のはれやかなストーリーの変遷、そして、やがて男はその死を迎えたことが語られ映画は静かに終わっていく。

自然賛歌と人間のエゴへの警告を徹底的に追及し、美しくもファンタジックなアニメーションで語るフレデリック・バックの絵は美しいにも関わらず胸に突き刺さるような毒がさりげなくちりばめられています。一見に値する独創的なアニメーションだったと思います。

「大いなる河の流れ」
北米のセント・ローレンス川を舞台に、その原住民が自然と一体になっていた時代から次第にヨーロッパの侵攻が行われ、やがて自然が破壊されて都会が生み出され、人間社会が構築されていくが、結局自然の巨大さに飲まれていく姿を描きます。

「木植えた男」同様に、テーマは自然賛歌と人間のエゴだと思いますが、独特の絵で描かれていく物語が実に美しい。しかも、画面の動きが豪快なほどに大胆で、カメラワークと呼ぶものかどうかは難しいですが、縦横無尽に大きく移動する画面がダイナミックな迫力を生み出していきます。

やはりこのオリジナリティがジブリのスタッフにも影響を与えたというのはわかる気がしました。

「クラック!」
この作品もアカデミー賞受賞作品。15分の短編ですが、実に詩情あふれる映像と、ファンタジックな展開、そして時に思わずほほえんでしまうシーンの挿入など凝縮されたアニメ芸術を堪能させてくれます。

雪がはらはらとフルショットから物語が始まり。一人の男が森で木を切り、その木でロッキングチェアを作るところから物語が始まります。そして、このロッキングチェががこの男の周辺で起こる様々な人生の時間を見つめていくという展開になります。

出だしの雪のショットはもちろんですが、主人公が結婚をし子供が産まれ、その子供がまた結婚死、子供が産まれていく。そんな中で住んでいた土地が取り壊され都会になり、原子力発電所になって、さらに美術館に変わっていくという壮大な展開に息をのんでしまいます。

捨てられては拾われ、壊れては修理され、そのたびに色彩豊かな椅子に変わっていく展開もまた美しい。

やがて、美術館の監視員の椅子に変わったこのロッキングチェアが子供たちを順番に座らせるクライマックスは必見です。
この作品も、ファンタジックながら、やはり人間への警告が盛り込まれているようで、その徹底したテーマの追求に脱帽してしまいます。

「トゥ・リアン」
この作品はさらに短く10分あまりです。
童話「北風と太陽」の北風のような風貌の創造主が様々な生き物を作り、最後に人間を作りますが、やがてその人間は争いを始め、創造主が目指した世界からかけ離れた世界が形作られて、最後には創造主に対してさえ矢を向ける人間の姿で映画は終わります。

シンプルな絵の中に人類への警告を混ぜ込んだフレデリック・バックのテーマがしっかりと描かれている一本で、その意味ではかなりストレートな内容であるように見えました。

以上四本をフレデリック・バックの特集上映で見終わりましたが、うっとりするような絵であるにもかかわらず、描いているのは常に自然への造詣と人間賛歌、自然賛歌、文明社会批判です。そして、そこに救いのある出口も描かないところが彼の個性と呼べるものかもしれません。