「気狂いピエロ」
30年近く前この作品を見た。ヌーベルバーグの頂点といわれ、最高傑作と評価される映画であるが、当時はほとんど印象になく、ラストシーンの爆破シーンだけが何となく心に残っていた。
そして、今回見直してみた。少しは映画の鑑賞眼が鍛えられたかという期待と、傑作と評価される理由を理解できるかということを確かめるためでもある。
フェルディナンとマリアンヌという若い二人のラブストーリーであるが、サスペンスフルな犯罪の物語が背後に展開する。
横長の画面の中でほとんどがフルショットの遠景で人物をとらえる。じっと据えたカメラの中で長回しで演じられる二人の物語は、時にプロットの前後をつなぎ変えてみたり、即興かと思われるような展開がみられたり、時にローレル&ハーディのようなアメリカンニューシネマのごとくでもある。この独特の画面構成と展開こそがヌーベルバーグの世界であり、ゴダールの世界と呼べるオリジナリティでもある。ラストシーンにいたっての何となく甘酸っぱくなるような描写ははまる人にはたまらない魅力があるのだと思います。
さらに、冒頭のルノワールの引用を始め、そこかしこにちりばめられた様々なジャンル(文学、哲学、映画、音楽などなど)の引用を物語の合間合間においた展開は一部の知識層のかたまりのような映画ファンには極上の娯楽として染み渡ってくるものであろうと思うのですが、いかんせん私のような薄弱な知識の人間にはそのすべてを理解して鑑賞できる力量はとうていなかった。
出だしのパーティのシーンでカラーフィルターを多用した画面づくりから自宅に戻ったフェルディナンがマリアンヌを車に乗せて夜の町を走るセット撮影のレトロな魅力、そしてハードボイルドのごときブラックな事件に入り込んでいき、次々と繰り返される犯罪の中で逃避行を続ける二人の姿をとらえる手持ちカメラの躍動感あふれる映像づくりはさすがにゴダールならではの魅力に満ちています。
ラストシーン、マリアンヌを撃ち、自ら顔にブルーのペンキを塗ってカラフルなダイナマイトを巻き付けて火をつける。しかし、「こんな死に方はおかしい」と導火線を消そうとした瞬間に爆発。カメラはゆっくりと空の方へパンしてエンディングとなる。このあっと思わせる感動は何だろう。と思うと、なるほどヌーベルバーグの傑作と呼べるのかと納得する。
とはいえ、人によって好まざる人がいても決しておかしくないと私は思う。これもまた一つのスタイルなのではないでしょうか。いくら傑作とされていても、わからない、好きではないと思うなら正直にそう思って全く恥じることはないと思うのです。
「勝手にしやがれ」
ジャン・リュック・ゴダール監督のこれまた代表作の一本。ミシェルとパトリシアの二人の恋の逃避行という形は「気狂いピエロ」に共通しているかもしれない。
ふとしたことで警官を撃ち殺してしまったミシェルはかつての恋人パトリシアに再会。いつの間にか彼女から離れられなくなり、警察の追っ手が迫っているにも関わらずことあるごとにパトリシアのそばにいるようになります。
好き放題に車を盗んだり強盗をしたりして金と車を手にし、パトリシアとデートを重ねるが、パトリシアはこんなミシェルと別れなければと決心し、警察に通報する。
「通報したから逃げて」といわれてもパトリシアの元を離れないミシェル。追いつめた刑事にピストルで撃たれてしまう。背後から撃たれたミシェルが延々と通りをむこうに走っていくシーンをとらえ、やがて息耐えたミシェルにパトリシアが近づく。そして、立ち上がったパトリシアにカメラは真正面から、そして顔のクローズアップでパトリシアをとらえ、くるっと振り向いたショットで暗転エンディングになる。これこそヌーベルバーグといわんばかりのラストシーン。
こちらの映画は「気狂いピエロ」と違って、頻繁にクローズアップのカメラアングルが多用され、ミシェルとパトリシアのキスシーンがスタンダードの画面いっぱいに写されるショットなど実にみずみずしいほどにピュアなラブストーリーを演出してくれる。
もちろんこの作品も30年近く前にみたことがあるが、こちらは今見直すと、その真価をわずかながら理解できたような気がします。いい映画でした、私は大好きですね。